アズラーッド=カルバーン東方戦記
〜シャルル=ダ・フールと七人の将軍〜
1.ラダーナ-1
砂漠の落日はもの悲しい。
青い空がすっかり朱に染まり、黄色の砂まで赤くなる。
遠く故郷を西にして、遠征する兵士達は、沈む夕日をみながら故郷を思うらしい。太陽信仰の盛んな地方からの兵士達は、夕日にひれ伏し、翌日の復活を祈っている。
(今日も何事もなく終わったか)
今年、十七になったばかりのスーバドは、心の中でそう呟いた。何度も見慣れた光景だが、それでも幼い彼の心にも夕方の様子は何となく淋しくもあり、どこか安堵できるものでもある。
ザファルバーン七部将、といわれる七人の将軍のひとり、ラダーナの部下であるスーバドは、ちょうどそのラダーナに報告書を持っていくところであった。彼が本格的な戦に参加したのは、この遠征が初めてである。このガラータフ王国領に程近い砂漠には、ラダーナの指揮下で進んできたわけであるが、ちょうど先日、先鋒をつとめていたシャルル=ダ・フール王子と合流した。これから先は彼が指揮をとるというが、肝心のシャルルの姿を見たことはない。陣中にシャルルはいないとか、いても奥に隠れているという噂はよく聞く。何にせよ、彼は姿を見せない指揮官であるのだ。
カーネス朝ザファルバーンは新興国である。ほんの十年ほど前、突然、砂漠の中心のザファルバーンに建国された国だ。現在のカーネス家、厳密にいうと、エレ・カーネスが支配を始めたのもたった十年ぐらい前のことでしかない。それ以前はカリシャ家が支配していたが、実質ここ五十年ほどは王の空位が続いていた。そこで建国者で現国王のセジェシスを、ザファルバーンの有力貴族だったハビアスが、どこからか見いだしてきて彼を立てて王位につけたという話である。それ以前のセジェシスが何をしていたのかは、いまいち判然としない。一介の旅人だったという話もある。
何はともあれ、ハビアスによって新たなる王朝を開くことになったセジェシスは、宰相となった彼の献策によって、領土拡張を目指した。遠征に次ぐ遠征により、領土はカリシャ朝であったとき以上に広がった。特にハビアスは、カリシャ朝が力を失って、小国に分断されていた東方に目をつけ、東方遠征に数々の将軍を派遣したり、セジェシスを親征させたりしていた。
セジェシスの王子達も、もちろん派遣されることになっていた。彼には実子が何人かと、血のつながらない養子や連れ子の王子がたくさんいた。もとより陽気で優しいセジェシスは、遠征先で虐げられている貴婦人を見ると世話を焼いてしまう事があり、名義上王妃にして面倒を見させ、自分は手を出さないことも多かった。その為、セジェシスにはたくさんの養子がいたわけである。そのことが、のちのち乱を招くのであるが、今はまだ表では平和であった。
王子達の多くは、しかし、危険な遠征に好んでいこうとはしなかったし、強力な後ろ盾のある王子達を危険な地域に飛ばすことはさすがのハビアスにもできない。そして、王子が、余計な権勢を振るったりすれば大問題にもなる。生兵法をかじって、他人の意見をきかない者もいけないし、臆病すぎても駄目だ。
つまり、ハビアスは東方の、しかも重要な戦地に派遣する王族には、とりたてて後ろ盾がなく、戦上手で、勇敢で、しかも裏切る心配もない人間を選ばねばならなかった。だから、ハビアスは、この大事な東方遠征のほとんどを、それら全ての条件に合致する一人の王子に実質背負わせた。
その王子こそが、王の長子であり、かつ出生がもっとも怪しい落胤のシャルル=ダ・フールである。
シャルルの率いる東方遠征隊は幾度となく王都と戦地を往復していたが、肝心のシャルルの影は驚くほど薄く、彼は戦場では表舞台にほとんどでて来なかった。ただ、指揮官の名前だけを背負った形のようにみえるのであるが、彼自身は遠征時には王都から姿を消していた。姿の見えないシャルルが、本当はどこにいるのかはよくわからないし、一体誰がシャルルであるのかもわからない。その代わりのように、彼の兵隊を指揮しているのは、「アズラーッド=カルバーン」と呼ばれる一人の青年であって、彼の正体もまた謎だった。彼こそがシャルルであるという者もいるし、シャルルは病弱か臆病者で、代わりに影武者を戦地に向かわせたという者もいた。真相は闇の中だ。
「しかし…」
スーバドは、頭をかきやりながら呟く。
「ガラータフ近くで戦も近いって言うのに、こんなことでいいのか? そろそろ、シャルル様がいるというなら姿を見せてくれないと…」
東方にはいくつかの国がすでに独立していたが、最終的に数個の国に併合されていた。今はその中のガラータフという国と交戦中であった。ガラータフは、この先鋒隊に気づき、すでに兵を派遣してきているとのことであるが、まだその部隊とは出会ってはいなかった。今のところ、斥候からの情報もない。
スーバドは正直、シャルル=ダ・フールの部隊と合流したことに対して不安と不満を抱えていた。姿の見えない指揮官の下で戦うのは、何となく気乗りがしないものだ。
と、ふとスーバドは考え事をやめた。目の前に、彼の上司が立っているのが見えたからである。
赤く染まった砂丘の小高いところに、その男は静かにたたずんでいた。長身ですらりとした印象の男は、頭に黒い布を巻き付けている。年齢は、四十と少しぐらいだろう。端正な顔にのせた時が止まったような無表情に、活気のない雰囲気を纏った男は、どことなく暗く、存在感も薄いような気さえする。だが、感情を映さない瞳は、言い換えればそれだけ冷静だということでもある。彼は確かに感情を滅多に表さず、感情を反映させることもない。それによって、彼は冷徹に正確に作戦を決行することが出来、相手に考えが読まれることもない。
カルシル=ラダーナ。七部将と言われるザファルバーンの名将軍達の中でも、古株に当たる。セジェシスの旗揚げの時からいたという話である。
「ラダーナ将軍。あの、報告書をお持ちいたしましたが……」
おそらく本人にそのつもりはないのだろうが、無口ゆえに相手を拒絶しているような雰囲気がラダーナにはある。スーバドはこの将軍を尊敬していたが、声を掛けるのは正直苦手でもあった。今日も、だからいつものように、おそるおそる声を掛けたのである。
ラダーナは、静かに夕日をみていたが、スーバドの声をきき、無表情のままに顔だけを彼の方に向けた。少しだけホッとしてスーバドは、さらに報告書を手にしたまま彼の方に歩みかけた。
が、いきなり砂丘の下側から覗いた影が、彼の足を止めさせる。びくりとしたスーバドをみて、少し影は笑ったようだった。
「何やってんの〜? 二人とも〜。っていうか、君、新入り?」
ラダーナは静かに下側に目を向ける。スーバドは、まだ少し驚いたままラダーナの足下のほうからひょっこり姿を現した人物をみて、思わず警戒のあまり声を上げた。
「な、なんだ、お前は!」
「お前って言うことないじゃあない。アンタ、ラダーナちゃんの部下なんでしょ? ッてことは、オレ達、戦友って奴じゃない。仲良くしてよ?」
と、やや甲高い感じの声を上げ、男は割合に角度の急な砂丘を一気にのぼってきた。
「オレは、シャーでいいよ、シャーで。アンタ、名前なに?」
きょとんとしているスーバドを後目に、少し猫背の男はそう言った。まだ年は若い。おそらく、スーバドと同じぐらいだろう。彼は兜をかぶっておらず、おかげでくるくる巻いた癖の強い髪の毛が外に出ていて、鬱陶しいのかそれを上でひとまとめにしている。元々えらく癖の強い髪の毛なので、上に束ねると余計怪しい風体になるのだが、さりとて下手に上品な格好をするよりは似合っていることが予想できる。だから、誰もとがめだてないのだろう。
鎧も着ておらず、普段鎧のしたに着る木綿地の服をきていた。その服から察するに、そんなに悪い身分のものではないとは思う。だが、貴族の馬鹿息子にも見えないし、せいぜい街の粉屋の次男坊といった感じもした。その割には左の腰につるされた東方渡りらしい見慣れない剣は、分不相応な感じも否めない。
しかし、なによりも印象が強いのは、彼の見事なまでの三白眼である。本来はやや青みがかった瞳は、夕日で茶色くみえていた。しろい部分の多い目は、男の注意力のなさを示すかのようにきょろきょろとよく動く。
「ラ、ラダーナ将軍に向かって無礼だと思わないのか!」
一瞬圧倒されていたスーバドだが、ラダーナに彼が「ちゃん」づけをしていたことを思い出して怒鳴りつける。シャーと名乗る奇妙な青年は、きょとんとした。
「え、だって、ラダーナちゃんがいいっていったよ? アンタも試しにいってごらんって。この人案外温厚だから、絶対おこんないってば」
ものすごい事を言う男である。スーバドは、もう一度怒鳴りつけようとしたが、ラダーナがふと手で制したのが見えた。相手にするなということだろうとスーバドは理解して、ため息をついた。
「にしても、参っちゃったよねえ。こんな砂漠のど真ん中で何の楽しいこともないんだもん」
スーバドの様子に目もくれず、シャーは、そういって何か考えながら顎をなでた。
「こういう時には、かわい〜娘さんのいる酒場にでも入って、目の保養が必要だよねえ。目に入るのはごつい野郎共と砂ばっかりだしさあ。でも……」
そうして、彼は一度瞬きしてラダーナを見上げるようにした。シャーはスーバドより背が高く、ラダーナにもそろそろ届きそうなほどだったが、猫背なせいもあってか下からのぞき込むように相手を見る癖があるようだ。
「さっき、夕日みてずーっとぼーっとしてただろ、アンタ。夕日なんかみて楽しいのかい? いや、あんた、普段からぼーっとなんか遠いところ見てるよね。オレにも、そういう風景の楽しみ方の極意を教えてくんないかなあ。このままじゃ、砂漠みて暇すぎて死にそうだよ、オレ」
そんなことを、ふらふら歩き回っている彼にいわれたくないような気もする。ラダーナの側に立っていたスーバドは頭を抱えるが、ラダーナ自身の表情は変わらない。
「で、君は何をしているんだ? どこの所属なんだ?」
スーバドは、このふらふらした男をどうにかしようと、そう訊いたが、生憎と彼はまともにそれに返してくるはずもない。
「あのねえ、オレのことはシャーでいっていってるでしょ? 話きいてないねぇ、君ィ」
「いや、だから君の所属を…!」
「ああ、そうそう、アンタの名前を訊くんだったねえ。名前なぁに? 今なら、オレのアタマ、何も入ってないから確実に野郎の名前でも覚えてあげられるよ。キレーなねーちゃんの名前なら一発で覚えるんだけどね、オレの頭、悪いけど記憶できる分量が少ないもんで」
話を聞いていない様子のシャーに、いい加減あきれながら、彼は何となく負けてしまった。
「スーバドだ」
「スーバド? なんかすかーっとしない名前だね」
「はっ?」
さすがにちょっとムッとして、スーバドは彼を睨んだ。睨まれて、シャーはびくりとしてラダーナの背後にまわるようにした。
「な、何、怒ったの?」
「名前は両親より授かったものだ! それをすかっとしないなどと愚弄することは!」
シャーはスーバドの剣幕に怯えながら、右手を振った。
「やあねえ、そんな真剣にとっちゃってさ。かいつまんでいうと、呼びにくいってことだってばあ」
シャーはそういうと、ごまかすように笑顔を見せる。
「ねぇ、ね、スーバドって呼びにくいし、スービィじゃ駄目? なんか可愛らしくかつ斬新な感じがしない?」
スーバドは、このよくわからない男につきあうのが苦痛で仕方がなくなってきた。目を閉じて堪えようとしたが、不意にぬっと下の方からのぞき込むようなシャーの白目の多い双眸とぶつかってびくりとする。
「ね、スービィって呼んでもいい?」
「いい加減にしろ!」
スーバドはとうとう怒り出してしまった。
「一体、お前は何なんだ! 一体何のようでここに!」
「まぁまぁ、そう怒らないで、ねぇスービィ」
「なれなれしく呼ぶな!」
これでもスーバドは、そこそこの武人の家の生まれなのだ。こんなよくわからないのんきな男に愚弄されたとあって黙っていられるはずもない。思わず剣を握ろうとしたが、ふとその前にラダーナが立ちふさがるように進み出てきた。
驚くスーバドに向けて、ラダーナは黙って手を広げる。どうやら報告書を出せということらしい。
「しょ、将軍……」
ラダーナはふとシャーの方に手を向けて首を振った。相手にしても無駄だから、向こうにいって休めということかもしれない。そのぐらい口で言って欲しいものだが、ラダーナとしてはこれでも最上の気遣いなのだろう。
しかし、スーバドはこれは将軍の親切だと取ることにした。もう、このよくわからない三白眼の相手はしたくない。少しうなだれながら、スーバドは「ありがとうございます」とラダーナに礼を言い、そして手に報告書を差し出した。ラダーナはしっかりとそれを受け取る。
「申し訳ございません。また後ほど……」
そういうとラダーナは軽くうなずいた。スーバドは、ラダーナに武官の礼をとると、さっと歩き始めた。何となく恥ずかしい気分だった。少しからかわれたからと言って、あんな風にカッとして、そして将軍に気を遣わせてしまったことに対して、何となく気まずさを覚えていた。
新入りとはいえ、スーバドは武人の家の生まれであり、それなりにプライドはある。それを、この妙な男と些細なことで揉めて、しかも、上司のラダーナに喧嘩の仲裁のような真似をさせてしまった。ため息も出ようものだった。
「またねえ! スービィー!」
と、自己嫌悪に陥っているところに、あの軽い男の声が後ろから追ってきて、スーバドは思わず彼を睨み付けた。睨まれてまた彼はびくりとした様子を見せる。
そもそも、彼が声をかけてこなければこんな風に恥ずかしい思いなどしなくてよかったのだ。そう思うと、スーバドの心は煮えたぎるようだったが、ラダーナの手前、今回はもう構わないことにした。
あんなおかしな奴を相手にしてはいけない。そうだ、相手にしたら負けなのだ。
そう何度も何度も言い聞かせながら、スーバドはそこを後にした。
また後でラダーナに謝りにいこう。あんな無様なところをみせて申し訳ございませんでした、と。そう言えば、少しだけ、この自己嫌悪が解ける気がした。