シャルル=ダ・フールの王国・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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アズラーッド=カルバーン東方戦記
〜シャルル=ダ・フールと七人の将軍〜

プロローグ

0.戦火序幕


高い高い青い空の下、黄色の砂が吹き上げていた。
 青いマントが風が吹く度わずかに揺れる。なめし革に青の布を綺麗に貼り付けて彩色した青い甲冑の男の兜には、鳥の青く長い羽が二本飾りにつけられている。
すでに背だけがひょろりと高い男の顔には、兜の影が深く落ちていた。だから見てすぐに、男がまだ青年というにも心許ないほど若く、いっそあどけないと言えるほどの年頃だとはわからない。兜の下で半分押さえられたようなしろい部分の多い目は、闇の中で光っているように少し見える。その瞳が少しだけ青い事は、兜の下ではわからない。
 痩せて頼りなげな体つきだが、馬の上にいる彼は、堂々としたものに見える。腰に下げた長刀は独特の形をしていて、鍔は植物らしい模様がかたどられている。それが異国の刀であることを知るのに、そう時間はかからないだろう。
 黄色の砂煙が、ひくく地平線上にまきおこる。草は少ししか生えていない砂漠の土の上、彼の年頃にはあわない数の兵士達を従えて、彼は砂煙を睨み付けていた。
「……来たぞ」
 普段は割合に高い声色だが、今の声は低い。
「よし、サダーシュ将軍に伝令を飛ばせ! 左翼、準備はどうだ!」 
 側にいたカッファ=アルシールが背後に向かって命令を下す。カッファは、そのころにはすでに文官に鞍替えしていたのだが、常に彼に任せられた王子の横に、参謀という形で側にいた。だが、実際は参謀というよりただの補佐役に近い。作戦を実際立てているのは、当の王子であり、彼の方が戦略的な思考については深いのである。
「殿下…、大丈夫ですか?」
 手はずを整えて、カッファは、彼の方に馬を寄せてきた。がっしりとしたカッファは、鎧を着込むと将軍の何人かより、よほど将軍に見える。カッファは、まだ五十になるかならないかというほどで、割合に若く、まだ髪の毛も黒い。もともとが剛直な男だったせいか、あまり策を講じることは好きではないらしい。あのハビアスに政治学を仕込まれた割には、まともな男だといえるかもしれない。
「リオルダーナの派遣してきた将軍は、それほど切れ者ではないと思われますが、なにせ、あそこは騎馬兵が強いことで有名でございます」
 カッファは、そう報告する。東方遠征をしていたザファルバーンがリオルダーナ王国とぶつかったのは、つい一年ほど前のことだ。東の強国として知られていたリオルダーナは、新興国であるザファルバーンの領土拡張に警戒し、たびたび強い兵隊を送ってきている。それに対抗するため、七部将と呼ばれていたザファルバーン最強の将軍達が東方に送られ、総力をかけて戦うことになったのである。そして、その時、もとより東方に送られていた王子の一人が、それと戦う為にこちらに転戦してきて、総指揮官となった。
「今回の作戦だと、殿下に危険が及びます。どうか、ご無理はなさらぬよう」
 少し短めの髭の生えた顎を軽くなでて、彼は彼の主君を見やった。のぞき込むと、まだ子供っぽいところのある青年は、年齢相応の笑みを向けた。急に普段のように高い声になり、彼はへらへらという。
「大丈夫大丈夫。今更そんなんでびびって逃げないってば」
「いや、そういう心配をしたわけでは…」
「それに、カッファが心配するようなことはないってば。オレだって、痛いのはやだからねえ」
 シャルル=ダ・フール、陣営での名前は、青兜ことアズラーッド=カルバーン、彼の名乗るところの名前をシャーという青年は、馬の首に一度だらんと顔をのせながら笑っていった。
「安心しなってば。…それより、カッファの方がオレは心配だなあ。無茶しないでよね」
「あなたに心配されるほど落ちぶれてはおりません」
「あら、ひどいなあ、それ」
 青兜 ( アズラーッド=カルバーン ) は、苦い笑みを浮かべた。同年代の少年達よりは、少し大人びた表情であるが、それは大人に囲まれて育ったことによるのかもしれない。
 彼は、シャルルという名前で呼ばれるのをすかないし、王子様といわれるのも嫌いだ。宥めてようやく「殿下」と呼ぶのを許したが、本当は、敬称つきで呼ばれる事自体が嫌いでもあるらしい。彼が認めている名前は、彼がこの宮殿に来る前に呼ばれていた「シャー」という名前だけであるらしい。
「まぁいいや。全ては打ち合わせの通りに」
 彼はそう言って、背を伸ばして笑った。ふいに砂の上に黒い影が踊った。目の端でちらりと見ると、向こうの方に黒いカラスが飛んでいくのがみえていた。
 カラスは、ある一点を目指していた。たくさんの人間の中、それはある一人の男の元に正確に降りてきた。兜を外している男の髪の毛は、この地方ではほとんど希な銀髪である。砂漠の太陽の下ではきついらしく、時折頭の上に布をかぶせたりしているようだ。元々、随分と北方から流れてきたという噂のあるのは、ハダート=サダーシュである。何度か主替えしたこともあるという彼の評判は、あまりよくないが、奇策を用いる彼はかなり重用されてもいた。
 降下してきたカラスを見て、彼は割合に二枚目な顔をほころばせ、左手をさしだすとカラスはその上に降りてきた。カラスの艶やかな黒い羽は、太陽の光の下では少し眩しく見えた。
「おお、よく来たな、メーヴェン」
 カラスを手甲で固めた手のひらにとまらせて、ハダートは右手で足下の筒を取ると、中の紙を引き出して中に書かれているものを確かめる。
「何だ?」
 ふと、赤い髪のがっしりした男が彼の方をのぞき込んだ。ザファルバーン最大の軍閥でもあるジェアバード=ジートリューである。いかにも軍人然とした顔に、大きな目が特徴的だ。
「見るか? 他言は無用だぞ」
 頭にかぶった布の間から銀髪の覗くハダートは、ジートリューに筒ごとなげやってから、手にとまらせたメーヴェンをなでた。このよく訓練されたカラスを、彼は相当かわいがっている。薄情な印象の強いハダートにしては随分珍しいことだと周りには思われているようだ。
「ほう。なるほどな。アレを囮にしているのか。前々からそうだが、今日はやけに目立つところに青いのが立っていると思ったら、誘っているのか」
 それに書かれた暗号を大体に理解して、ジートリューはうなずいた。
「そろそろ、オレもいかねばならんだろ? その様子だと」
「だな、そろそろ時間だ。……しかし、貴様デューアンと組むのか?」
 不意にジートリューは、心配そうにいった。ハダートは、そのつややかな羽を軽くなでてやり、メーヴェンを肩にとまらせる。
「ああ、あの善良な爺様とねえ」
 ハダートは自堕落に馬の背にもたれかかりながら顎をなで、不意にあの武器を持つより畑仕事の方が似合いそうな、優しい表情の男を思いだした。初老のデューアンは、実年齢より老けているのかもしれないが、その長い軍歴の割には、個人的な才能としては取り立てて目立ったものはない。しかし、優しい彼の人柄をしたい、有能な人間が彼をしっかりとサポートしていて、七部将の中でも見劣りしない戦果をあげているのも確かである。
 だが、ジートリューは不安げな顔をした。
「大丈夫か? デューアンは、こういう策略には疎いぞ」
「オレがしっかり先導しておくからどうにかなるだろ。…それに、最終的には、オレが兵隊をちょっとの間だけ借り受けることになりそうだ」
 なるほど、とジートリューはうなずく。
「そうか、このままでいくと、どうにかなるのだな」
「ああ、この策を仕掛けてるのはオレだからな、まさかアレにあそこまで危険をのんでもらって失敗したら、格好悪すぎる。オレにとっても、負けられない戦なんだよ」
 ハダートはそういって顎をなでた。上品な顔と態度はつくりものだ、と本人はいっていたが、そうなのかもしれない。ハダートは、他人より見目よくできた顔立ちと、他人より上品に見える物腰を利用しているところがあるようだ。外向けには、常に猫を被った状態で接しているので、彼の本性を知るものは少ない。だから、こんな風にちんぴらのような口調でべらべらと話している彼を見ることが出来るのは、本当に内々だけだ。
「人のことはとにかく、お前の方はどうなんだ? どうするつもりだ?」
 何か、特別な戦い方でもするのか、と訊いてみたハダートに対し、ジートリューは自信満々に言い切った。
「どうするとはどういう意味だ! こうなれば、命有る限り前進するのみ!」
「全くお前はまたそれか。…ああそうそう、オレはもう行くぞ。最終確認をしなければならんからな」
 ハダートはにやりとした。
「網を掛けるときは、ちゃんと網が破れていないか確かめるべきだろう?」
「何をまどろっこしいことを。一匹ずつ槍でついた方がはやい!」
「お前のそーゆー性格、オレは嫌いじゃないがな」
 ハダートはため息をついて、馬の手綱を握り直し、メーヴェンを肩にとまらせて、馬の頭の方向を変えた。
「死ななければまた会おうぜ」
「死ぬはずがあるか! この陣営に来てから死ぬ気がせんわ」
 ジートリューは、そういって笑みを見せた。その自信たっぷりの笑みに、ハダートは面白そうに笑った。
「そういえば、そうだな、あの馬鹿につきあっていると確かにそんな気分になるな。へぇ、お前も随分変わったね。あんな軟弱者の指揮下にいるぐらいなら死んだ方がましだといったのは、お前だったと思うがな」
 面白そうに笑うと、ジートリューはムッとしたらしい。
「なんだ、もともとあやつが嫌いだったのは、お前もそうだろうが!」
「まぁなあ。…それが今はこんなに命がけで働いているんだから、わかんねえもんだよ。全く」
 突っかかってきたジートリューを流して、ハダート=サダーシュは、そう言ってへらへらと笑った。
「それじゃあ、またな」
ハダートはもう一度いうと、今度はもう振り返らずに馬にむち打った。
「サダーシュ将軍ですか。よくわからないですが、叔父御はあの方と仲がいいですね」
 珍しいとばかりにいったのは、ジートリューと同じように髪の毛を燃えるように赤くした男だった。目が大きいが、体つきはジートリューよりはややひょろっとした印象がある。彼ほど威勢がいい表情ではないのだが、どことなく顔つきは似ているところがあった。年も少し若いように見えた。
「叔父上は、策略を使う方が嫌いなんだと思っておりましたが」
「ああ、それは嫌いだがな、奴はまあ仕方がないんだろう。あれから頭と口を取ったら、何ものこらんぞ」
「意外にひどいこと言いますね」
「事実ではないか。だが、奴とは年が同じぐらいだし、そこそこ気も合う。同じ主君を戴いて戦う仲間なのに、奴を気にかけるのは七部将で他におらんからな。私が何かと相手してやらねば可哀想だ」
 なるほど、と赤毛の男はうなずいた。確かに、別の国から渡ってきたというハダートには友人らしい友人もいない。今まで何度か主君を変えているハダートは、そもそも信頼がないので、ゼハーヴ将軍あたりは疑ってかかっているという噂もある。
 彼の裏切りを防ぐ為には、信頼関係を固めるのが一番だ。ジートリューにそんな目算があるかどうかはわからない。性格は無茶だが、意外に気のいいところのあるジートリューは、もしかしたら本当にハダートの境遇に同情しているだけなのかもしれない。何にせよ、ジートリューは、そう言う意味では将軍達の結束に一役買っていることになるのだろう。
「で、何のようだ? アイード」
 と、ジートリューは、振り返って甥の顔を見た。十歳下の甥のアイード=ファザナーは、彼にとっては甥というより兄弟に近い存在である。その彼の心配そうな顔を見て、ジートリューは、ムッとしたようにいった。
「なんだ、その顔は! 今から一戦交えようというときに、貴様どういう顔をしているのだ」
「叔父上が心配だからですよ」
 アイードは不意にいった。
「何を貴様に心配される必要がある!」
「毎度、勝手な行動と無茶を繰り返しているのは叔父上ですよ。叔父上、頼みますから、今回は勝手な行動は控えてください! 私がゼハーヴ殿と母上に怒られます」
「何を意気地のないことをぬかしているのだ、貴様! 剛毅な姉上がそのような行動で私をとがめだてようはずがない! それに、最初からゼハーヴなど脅威に値せんわ!」
「あ、値してください。上司ですよ!」
「やかましいっ! 戦闘前に気を散らすな!」
「ああ、母上…。もう、この人、どうにかしてください」
 アイードは肩をすくめながら、ため息をついて天を仰いでポツリと言い、仕方なさげに外していた兜を被る。もう何をいっても仕方がない。
「むっ、そろそろだな」
 心優しき常識人である甥のアイード=ファザナーの言葉などきかずに、ジートリューは地平線に目をやる。土煙が徐々に近づいてきている。それを見ながら、彼らは敵の到来を知るのであった。
 



 将軍達は配置された場所に散った。もう敵の軍勢は迫ってきている。砂煙だけでなく、すでに敵の姿がはっきりと見えていた。兵士の数は予想通り、ほぼ互角か、こちらの方が少ないぐらいである。
 地響きと風の音が混じって聞こえるが、対称的にザファルバーンの陣中は静まりかえっていた。最前線には、真っ青な甲冑の青年が、騎乗したまま立ちはだかっている。敵にもその姿は鮮やかに見えているだろう。
 だが、まだ総大将の青兜 ( アズラーッド=カルバーン ) は動かない。前を見据えたまま、黙っている。どんどん敵は近づいてくるが、まだ彼は動けとも命令せず、打ち合わせ通りに後ろにさがることもない。側にいるカッファがとうとう痺れを切らした。
「殿下! いますぐご命令を、これ以上こちらに引きつけますと、ここに危険が!」
「まだだ!」
 青い兜の青年が、強い語調でいった。普段にはない厳しい口調に、いくらかカッファは萎縮する。
「まだ引きつけろ!」
「し、しかし! それでは、殿下が危険です。せめてそろそろ後ろにさがってください」
 だめだ、といって青兜 ( アズラーッド=カルバーン ) は振り返る。その幼い目に灯るのは、将軍としての厳しい光だった。
「オレは囮なんだろ? だったら、ぎりぎりまで待つんだ。奇襲作戦なんて博打と一緒だろ? ある程度の危険を飲まなきゃ成功しないぜ」
そう言われ、カッファは思わず言葉を飲む。彼は、また敵の方に目をやっている。もう十分近づいてきている。もう彼を後ろに避難させることは出来ない。
 と、向こうの方で何かがちかちかと光った。ある規則性を持った光の反射の回数に、彼はその中に含み込まれた暗号を知る。
「よし! オレについてこい!」
 突然、背後に向かって青兜 ( アズラーッド=カルバーン ) はいって、腰の剣を引き抜いてかざした。馬の手綱を思いっきり引き、そして、芸術品のような独特の反りをもつ異国の刀を太陽にかざす。
「で、殿下、何を!」
 カッファが止めに入ろうとしたときには遅かった。青兜 ( アズラーッド=カルバーン ) は、すでに声をあげて宣言していた。
「天空高く見守る神のもと、死を恐れぬ馬鹿共は全員、オレについてこい!!」
 カッファはようやく彼の主君が何をしようとしているのかわかって青ざめた。自分が真っ先に突撃する気なのだ。
「突っ込めぇぇ――!」
 叫ぶ青年は、手をあげた。そのまま、自分も馬を走らせる。青いマントが広がり、そして彼の姿は遠くなる。
「殿下!」
 慌てたカッファの悲鳴が飛ぶが、彼の主君は聞く耳など持たない。遠目にも目立つ真っ青な甲冑に、あの青い羽根に、あの青いマントに、敵が群がるのは目に見えている。大慌てで後を追いかける。同時に、青年の号令に呼び覚まされたかのように、静まりかえっていた兵士達が鬨の声をあげながら一斉に駆け出し始めた。
「ああ、何を考えているんだ…」
 カッファが焦った様子で呟く。近くにいたゼハーヴも同じように後を追いかけながらカッファの方に話しかけてきた。
「あんな突撃を切らせてどうするんだ、カッファ!」
「う、打ち合わせではそういう予定はなかったのだ!」
 ゼハーヴに責めるような口調でやりこめられ、カッファはむっとした様子で応え返す。
「すぐにおいつかねば! …あの方は自分を粗末に扱いすぎる。あんな突撃を切らなくてもいいのに!」
 カッファは不満たらたらにいいながら、鞭を馬にくれた。だが、彼の主君は、あれで馬術の方もかなりのものだ。乗っている馬も駿馬だし、第一痩せている彼は乗っているので、スピードはかなりあがる。そう簡単に追いつけるものではない。
 砂丘を駆け下り、真っ青な甲冑に真っ青なマント、馬につけた馬具も青い。その黄色の砂の上の青いひとかたまりのような青年は、ひたすらに軍隊の先陣を切って走っていた。風に翻る青い色に、敵兵が一斉に飛び掛かってくる。
 だが、彼は何も考えていないわけではない。指揮官が真っ先に先陣を切ることが、士気をあげる有効な手だてことをよく知っている。あらかじめいえば、カッファに止められるのが目に見えているので、あえて強硬に突っ込んだのだろう。
雨のように降り注ぐ矢を切り払い、まっすぐに突き進む。それが肩をかすめても、彼は怯えることも止まることもない。逆に自分が矢になったように青い羽根とマントをなびかせて飛び掛かっていく。
 その姿に、東方では彼を「アズラーッド=カルバーン」と呼んで恐れ、そしてある種の尊敬を抱いてもいるという。
 ちょうどもうすぐ先頭とぶつかるころだった。前を行く歩兵は、突っ込んでくる彼の姿を見て、やや萎縮したように見える。だが、彼の目標はそこではなく、その後ろにいる指揮官らしき人物だ。短期決戦の為にも、なるべく無駄な戦いは避けたい。
 一人の敵兵が、剣を握って彼に向かって振るってきた。それを刀を薙いでかわしながら、彼は舌打ちをする。ここで足を止めると、一斉に周りの十人ほどに囲まれてしまうかもしれない。
 不意に後ろから、ヒュウっと空気を裂く音が聞こえ、ちらりと彼は目をやった。目の前に飛び掛かってきた兵士は矢に肩を打たれ、後退する。
「ラダーナ!」
 彼は、後ろについてきていた男を見てよびかけた。無口で知られる彼は返答をかえしては来なかった。
「殿下、こちらから支援いたします!」
 代わりに応えたのは、その横にいた老将軍であった。
「よし、…恩に着るぞ、カンビュナタス!」
「はい!」
 当の主君の言葉をきいてやや感激気味のカンビュナタスを横目に、黙って後を追うラダーナは、とうとう先頭をいく彼が敵の武将らしき男に飛び掛かっていくのを見ていた。それは、青い猛獣のようにしなやかで強靱でありながら、誰にもわからないような悲壮感を漂わせたものでもあった。
「あーあ、やっちまった」
 鬨の声をききつけたのか、遠くでハダートがそんなことを呟いた。
「いつかやると思ってたよ、あの馬鹿なら」
「将軍、こちらはどうしましょう」
 部下にきかれて、ハダートは、ああ、と応える。敵の背後に回っているハダートは、すでに敵の兵糧をおさえていた。輸送部隊を叩いた彼の部隊は、すでに食糧の略奪にはいっている。急襲されたせいか、あまり敵の反撃もない。様子を冷静に見て、ハダートはふんと鼻先で笑った。
「ほどほどにしとけ。…オレ達の一番の役目は、敵を後ろから襲うことだ。あとは、そうだな、デューアンの爺さんに頼むか」
 ちらり、と彼が目を向けた先には、一人の初老の将軍が馬の上であれこれ報告を受けている。ハダートは、それを一目見ただけで、あとは別の命令を告げるべく馬を飛ばした。
 彼はデューアンの軍隊をも指揮して、敵を攪乱させなければならない。そうでなければ、あの青い青年の無事は保証されない。
(まったく、いつもオレはそんな役回りだな!)
 苦笑しながらそう思い、ハダートは精鋭を連れて、来た道をひた走る。忠誠心のかけらもない彼にとっては、すべては、あの青年を死なせない為でしかない。時に自分に大したメリットもない、その行為の馬鹿馬鹿しさに笑いたくなりながら、ハダートはひたすらに馬を飛ばす。
 そして、それは、他の将軍達にとっても同じ事なのだ。ジートリューにしても、無言のラダーナにしても、カンビュナタスにとっても、デューアンにしても。――そして、彼を認めきれないゼハーヴにしても。
 少し遠くから走ってきていた赤い旗のジートリューが、青い一点を見つけて叫んだ。
「いいか! 殿下を死なせたら、我が家系の名折れだ! 殿下に遅れるな!」
 側のアイードがその後を追いながら叫び返す。
「わかっています!」
 誰にしても同じだ。目の前に消えていく青い塊をみながら、カッファは思う。
 本当は、誰もあの青い背中に追いつくことはできない。後ろを追っているだけでいいのだ。あの背を追っている限り、自分たちが敗北することはあり得ない。そんな気がして、彼らはただ何も考えずに戦う事が出来るのだ。
 不思議な気持ちだった。あの目の大きいまだ青年というにも幼いぐらいの少年の、あの細い体のどこにそんな力があるのだろう。
 ああ、きっとそうだ。あの青兜 ( アズラーッド=カルバーン ) がいる限り、我々に敗北などあり得ない。


 それは一種の熱病だった。そして、熱病をもたらし、兵士達を熱に浮かせた張本人の青年の気持ちなどを無視して、それは全軍に蔓延していく。

 そして、彼らは、それが、青年をどれほど悩ませているかを知ることもない。
 
 シャルル=ダ・フール=エレ・カーネス。又の名を青兜 ( アズラーッド=カルバーン ) 。自ら名乗る名は、ただの「シャー」。
 その時、まだ齢は十七であった。





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背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。
©akihiko wataragi