シャルル=ダ・フールの王国・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
一覧 戻る 進む


アズラーッド=カルバーン東方戦記
〜シャルル=ダ・フールと七人の将軍〜

 1.ラダーナ-2

「にょほほ、きらわれちまったかなぁ」
 去っていくスーバドを見ながら、シャーはのんきにそう言った。
「アレぐらいで怒るなんて、若いねえ。オヤジさんが心配なのも頷けるねぇ」
 顎をなでつつ、そんなことを言う彼を見て、ラダーナは何か言いたそうに首を振る。
「どしたの、ラダーナ。ああ、あの子、オレと同い年だって…?」
 ラダーナの表情をみれば、大体何がいいたいかわかるらしく、シャーはきょとんと首を傾げる。やる人がやれば可愛らしい動作であるが、シャーがやったところで何のかわいさもない。この春、十七になったばかりの筈のシャーは、相変わらず妙な青年だ。
「何々、からかっちゃかわいそう? やだねえ、オレはただ声を掛けただけよ」
 シャーはそういいながら、だらりと体を揺する。
「にしても、あんたホントしゃべんないよね。たまには喋ったら?」
 ラダーナは端正だが、明るさに欠けた顔をしている。それどころか、彼は滅多に口をきくことすらない。冷静だし知恵者のはずなのだが、無口すぎて参謀には向かない。先頃、投降してザファルバーンの麾下に入った雄弁なハダートとはその辺が違うのだろう。黒い布を頭に巻いて、落ち着いた色の甲冑を着たまま、彼は大体静かにたたずんでいる。その瞳に、感情的なものが走ることはほとんどないのだが、それでも慣れてくると多少言いたいことがわかるようにはなる。
「オレ、ここに来て二週間たつけどさあ、あんたの声聞いた覚えもないよ?」
 シャーは、そういって砂の上に腰を下ろした。大きな目が、赤い夕日を浴びてやや細められる。
 ラダーナは、幼い頃からよく知る彼を見た。
 王族であるにもかかわらず、幼い頃から戦場に立たされた彼には王族特有の高貴さや威厳をほとんど持つことができなかった。かわりに、彼につきまとうようになったのは、戦場を生き延びた者の厳しさと、狂気と紙一重の独特の殺気じみた空気ぐらいだった。だが、それも、幼い頃から学んだ剣の師のお陰で、普段はその空気を感じさせないほどに押さえ込むことができている。だから、彼がこうやってのんびりとしているときは、その独特な不気味な空気を肌に感じる者はいない。先程のスーバドのような者がいてもおかしくないのだった。
 シャルル=ダ・フール=エレ・カーネス。本来ならば長子の筈の彼の名を、ラダーナは心の中で呟く。
 並みいる兄弟達は、皆セジェシスの美しさを継いだ。セジェシスは性格こそ破天荒だが、よく見るとなかなかの美男子であった。当然、妃も傾城の美女ばかりだから、その息子達はセジェシスより繊細な美男子が生まれた。だから、一人だけ明らかに毛並みの違うシャルルは、兄弟の中では異色だといえる。もともと落胤のシャルルだから、その顔立ちで出生を疑われたことも一度や二度でない。しかし、彼の性格は間違いなくセジェシスの血を誰よりも感じさせるものであり、彼の顔立ちは生母とされる「サーラ」という名前の女性によく似ているらしい。
 残念ながら、ラダーナは「サーラ」という女に会ってはいないが、カッファやゼハーヴがそういうのだから、きっとよく似ているのだろう。
 ラダーナは一度目を閉じ、それからふと口を開いた。
「殿下…」
「おおっ、やーっと喋った!」
 シャーは歓声をあげてからかうようにラダーナを見た。
「そうそう、あんたは、ただでさえしゃべんないんだから、オレの話の途中で割ってはいってきてもいいんだよ。そうそう、オレなんか止めないと延々と喋っちゃうからね〜」
べらべらと話して、口を開きかけたままとまっているラダーナを見て、シャーは思わず口を押さえた。
「と、ごめんごめん。止めてくれないとしゃべっちゃうんだってば。声を掛けてきたって事は、話があるんだよね。遠慮せずに言っちゃってよ」
「ガラータフのことは…、カッファから聞かれておりますか?」
 噛みしめるように吐き出される低い声に、シャーはうーむと唸る。
「ああ、聞いてるよ。向こうがなんか兵隊出してきたんでしょ。困ったなぁ、オレ、無血開城が理想だから、捕虜つかって手紙まで出してみたのに…。かえって怒らせちゃったのかなあ」
 シャーは踊るような様子で、くるりと振り返るとラダーナに尋ねる。
「ラダーナちゃん的にはなんか、こう、いい知恵とかないわけ?」
 静かにラダーナは首を振る。敵の出方が、いまいちよくわからないのだ。その様子をみて、シャーは「そうかぁ」と言う。
「ま、どうしようもなくなったら、オレが奥の手を考えてあるから、その方法でいけばいけると思うよ。うん」
 独り言のようにいってから、ラダーナの方を見る。
「まぁ、ラダーナちゃんもなんか考えといてね」
 シャーはそんなことを言いながら、へらっと笑った。だが、その兜の下の目がわらっていないことを、ラダーナは知っている。
 彼が、カッファに連れられて城に来たのは七歳の頃だ。九歳になる頃には、すでに初陣を踏んでいる。その時から、ラダーナは彼の姿を見てきた。最初は、戦場に出るだけで泣きべそをかいていた子供が、戦いを重ねるごとにどんどん変わっていっているのを、彼は目の当たりにしているのだった。
 戦闘の回数だけでも他の王子達にくらべて凄まじい差が出ている。おまけに、彼を鍛えた剣の師は、カッファがどこからか連れてきた東方の果ての国から来たという「ザドゥ」という男で、彼に不思議な剣術とその精神を叩き込んだらしい。シャーのどこにその精神が反映されているのかはよくわからないが、いざというときの気持ちの切り替え具合を見ると、やはりその師の教えは彼の中に生きているらしかった。
 だから、シャルル=ダ・フールは、おそらくどの王子よりも戦上手になっているはずで、恐らく戦上手という意味では父よりも上手かもしれない。彼はセジェシスに似ていたが、セジェシスと大きく違うのはその戦法だった。セジェシスは、突撃しか知らない。ただ、彼がいるだけで場がわっと盛り上がり、士気が恐ろしいほど跳ね上がる。
 それはシャルルも同じ事なのであるが、彼はそれだけでなく用兵がうまいのだ。セジェシスの場合は横にあの悪魔のような策士のハビアスがついていたせいもあるのだが、シャルルの側にはあいにくとカッファしかいない。直情径行が目立つカッファは、元々あまり策士には向かぬ男である。
『オレは何も知らないよ。カッファがそうしろっていったからさ。』
 戦いに勝つとシャーはそんなことを言って、へらっと笑っている。だが、ラダーナは薄々感づいていた。彼が使った奇抜な作戦は、カッファの考えるものとは明らかに違う。だが、作戦が成功すれば、自分の手柄だとは言わずに、他の将軍やカッファや下士官を必ず持ち上げて、自分は相変わらず馬鹿なふりをして立っている。
 そして、自分の名声が知れると、王位継承の争いに巻き込まれると思い、戦場では、けしてシャルルとして戦わない。彼は常に「青兜」という名前でもって戦うことにしているのだった。
 ふいに、おーいと呼ばれて、シャーは向こうの方を見た。そこには、ラダーナに敬礼をする小隊の隊長が立っている。
「失礼します。将軍!」
 彼はそうラダーナに断ってから、シャーの方を向いた。
「お前、ラダーナ将軍に迷惑かけるんじゃないぞ。将軍、そいつ、無礼な奴ですが許してやってください!」
「へーい、わかってます〜」
 シャーは隊長に、崩れた敬礼を返しながらけらけらっと笑った。隊長はもう一度ラダーナに敬礼してから、シャーに後で暇なら飲みに来い、と上機嫌で言った。やった、と声を上げるシャーをみて、ラダーナは少し首を傾げる。
「また…」
 ぽつりと口をきいたラダーナを見上げて、シャーは首を傾げる。
「また…殿下は一般兵士と…?」
「ん? あのおっさん、顔はまずいがいい人でさあ。ちょい酒癖が悪いのが難点だけど。 オレは、城でしかめっつらのおっさん相手にしてるより、飲んだくれを相手にしてる方が楽な人種だしさあ、たまに連中と遊んでると、気持ちがこうリフレッシュしちゃうんだよね。あ、でも、ラダーナちゃんは結構好きだよ。しゃべってくれないからちょっとつまんないけどね」
 シャーはそう笑いながら応えて、黙り込んだラダーナを見上げて慌ててフォローする。
「あ、ごめーん、気にしてたらごめんね。でも、ラダーナちゃんはそれでいいと思うなあ。おしゃべりなラダーナってなんか不気味だし」
 微妙なフォローになったが、シャーはそのフォローに満足したのか、うーんと背伸びをした。
「そんじゃ、オレいったん、天幕帰るわ。そろそろ行かないと、カッファがうるさそうだし…。あのオヤジさんもいい人なんだけど、口うるさいんだよねぇ〜」
 鬱陶しそうに言いながら、シャーはラダーナに手を振りながら、きびすを返した。
「また、なんかあったら情報ちょうだい」
 振り返らずに言ったシャーに、ラダーナは、ふと口を開いた。
「殿下……」
 静かにラダーナは続ける。
「七部将の中には、あなたを、快く思っていない者も多い。ガラータフとの戦が終われば、次はリオルダーナの大国が相手になる…。そうすれば、ハビアス殿が、残りの将軍達をここに派遣してくるはず…」
 シャーは振り返る。白目の多い三白眼に、青みがかった丸い瞳が、大した感情も映さずにラダーナを見ている。
「妃達や弟王子と手を組んでいる者もいるという噂のあるものもいる…。あなたを、この機に乗じて亡き者にしようとする者もいる…」
 ラダーナは、ぽつりぽつりと言って、そして目を閉じた。
「殿下、用心なされよ…。けして油断なさることのなきよう…」
 シャーはわずかに笑みを浮かべて、そしてさっと頭の後ろに片手をやりながら振り返った。
「ありがと。ラダーナちゃん」
 どこか複雑そうな笑みに見えるのは、夕日の光の加減のせいだけではない。十七にして、シャーは、すでに権力の渦の中に自分が巻き込まれていることを知っている。彼は少し落ち着いた様子で目を閉じた。
「でも、オレ、あんたよりそういう勘の鋭いほうでさ。誰に好かれて、誰にきらわれてるかってこと…大体予想はついてるさ」
 ため息混じりに目を開ける。影がおちてもあざやかに目立つ瞳が、瞬きしてからラダーナを見た。
「オレの命を狙ってる奴が何人いるんだってこともね。…ま、オレはいつも危ないとこにいるから、ご丁寧に個別に暗殺者をし向けてくる輩がいないだけマシだって言えるかな。あのどぎついおばはんたちは、オレが無茶してその内戦死すると思ってるんだろ? それはそれで好都合だよ。これでも無駄な暴力ってのは嫌いだからな。それに、曲がりなりにも、オレの母御だからね」
 シャーはわざとらしく背を伸ばすと、ラダーナの方に向き直る。
「事が起こんないなら起こんないほうがいいんだよ、絶対に」
 そういうシャーの姿を見ながら、ラダーナは何となく哀れになった。
「昔オレのおっしょさんのザドゥがいってたよ。出来るだけ争いごとは避けるべきだって。それが君子のとる道だってさ。ま、オレは君子になんかならなくってもいいんだけどさ」
 シャーはそういって、思い出すように腰の刀を叩いた。鍔を別にはめ込む形の東方の刀は、かしゃりとわずかに鳴る。鍔がゆるんでいるに違いない。
「このガラータフ攻めが終わったら、事によったらオレが七部将を束ねなきゃなんないこともあるんだろうけど…、まぁ、その時はどうにかするさ。要は、味方につければいいんだろ。オレもこの若い身空で死にたかないし、どうにかしてみるよ」
 にっと笑みを見せて、シャーは言う。どことなく不敵な笑みだったが、ラダーナはシャーにそれだけの策があるのかどうかを知らない。
「ありがとね。ラダーナ」
「殿下ァァ!」
 いきなり怒鳴り声が飛んできて、シャーはびくうっと肩をすくめて、そうっと背後を見る。そして、ああ、とため息をついた。
「なぁに、わざわざ迎えに来たのぉ?」
「当たり前です!」
 走ってきたカッファは、やや息を切らしながらだが、きっとシャーを睨み付けていった。
「斥候が戻ってくる頃だから、一度情報をききに来なさいといっていたでしょうが!」
「え、そうだっけ? そんなの出してた?」
 のんきにきくシャーに、カッファはわずかに頭を押さえる。
「とにかく、今すぐ天幕に来なさい!」
 ええーっ、とあからさまな非難の声が飛ぶ。その言い方からすると、シャーはまっすぐカッファの待つ天幕に帰る気はさらさらなかったらしい。さっきの隊長のところにいって、遊んでから帰るつもりだったのだろう。
「いいじゃん、そんなの後でも〜。どうせ、切羽詰まってないんでしょぉ?」
 シャーは、口をとがらせていった。
「大体、オレ、今ラダーナちゃんとお話中だったんだもの。ね、もうちょっとだけ時間ちょうだいよ。あとで、オレ、自分で帰るから〜」
「そういって、昨日、一晩、酒飲んで踊り倒して帰ってこなかった馬鹿は一体どこの誰です!」
 カッファに睨まれて、シャーは、あは、とわざとらしく笑いを漏らす。
「あら、知ってたの? いや、昨日飲み過ぎちゃってさあ。それに、みんなもリクエストしてくれたもんだから、やっぱここはいっちょ男を見せないとと思って」
「何が男ですか! 情けないッ! 敵がいつくるかわからないというのに、のんきに腹踊りしていた馬鹿が我が主君だとは……。情けない!」
 カッファは額を押さえながら手を仰ぐ。
「え、腹踊りしてたのも知ってるの? っていうか、誰がちくったのさあ?」
 シャーがそうっと覗きやろうとしたとき、いきなりカッファの鉄拳が飛んだ。避ける暇がなく直撃を受けたシャーがひっくり返ったところを素早くカッファが押さえ込む。首根っこをつかまれ、引きずられる形でシャーはラダーナの前から引っ張られていく。
「痛い! カッファ、死んじゃうよ〜! ね、ねえってばあ、ちょっと! あの、いい具合に首にマントが引っかかってるんですけど! ぐへ…!」
 引っ張られて、右手をひくっと痙攣させるシャーだが、ラダーナも見ているだけで助けてくれない。カッファはいよいよぐいぐい引っ張りながら、腹立たしげにぶつぶつ文句を言っている。
「この、馬鹿王子が! 早く来なさい! これ以上恥をさらしたら、正直、私は自分の殺意を抑え切れません!」
「痛いってばあ! 殺意って、もう死にそうなんですけど。カッファ〜、オレ、猫じゃないのよ〜」
 シャーの足が線を描きながら、どんどんひっぱっていかれるのを、ラダーナは黙ってみていた。
 幼い頃から彼を見ていたラダーナはよく知っているのだ。彼を本当の息子のように慈しんで育てたカッファを、シャーはあれでも相当大切にしているのだということを――。
 そして、カッファの身が危うくならないように、シャーがハビアスの難題を文句も言わずに飲んでいることも、薄々感づいてはいた。
 夕日はすでに沈みかけ、赤い地平線の反対側からは夜が迫ってきている。ラダーナは静かに反対側の空を見る。
 さっきカッファは、斥候が戻ってきたと言った。もしかしたら、近い内に敵とぶつかることがあるのかも知れない。
 夜を呼ぶ風に、そう思いながら、ラダーナは静かに自分も自分の天幕に戻ることにした。





一覧 戻る 進む


背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。
©akihiko wataragi