辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2004
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辺境遊戯 第二部 

鏡の向こうのファルケン-3

子供達が、走ってきていた。もう少しで街だというので、直前で一度休憩をすることにしていたのである。キャラバンの中には、十歳ほど子供も数人入っていた。キャラバン隊の連中の子供もいるし、路頭に迷っていたところを保護した子供もいるらしい。
 レックハルドの横にいる、どうやら狼人らしい男は煙管なんぞをくわえて、半睡状態で寝転がっていた。吸っているのは、煙草ではない。イェームが吸っていた例のラキシャだろう。匂いが同じだ。
「せんせーい」
 五人ほどの子供が、ばたばた走ってきて、ファルケンの前にきちりとならんだ。
「これできたよ、見て!」
「オレのほうが先だからな!」
 先に何かを差し出した子供を押しのけて、体の大きい子供がムッとした顔をする。
「こらこら、喧嘩するな。いつもいってるだろ。今日の順番はランダムで決めます。今日は、そうだな、じゃあさしずめ真ん中から!」
 などといいながら、起き上がった「ファルケン」は、子供達が持ってきた布のきれっぱしのようなものを見る。最初に真中の子から、それをうけとった。そこには、くねくねした文字らしき絵のようなものが描かれている。それを見てから、彼はふむと唸った。
「だめ、やり直し〜」
 意外にそっけなくいい、ファルケンは少年に布を突っ返した。
「それ、書き直してな」
「えぇ、なんでだよ!」
 子供が食って掛かった。ファルケンは、煙管を口から外す。
「だって、判別不明だろ」
「ちゃんと手本にそって書いたもん!」
「全然ちがーう。ほら、がたがた言ってないで書き直しっ!」
 子供の言い訳を封じるようにそういって、ファルケンはその子に布を返す。そして、軽くその子の頭を小突くようになでてやりながら、ややからかいの含んだ笑みを浮かべた。
「立派な商人になりたかったら、読み書き計算必須ってオヤジに言われてるんだろ」
「ちぇっ!」
 子供が舌打ちをしたが、仕方なく引き下がる。次はその右隣の子が布を渡していた。
 ファルケンは文字の読み書きができるため、どうやらこの旅の間、つれてきた子供達に字を教えているらしかった。
 次の子も随分ひどい文字である。
「なんで手本どおりにかけねえんだよ?」
 ファルケンがとうとう絶望的な声で言った。前髪をくしゃりとやりながら、考え込む。
「手本がそんなんだったー!」
 むっとして、手に持っているものをさっと掲げた。それにも文字らしき図形が描かれている。
「全然違うだろ! ほらほら、よく見ろって!」
「そんなんだって!」
 子供達が口をそろえて不満そうに言う。違うとばかりに頬をかきやりながら、ファルケンは手持ちのお手本を差し出して見比べてみる。その手本らしい字も大概悲惨な状態だった。
 それをみながら、横で立っていたレックハルドはくっと忍び笑いをもらした。
(そりゃ、お前が手本書いたら、それ見て書いた奴ら、全員ミミズになるわな。)
 心の中でそっとそう吐き捨て、レックハルドは思い出した。ファルケンはなかなか悲惨な字を書いた。レックハルドはどうにか読めたが、時々解読不能の文字があるほどである。その割には、文章はうまいので、何となくアンバランスなのも少し笑えた。
(お前が書いたって無駄だっての!)
 思い切り揶揄してやろうと口を開きかけ、レックハルドは思わずハッとする。
(いや、違う…)
 ゆっくり首を振りながら、そこにいる男をもう一度見直した。そこにいるのは、マジェンダ風の衣装を着た、自信に満ちた表情を浮かべる狼人の青年だった。そこに、あの寂しげな影はない。
 ――こいつは、オレの知っているファルケンじゃない。
 と、レックハルドは言い聞かすように心の中に呟いた。
 

 「サッポー」というのは、キャラバン隊の隊長を指す、マジェンダ草原の言葉である。彼がそう名乗ったという事は、つまりは彼がこのキャラバンの頭領だということだ。
 キャラバンのリーダーの「ファルケン=ロン=ファンダーン」と名乗った男は、そのとき、呆然としたレックハルドにもう一度言った。
「そう。だから、そんな怪しいもんじゃないぜ」
「…キャラバン…?」
 聞き返したレックハルドに、ファルケンと名乗った男は、少しにやりとした。その笑い方は、妙に奥に何か隠しているような笑みだ。彼の知るファルケンではありえない表情だった。
「ああ、狼人がキャラバンの長なんて珍しいってか? はは、まぁ、オレはちょっと変わり者っていわれててね」
 彼はそういい、コートの裾を払って腰に手を置いた。
 レックハルドは、まだこの状況を把握できていなかった。ここまで全く同じ姿で、同じ名前だというのに、この目の前の男はレックハルドの知るファルケンとは喋り方も、態度も違う。それに第一、自分の事を知らないような事を言っているのだ。
「でも、狼人っていうのは、それほど野蛮でもないんだぜ。少なくとも人を食ったりしないから、安心しなよ」
 そんなことを愛想良く語る。その説明をレックハルドはほとんど聞いてもいなかった。
(どういうことなんだよ、これは――)
 人違いなのか、それとも――。
 レックハルドは男の顔をもう一度観察する。レックハルドの反応がないので不審に思ったのか、男は少し首を傾げていた。
 マジェンダ風の服装をしているので、彼が最後にファルケンにやったあのコートと少し似たタイプの服を着ていた。その胸に、羽飾りとビーズで、二重に作ったなかなか派手な首飾りが輝いている。真中には、小さなメダルのようなものがあしらわれていて、金属製の小さなアクセサリーが取り付けられていた。それが、強い陽光の反射を受けて時折光るのが見えた。
「……そうだ、あんたの名前を聞いていなかったな?」
 思い出したように、男はそう訊いてきた。ふとレックハルドは我に返る。落ち着いた色を見せる碧の瞳が、レックハルドを見ていた。そこからは、何か特別な感情のようなものは読み取れない。
「あっ、ああ、レックハルドだ」
 やや慌ててレックハルドは笑顔の男にそう答えた。
 名前を訊かれた、ということで、一瞬で一つの答えが出た。状況がよくわからないもののとりあえずひとつだけわかった事がある。この「ファルケン」という狼人は、レックハルドの事を知らない。自分の知っている「魔幻灯のファルケン」とは別の人間だ。
「そうか、レックハルド。そりゃ、いい名前だな」
 うんうんと、頷きながら彼は感慨深そうにいった。だが、意味を知っての事かどうかはわからない。知っていたら下手するとただの嫌味である。
「オレが見た限り、この周辺に人影はなかったぜ。どこでお連れさんとはぐれたか、見当はつくかい?」
「どこでって…オレは…」
 言いかけて、レックハルドはハッとした。そういえば、自分は湖の中に落ちたはずだ。なのに、服が濡れた気配がない。いくら砂漠が熱いといっても、こんな風にすぐにぱりぱりに乾くなどありえない話だ。
「どうやら、本格的にはぐれちまったみたいだな」
 レックハルドの沈黙を勝手に落胆と解釈したらしく、「ファルケン」は、少しだけ考えてから、レックハルドの肩に手を置いた。
「まぁ、大丈夫だ。この近くに街があるらしい。そこにいけば、きっとお連れさんとも合流できるさ」
 にこっと微笑まれ、レックハルドは、咄嗟にぎこちない愛想笑いを返した。その笑顔に、死んだ相棒を思い出したからだ。
「じゃあ、一人でいくのもなんだろう? オレ達と一緒に街まで同行しないか? 砂漠は一人じゃ色々危ないぜ。この辺、盗賊だって出るってえ話だし」
 イェームは近くにいそうにない。大体、湖に落ちたはずの自分が、こんなところにいるのも理解できない。もしかしたら、夢なのかもしれない。そうは思いながらも、砂漠のあまりにも暑い太陽の日差しが、それは現実だと告げていた。
 ここで、イェームを探し回ってもどうしようもない。イェームなら、きっといないとわかると近くの町を探してくれるだろう。それに、この状況を掴むには、この目の前の、ファルケンによく似た男を分析したほうがはやいような気がした。
「そ、そうだな、じゃあ、一緒に連れて行ってもらおうか…」
 レックハルドはそう答えた。
「そうか、じゃあ、あっちにオレの隊がいるから、ついてきてくれ」
 彼はそういうと、レックハルドを誘導するように軽く手を振って、砂丘を登り始めた。その背格好と、横顔が、近頃、思い切って吹っ切れようとしていた事を再燃させる。
『あんたは――オレを見殺しにしたじゃないか――』
 砂漠の中で見た悪夢を思い出す。あれは、本物のファルケンのことばではないかもしれない。だが、レックハルドが、ファルケンを見殺しにした事に変わりはない。少なくとも、彼自身はそう思っていたのである。そうした罪悪感のようなものや、あのときの光景が、この平和そうに笑う同じ顔の男に重なって見えて、それがひどく辛かった。
 少しうつむき加減のレックハルドに気づいたのか、ふと前を歩いている自称ファルケンが振り返る。顔色を覗き込みながら、少しだけ心配そうなそぶりを見せる。
「どうした? 気分でも悪いのか?」
「い、いや…っ、べ、別になんでもない!」
 不意に訊かれて、レックハルドは慌てて顔を上げた。
「そうか、…でも無理はしねえ方がいいぜ。あんた、倒れてたみたいだし、もしなんか調子悪かったらオレに言えよ。遠慮する事はないんだぜ?」
 そういいながら、思い出したように遠くを見る。視線の先は、彼のキャラバンがいる方向だ。向こうに人とラクダが、見えていた。急に彼はああっ! と声をあげた。向こうでは、リーダーがいないのをいいことに、さぼってラクダの影で寝ている奴すらいる。まじめに荷積みしているものはほとんどいない。
「あいつらっ!」
 ファルケンは、声を上げて今度は右手を上げて叫んだ。
「こらぁッ! まじめに働けっ! もう出発させるぞ! お前らに今夜酒おごってやるのやめたからなっ!」
 リーダーの声が届いたのか、慌てて連中は起き上がった。ばたばたしながら、急に熱心に働き始める。
 彼はレックハルドに向き直り、言い訳するように言った。
「全く。性根がなまけもんでな。でも、ま、どうしようもねぇ連中なんだが、悪い奴らじゃねえんだよ」
「そ、そうか」
 曖昧に答えながら、レックハルドは彼の顔を見なかった。うつむくと、死の砂漠とは少し違う質の砂が、靴に踏まれて、ざくりと鳴るのがわかった。
 





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