辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2004
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辺境遊戯 第二部 

鏡の向こうのファルケン-2

何となく向こう側の見通しが悪くなっていた。黄色いもやのようなものが、地上から空高くまでかかっている。
「砂嵐か?」
 レックハルドは、水を口に含みながら訊いた。イェームは、少し表情を曇らせる。
「ああ、だったら厄介だな」
「ああ。どこか、ちょうど身を隠せるようなところを探しておいたほうがいいかも知れねえが…」
 レックハルドは言った。多少の砂嵐なら、そのまま突き進んでいけばいいのだが、この風がきつくなるとしばらく待機しておいたほうがいい。だったら、いい退避場所を考えておいたほうがいいということである。
「じゃあ、ちょっと探してくるよ。待っててくれ」
 珍しく気を利かせたのか、イェームが立ち上がった。その背を見送りながら、ああ、と返事をし、レックハルドは湖を覗き込んだ。澄み切った水の中には、何か命の痕跡が感じられなかった。綺麗過ぎて、むしろ何もないように見える。鏡のようになったそれは、レックハルド自身の顔をはっきりと映していた。
 砂で汚れたしろいターバンに、いつもの自分の顔が映っていた。少し細い目に、悪党にも見えるかもしれない顔立ちは相変わらずだ。ふうとため息をつく。じっくり眺めた事はあまりないが、それにしても旅に出た割りには、変わり映えのしない顔だと自分で思った。辛い思いをしても、結局自分は何も変わっていないのかもしれない。そう思うと何となく哀しかった。
 ふいに湖面が風もないのに揺らいだ。映った自分の顔が、乱れ、そしてもう一度鏡のようになる。だが、そこに映ったのは、いつか、彼の夢の中に出てきたあの男のようだった。真っ黒な服を着たレックハルドと同じ顔をした男の顔が、その水面に映し出されていたのである。驚いて、息を呑んでいるレックハルドの前で、その男はにやりとした。同時に、彼の手がそっと水面の中で伸びるのがわかった。
「な…!」
レックハルドが逃げようとしたが、すでに遅かった。ざばりと水を割り、突然そこから手が伸びてきて、レックハルドの襟をつかんだのである。
「うわっ!」
 自分の影に袖をつかまれ、そのまま湖の中にすごい力で引き込まれる。必死に抗ったが、バランスを崩したのが早かった。そのまま引きずられ、ざばーんと大きな水音としぶきをたて、レックハルドの身体は湖の中に落ち込んだ。
 けたたましい水音で、慌ててイェームはそちらを向いた。
「ど、どうしたんだ!」
 慌てて叫ぶが、レックハルドの声は返ってこない。それどころか、急に視界が悪くなった。黄色い渦のようなものが、湖の向こう側、砂漠の向こう側からやってくる。
「砂嵐…? そんな! さっきは地平線のほうだったじゃないか!」
 イェームは少し青くなり、慌ててレックハルドのいた方向に走り始めた。これは、異常だ。何か起こっているに違いない。
 湖のほうの視界もきかない。レックハルドが、水の中にいるのか、それともほとりにあがっているのかすら確認ができなかった。
 風が強い。イェームの大きな身体ですら、まともに立っている事は困難になってきた。風の吹く方向に身体を屈めて抗いながら、イェームは進む。
「レックハルド! 無事なら、返事をしてくれ!」
 この風では声も届かない。それがわかってはいたが、イェームは大声で叫んだ。黄色の砂の塊が、強い風と共に襲ってくる。まるで雪崩のようだ。
 イェームは恐怖を感じ、とっさに顔の前を両手でかばった。
「レッ…ク……!!」
 それ以上はイェームもいえなかった。そのまま、黄色い渦が一斉に彼に襲い掛かってくる。イェームは慌てて身をかがめた。その彼の上に、黄色い砂が覆いかぶさっていった。




ようやく砂嵐が収まった。一面黄色い風が吹き荒れていたそこは、ようやく視界を取り戻す。
 一面の砂の中から、ごそりと何かが動いた。砂だと思ったそこには、ちゃんと人がいたようである。ただ、どうやら砂を被って同化したように見えただけの事だった。砂をざあざあ落としながら、半分立ち上がった塊は袖の砂を払った。 
「げはっ! あーまじぃ、砂飲んじまった!」
 そういって口の中に混じった砂を吐き出しつつ、その砂を被った男が、盛大に砂を撒き散らしながら立ち上がる。どうやら、かなり大柄らしく、かぶったその砂の量も半端ではなく多い。服の中に入った砂を払い落とし、また、顔に巻いた布を外しながら、周りに目を配った。
「おーい、皆、無事か?」
 やや鋭い目をしているが、何となく愛嬌があるので恐くは見えない。どことなくおっとりとしたのんきな雰囲気があり、こんな災難にあった後にしては余りにも元気だった。
「何とか…」
 下の方にいる青年が、砂をよけると、ひょろひょろした声を上げた。その背後では更にラクダと人と荷物が砂を被って黄色く染まっているのが見えた。とりあえずは無事のようである。彼らはどうやら砂漠を行き来するキャラバンの一隊のようだった。
 男はここのキャラバンのリーダーらしく、全体に眼をやって数を数えた。人数が足りているらしい事を確認して、ほっとため息をつく。
「まぁ、はぐれた奴もいないようだし、よかったよかった」
「砂だらけになってよかったとかよくも言えますね」
 青年はため息をついた。部下らしい青年は、異様にタフな頭領を半分あきれるような目で見ていた。男は青年を無視したのか、それとも最初からきいていなかったのか、あごひげをなでながら、部下の様子を見た。疲労困憊といった感じで、みな、何となくへろへろしている。
「なんだか、このメンバーになってから砂嵐だの、流砂だのに遭う事が多くなったんじゃねぇか。どこかに運の悪ーい奴が混じってんじゃねェだろうな」
 やや伝法な言葉遣いだが、言葉遣いほど乱暴なイメージがないのは、少しのんびりした男の喋り方のせいかもしれない。
「で、あとちょっとあれば出発できるよな?」
「何無茶を言うんですか?」
 青年は、あきれ半分に彼に言った。後ろのキャラバンの仲間達は、みな大変そうである。必死で散らばった荷物を直したりしながら、自分もかなり疲れているので砂の上に座り込んでいるものもいる。
「ラクダの積荷をやりなおさなきゃならないし、それでなくても連中も疲れ果ててますよ」
「は〜、そうか。そいつぁ、困ったね」
 全然困っている気配もない。ひどい生返事である。どこまで本気なのかわからない。青年はやりきれなくなって肩をすくめた。
「まあ、急がなければならない場所ではあるんでしょうけど。ここは盗賊の溜まり場だってききましたよ」
「うん、まぁな。でもどうしようもなかったら、それはそれで仕方ないし。もうちょっとしたら宿場町につくしな」
 男は軽い口調で返す。
「で、その前に、盗賊が出てきたら出てきたらで、そのときはつぶしていくしかないよな。まぁ、ちょっとは覚悟しとけ」
 いい加減な事を言って、男は長い上着の前を開いて、腰の帯辺りに差した剣の柄に手をやる。男は背中に両手もちの巨大な剣、腰は腰で片手もちの長剣、そのほか短剣を二、三本つるしているのが見える。のんきな割には、結構な重装備だ。とりあえずは、彼が戦ってくれそうなので、青年は何となくほっとする。この体格とこの装備とこの性格で、もしとんでもなく弱かったらそれは詐欺に近い。
 不意に男は遠くに目をやった。少しだけ目を細める。何かを見つけたのかもしれない。
「どうしましたか?」
「あそこに人が倒れてるみたいだな」
 そして、ちょいと青年に視線を投げやる。嫌な予感がして、彼は身を引いた。男は予想通り、天真爛漫な笑みを浮かべて言った。
「お前、ちょっと行って助けて来い」
 思ったとおりの言葉に青年は首を振った。すっかり疲れているから向こうまで歩きたくないのもあるし、それに大体さっきここには盗賊がいるといったばかりである。もし、それが盗賊の罠だとしたら――。道で倒れている人間を助けようとして、みぐるみはがれる話しなど、世の中にあふれかえっている。
「そ、そんな…。盗賊だったらどうするんですか? いきなり切りかかってきたら…」
 青年は不安そうな顔をした。男は軽く肩をすくめる。
「あぁ? 切られたら、手当てしてやるから安心しろ。これも修行の一環だな。度胸をつけるために行って来い。お前はどうも度胸がねぇみたいだし!」
 案外厳しい事を言う。青年は慌てて首を振った。その様子があまりにも哀れなので、さすがに男も前髪をかいた。
「そんなに嫌なのか。…ったく、仕方ねえなあ。しょうがねぇから、じゃあ、オレが助けてくるからこの辺で待ってな」
 一人元気な男は、その大柄の身体をひょいとそちらに向ける。紺色の長いコートが翻り、金で縁取られた呪術めいた文字がコートの裾ではらはらと揺れた。相変わらず、煙管をくわえたまんま、彼はざくざくと砂を踏んで進む。
 そして、ふと片目を細めた。何となくくわえていた煙管を口から外し、あごひげを一度なでる。
「なるほどね」
 彼にしかわからないつぶやきを一言つぶやいて、男は再び歩き出す。その向こうに倒れているのは、濃紺のコートをきた若い青年のようだった。


 どこかから響いてくる人の声のようなもので、レックハルドは目をあける。熱い砂を随分顔につけていたのか、危うく火傷しそうになっていた。
「あちちっ!」
 慌てて頬を離しながら、レックハルドは手を突いた。砂を払い、よくもこんなところで気を失って入れたものだと感心する。もう少しで火傷するとこだった。
 砂を払いながら、レックハルドはある事を思い出し、はっと顔を上げた。さきほど、確か湖の傍で水を飲んでいたとき、湖の中に誰かの顔が見えたはずだが――…。 
「そ、それに…、…オ、オレは、水の中に落ちたんじゃあ…」
 だったら、ここはどこだろう。レックハルドはきょろきょろと辺りを見回す。周りには砂しかないが、先ほどの場所と何となく違っているような気がする。それに、落ちたはずの湖が見当たらないのだ。
「イェーム…。どこいったんだ?」
 不安になり、レックハルドは膝を突いて起き上がると、砂を払った。頭にも服の中にも随分と砂が入り込んでいる。もしかしたら、砂嵐でもあって、それで地形が変わったのかもしれない。それにしては、変わり過ぎの感もあるが……。
「おーい、そこの人」
 急に声が聞こえ、レックハルドはびくりとした。死の砂漠はそもそも人が通りかかるはずのない砂漠だ。イェームはともかくとして、他の誰かから声をかけられるなどありえない。
 そう思いながらも、レックハルドは、やや緊張しながら振り返った。砂丘を、ざざっと足を滑らせながら降りてくる男が一人いた。ちょうど光の照り返しがきついところにいるので、目を細めてみても男の容貌はわからない。だが、一応は人間のようだった。すぐに襲ってくる気配もないので、レックハルドは少し安心してゆっくりと立ち上がった。特に怪我などはないようで、どこも痛いところはない。安堵している間に、男がこちらに駆け寄ってきていた。
「ひどい砂嵐だったな、大丈夫だったかい?」
 優しく声をかけられて、レックハルドは顔を上げる。どこかで聞いたような声だったが、特には気にもかけなかった。それよりも、砂嵐という言葉が気にかかる。もしかして、自分が水の中において気を失っている間に砂嵐が起こったのかもしれないと思ったからだ。だとしたら、イェームとはぐれた可能性が高い。
「ああ、オレはなんとか。それより、オレの連れ…」
 顔を上げながら、イェームを見なかったかどうか聞こうとした。だが、彼の言葉はそこで途切れた。
 レックハルドははっと息を呑み、目の前の男を凝視した。今は近くに寄ってきている男の顔がはっきりと見えていた。緑がかった金髪に、透明な碧の瞳がこちらをみている。頬には赤い顔料で独特の模様が描かれ、金物の煙管をくわえて、大柄な身体をわずかに傾がせたまま突っ立っている。狼人だ。だが、レックハルドが驚いたのは、男が狼人だということにではない。
 その男の容貌が、絶対にここにいるはずのない男と全く同じだったからだ。
 鋭いようで、でも穏やかな瞳と、そして狼人にしては割合精悍な風貌。のんびりした感じのする表情に、いつもながらのメルヤーがいつものように描かれている。
「お、お前……ファ……ファル…!」
 名前を思わず飲み込んだ。そんなはずはないからだ。たとえ、姿が同じだとしても、ここに彼が現れるはずもない。あの時、ファルケンは確かに死んだ。ここに現れるはずもない。
 レックハルドは目を皿のようにして相手を見た。イェームかもしれないと思いながら、だが、素顔をさらさないイェームが平気でこんな事をしているはずもないとも思った。それに第一、はっきりとイェームではない証拠が彼にはある。
 男は、肩に荷物入れを担いでいた。その荷物入れに、あの見覚えのある、魔幻灯がちゃんと引っかかっているのである。見覚えのある傷跡が、金属でできたとっての辺りに刻まれているのも、ファルケンが持っていたあの魔幻灯とそのままだった。
 混乱としかいいようのない状態のまま、真っ青な顔をして、レックハルドは震える口でどうにか声を出す。
「ど、どうしてここに…いるんだ…! どうして、お前がここに…!」
 くっと男は笑う。人のよさそうな顔だが、何となくしっかりとした印象もある。見覚えのある顔で、全く見覚えのない表情をしながら、男は言った。どうやら、彼はレックハルドの言った言葉を、この砂漠で人がいることを不思議がっていると勘違いしたようだった。
「あはははは、ここにどうして人がいるのかって? まさか、あんた死の砂漠じゃないんだから…、ここに旅人が通りかかっても当然だろ。オレ達みたいなキャラバンとかな。ここは、カルヴァネスの西のデラビュ砂漠だぜ。お兄さん」
 死の砂漠ではないといわれても、レックハルドには何の事かわからない。死んだはずの男を前にして、レックハルドはただ男が自分の反応を見ながら、楽しそうに笑い飛ばすのを黙ってみていた。
「なんだァ、顔色悪いな。砂でも飲んだか? ゆーれーでも見たような顔はしなさんな。安心しなよ、ホントにオレは別に怪しいもんじゃねぇぜぇ」
 やけに伝法な、ちょっと絡むような言葉遣いで、明るく男は言った。
「オレは、ファルケン=ロン=ファンダーンッてな、このキャラバンのサッポーだ」





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©akihiko wataragi