夕方の暗がりの街は、そろそろ様相を変え始めていた。道を歩く人たちは、先程までは買い物帰りの親子連れだったが、今は街の盛り場で酒でもひっかけてこようという男達が多く見られる。
 ゼダは、いつもの曲がった剣を腰に落としていたが、先程まで刃を巻いていた布を、いつの間にか外していた。それにどういう意図があるのか、リーフィはわからないが、朝のことがあるので警戒しているのかもしれない。
「もう、ここでいいわ」
 先を歩いていたリーフィは、酒場の方に向かう角の前で、振り返ってゼダにいった。ゼダは、相変わらず上着に袖を通さずひっかけたまま、ゆらゆらと歩いていた。それが彼の癖で、もっとも過ごしやすい格好なのだろう。普段の自分を抑える意味も含めて、ゼダは大人しくしている間は、上着に袖を通すのかもしれない。
「……そうだな、これ以上はいかねえほうがいいだろうよ。オレも、こんな態度であんたのとこの酒場の連中に顔を覚えられちまったら、後々不便だからな」
 ゼダは、へへへと目を伏せるようにして笑いながらそういう。
「今日は、あれこれありがとう。」
「飯をおごって話をしただけだろ? あんたみたいな美人と同席できたんだから、オレの方が礼を言いたいね。意外かもしれねえが、オレは、連中と違ってあまり公然と酒の席にはでられねえから、あんたみたいな美人と口をきいてもらえることはすくねえんだよ」
 ゼダは笑いながら言ったが、リーフィは少し心配そうに眉をひそめた。
「でも、ベイルは、あなたに恨みを抱くんじゃないかしらあなたに、迷惑がかかるようだったら……」
「おいおい、オレは元々、やくざすれすれの世界で生きてるんだぜ。心配は無用だろ?」
 ゼダは笑い飛ばすと、リーフィをのぞき込むようにした。
「アンタは、そんな心配しなくていいんだよ」
 ゼダは、不意に柔らかに笑った。それは、今まで見せたことのない妙に頼りがいのある、純粋そうな笑みだ。
「アンタは、オレ達みたいな生き方の奴と関わる人じゃねえ。……だから、そんな心配する必要はねえんだよ」
 そういってゼダは軽くリーフィの肩に触れた。リーフィは、そのゼダの顔を上目遣いに見上げながら、静かに言った。
「あなた、やっぱりなかなかの遊び人ね」
 ゼダはいきなりの言葉に少し驚いたようだったが、ふと目を伏せて笑った。
「そりゃ褒め言葉とってもいいのかい?」
「かも……しれないわ」
 リーフィがそう答えるのを聞いて、ゼダは曖昧な笑みを浮かべる。そして、ふいに何でもないことのように聞いた。
「あの三白眼のことは、好きかい?」
「そういうんじゃないわ。そうね……強いていえば」
 リーフィは首を振って、ふと少しだけ悪戯ぽくわらったような気がした。
「秘密を共有しているという点では、共犯者と言うところかしらね」
「ヘッ、いい答えだな。気に入ったぜ」
 ゼダは、目を伏せるようにしながら笑い、そっと懐から煙管を取り出してくわえる。それに火をいれようとしている彼を見ながら、リーフィは思い出したように言った。
「あなたも、……変な人ね」
「そうか? オレはきわめてまともなつもりだがよ。……さあ、早く行った方がいいんじゃねえか」
 ゼダは煙草に火を入れて、それをゆっくりと吸いながら告げた。リーフィはうなずく。そろそろ仕事が始まる頃だ。
「ええ、そうさせていただくわ」
 リーフィはそういって、角を曲がろうと身を翻した。と、その時、
「ああっ! リーフィちゃん! こんな所にいたの!」
 不意に聞き覚えのある高い声が聞こえ、リーフィは顔をあげる。明るい大通りから慌てて走ってくる、背だけが高いひょろりとした男の姿が目に入ったからだ。薄暗い中で彼は心底心配そうな顔をして、なにかあったら大変だといいたげに慌ててリーフィの元に走り寄ってきた。
「シャー、どうしたの?」
 リーフィが聞くと、シャーは、やや焦ったように続けた。夜目にもわかるくっきりとした三白眼が妙に印象深い。
「いや、酒場に来るのがちょっと遅かったから、心配になったんだ。なにかなかった? 大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ。ありがとう」
「そっか、それはよかった……」
 シャーはほっと胸をなで下ろし、不意に後ろにいる人物を見た。そして、わずかに顔色を変える。
「へえっ、……久しぶりだな、三白眼野郎」
 ゼダが煙を吐きながらそういうのを待たず、シャーは、リーフィを背後にやると、ざっと足を一歩前に出し、低い姿勢のまま右手で腰の刀の柄を掴んでいた。
「てめえっ! ネズミ!」
「誰がネズミだ!」
 ゼダは、不満そうに眉をひそめた。
「オレのどこがネズミだ?」
「ケッ、お前みたいにこそこそしてる奴はネズミでいいんだよっ! 親のすねはすでにかじってるし!」
 シャーは、珍しく早口でまくし立てた。


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