もしかしたら、ラタイの目には、先ほどジャッキールの背後にたたずんでいた冷たい女の面影が、リーフィとかぶったのかもしれない。折れたメフィティスを振り回すラタイの叫びはもはや悲鳴といってもよかった。
「リーフィちゃん!」
シャーは、振り向きざまに剣を抜いて走るが、すでにラタイはリーフィを捉えていた。
ジャッキールに期待するのは無理だ。あの様子だとすぐには動けない。また、動けても自分の方がリーフィに近い位置だから、今更どうにもできないはずだ。
折れた剣でも刃は残っているし、人は殺せる。リーフィもラタイの行動に気づいて、はっと身を引いたが、それだけでは避けきれない。もう少しで剣が届くというときに、いきなり闇に影が躍った。
「往生際の悪い奴だ!」
いきなり、声が割り込み、夜の闇にまぎれ、黒としか見えない上着がラタイの目前を覆った。それでも最後にラタイが伸ばした手がリーフィのほうに伸びていく。
リーフィの鼻先を折れた剣が掠めそうになったとき、彼女の前に別の方向から来る鉄の光が飛んだ。間一髪それを弾き、シャーは、リーフィをかばうように背にして間に割り込み、そのままメフィティスに一閃して剣を思いっきり弾いた。
ラタイは目の前を覆う布と、シャーに押された力でよろけ、そして、そのまま倒れこむ。すばやく、リーフィを後ろにやりながら、シャーは息を切らしながら聞いた。
「だ、大丈夫、リーフィちゃん」
「え、ええ、ありがとう」
シャーは、月光でリーフィに怪我のないのを知り、ようやく胸をなでおろすと、倒れたラタイの方を見る。布に覆われ、顔は見えなかったが、再びあきらめたのか、彼は静かになっていた。
しかし、問題は、さっき飛んできた布だ。闇の中では、真っ黒に見えたが、月光にさらされるとそれは綺麗にそめられた真紅である。
「こいつは……」
シャーが、そうつぶやきかけたとき、不意に聞き覚えのある声が聞こえた。
「へへ……。アブねえところだったなあ?」
そういって、近くからふらりと姿を現したのは、ゼダである。羽織っていた上着を、とっさに投げつけてきたのだ。
「て、てめえ」
「全く、気をつけろよな。見学してたんだが、危なっかしくて見てられなくなってよ。そいで、ちいっと手を貸したってわけだよ」
ゼダはにんまりと笑った。シャーは、ゼダに助けられた形になって、少々むっとした顔である。
「前々から思ってたんだがよ、お前、最後の最後にちょっと油断する癖があるよなあ?」
「な、何だと! い、今のは、オレっていうより、ダンナが……!」
ゼダに言われて、シャーは、場をよまず、思わずそんな言い訳をするが、ふと、リーフィが、背後からシャーの肩を掴んできたので、ふとその文句をとめる。
「ど、どうしたの?」
「あの人、……変だわ」
「変?」
そういわれて、シャーはラタイの方を見る。ゼダの赤い上着を頭からかぶった形で倒れている彼は、全く身じろぎしなかった。シャーをからかっていたゼダも表情が変わる。
ゼダは、左手に持っていた刀でラタイにかけた自分の上着を引っ掛ける。ぱっとそれが跳ね除けられた瞬間、赤い光景が月の光に照らし出された。リーフィが息をのむのがわかったが、さすがに彼女は悲鳴を上げなかった。
転んだときに、メフィティスの破片が首に刺さったのか、ラタイは、そこで喉を突いた形で死んでいた。
「それとも、……自殺か?」
一応つぶやいたが、シャーは、妙に納得できなかった。はずみであれ、自殺であれ、なにか、妙な因縁を感じさせるものだった。
(心中……)
そんな言葉が、シャーの頭をよぎる。
心中というより、無理心中。いいや、結局殺されたといった方がいい。この男は女に取り殺されたのだ。美しき毒婦といってもいい剣に。
「死んだのか?」
ジャッキールが、剣を収め、左肩をかばいながらこちらに歩いてきた。その顔は、どこか悲痛な色を帯びていた。
「……俺は機会を与えたつもりだったのだがな……」
ジャッキールは目を伏せた。
「だが……剣に魅入られた男の最期など、所詮このようなものか……」
ジャッキールは、長くため息をついた。その瞳に、どこか、切なげなものが漂って消えた。
久々にすっきりと気分のいい朝だった。
天井が見えるということは、家の中である。ふかふかというわけではないが、それでも、旅の身の彼には十分な寝床と、どこからか、料理の温かい香りがした。
(宿か……)
ジャッキールは、ため息をつく。
昨日は宿に泊まったのだっただろうか。ジャッキールは、額に手をやりながらそんなことを考えたが、ふと、その思考を声が邪魔した。
「あ、目が覚めたかしら」
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