ジャッキールは、そのまま斜め下から剣を流すように上に跳ね上げ、勢いを借りて、メフィティスの、鋭く欠けた部分にたたきつけた。ラタイは、正面からそれを受け止めた。そして、それは確かに受け止められた、はずだった。
しかし、ジャッキールの行動は、まさに「それ」を見越してのものだったのだ。ジャッキールは、相手が受け止めるのを見越して、わざと強引に飛び込んできたのだ。そして、ジャッキールの計算は、図に当たった。
下から跳ね上がったフェブリスは、ラタイの構えていたメフィティスの刀身に受け止められたように見えても、勢いがとまらなかった。ジャッキールがそのまま駆け抜けたと見えたとき、ラタイの手に、今まで感じたことのない衝撃が、痺れのように走った。そして、彼は、美しく貪欲なつるぎの刀身が、真横にずれたのをみた。
鋭く空気が切れて音が鳴った。それは、女の断末魔の悲鳴のようだった。
「決まった……!」
シャーが、ぽつりとつぶやいた。途端、魔剣の刀身は、月の中心に弾き飛ばされ、冷たい光を浴びながら、やがて砂の地面に落ちていった。
ジャッキールは、近くの廃墟の壁に長身を持たせかけると、左肩を抱え込むようにして低く呻いた。剣をそばに立てかけたジャッキールは、それを握ろうとしなかったが、剣を握る理由がないことを、すでに彼は悟っていたのだ。
ラタイは、ただ、折れた剣の柄だけを見て、呆然としていたからだ。
勝負は、すでについたのである。
「馬鹿な……」
ラタイの震えた声が、響いた。視線の先には、メフィティスの残骸が、砂の上で無残な姿をさらしていた。かつての輝きは失せ、まるで別の剣のようだった。いいや、もはや、ただの金属の塊にしか見えなかった。
ラタイは狂乱したように叫んだ。
「嘘だ! そんなはずはない! 師匠の作ったこれが一番の出来だったはずだ!」
「そうだな」
ジャッキールの少しかすれた声が、割って入った。
「出来だけでいうなら、それが最上だった。貴様の見立て通り、その出来は、フェブリスよりもいい」
ジャッキールは、少しつらそうな息をついて続けた。
「そうだ! だったら、何故……」
「剣など、折れるときは折れる。……おまけに貴様、このごろ、手入れを怠っていただろう。それは随分いたんでいたようだが……」
ジャッキールは、静かに言った。
「……大体、その剣は使いづらすぎた。何事も、持ち主との相性でな。それは、ハルミッドが自分のことばかり考えて作ったからそうなった……。だから、誰にとっても使いづらい剣だ……。剣は自分の意に沿ってこそ剣だ。使えないものは、実戦で何の役にもたたない。ハルミッドの意向とは、結局そこで外れてしまったのだ」
ジャッキールは、少し切なげな様子で続けた。
「俺でもその剣を握らなかった理由を、少し考えてみればわかるはずだろう。それが貴様にはわからなかったのか?」
ラタイは、呆然としていた。ジャッキールは、そのままかろうじて建物に身を寄せてたたずみながら、告げた。
「……ハルミッドには世話になった。ハルミッドは貴様をかわいがっていたのだがな……。いまわの際に、奴は貴様を殺せとは言わなかった。剣をどうにかしてくれといっただけだ。……俺はハルミッドとの約束は守ったが、その約束には貴様を殺すことは入っていない。俺は貴様に手を下すことはしない。後は……、自分で考えて責任を取れ」
ラタイは返事をしない。うなだれて剣を見つめる彼は、彫像のように全く動きもしなかった。
「……ジャッキールさん」
リーフィが、心配そうにジャッキールのほうに歩み寄る。左肩をきつく押さえたジャッキールは、真っ青な顔をしているように見えたのだ。シャーは、リーフィと一緒にジャッキールの様子を見に行こうとしたが、一瞬、背後のテルラのほうが気になった。
ジャッキールとラタイの勝負の間、ずっと黙って彼らを凝視していた彼は、今は、ラタイの方を呆然と見ていた。兄弟子の凶行だったという衝撃が強かったのか、どこか虚脱したような不安定さがあった。もしかしたら、うなだれているラタイより、何かしでかしそうで不安な印象があった。
「おい、あんた……」
シャーは、思わずテルラに声をかけた。テルラは返事をしない。シャーは、一歩、彼の方に足を寄せた。
そして、それは大きな間違いだったのだ。
シャーは、たった一歩、テルラのほうに寄っただけだったが、それでも、それは十分隙になった。一瞬、リーフィから目を離してしまっていることに、彼は気づかなかった。
「何をしている、アズラーッド!」
ジャッキールの声が飛び、シャーは、はっと我に帰る。
「奴から目を離すな!」
その瞬間、ラタイの姿はリーフィめがけて飛んだのだ。
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