「貴様には、わからんだろうな。俺はかつて一度死んだのだ。一度死んだ男というのはな、理由さえできれば、二度死ぬにためらう理由がなくなる。いいや、死に場所を探して生きているようなものかな。今生きているのは、あのときに死に損なっただけのことだからな」
「死に損なったのは、オレも同じだ。だからって理由にはならないぜ」
「まあ、聞け、アズラーッド」
ジャッキールは、怒りの色を浮かべるシャーをとどめるように言った。
「こんな俺でもな、かつては、まともだったことがある。なるべく敵ですら殺すのをさけ、人を信頼して生きていた。命令が下れば、誇りと理想の為に死に物狂いで戦った。だから、上から下される命令に、俺は疑うこともしなかった。気が合わなくても、皆仲間だと思っていたし、俺自身も奴らと語らっていた理想を真剣に信じていた。……あの時は俺も若かったからな」
ジャッキールは、少し苦笑し、すぐに目を伏せた。
「だが、それは俺の甘さだったのかもしれん。そのせいで俺は部下を全員失い、俺自身も生死の境をさまよった」
ジャッキールの思わぬ言葉に、シャーは、黙り込んでしまった。ジャッキールは伏せていた顔を上げた。
「アズラーッド、あの後、俺は、人を殺すことをためらわなくなった。いや、それどころか、何人斬ったか、直後にもう頭に残らなくなった。もちろん、罪悪感など、毛の先ほども残らない。ただ、斬ったという感覚が残るだけだ。だから、歯止めが利かなくなった。心の赴くままに相手を斬り捨て、その快感に酔うようになった」
ジャッキールは、一息ついて、少し小さな声で言った。その表情は、おどけるわけでもなく、どこかさびしげなほど真剣だった。
「もしかしたら、俺は、何か人間として大切なものを、あの時に壊したのかもしれない」
シャーは無表情で黙っている。ジャッキールは目を伏せて笑った。
「貴様には、俺の気持ちはわからんだろうな、アズラーッド。いいや、貴様は永遠にわからんほうがいい。知れば俺のように、いいや、貴様は俺どころでなくなるだろう。貴様が生死をさまよったとき、貴様には守るべきものがあったのだろう? ……だから、貴様は死なずにすんだ。そのとき、すでに、俺には誰もいなかったからな」
ジャッキールの冷ややかな笑みは、冷酷さも皮肉さも感じられなかった。
「だが、自らを投げやりに他人の為に尽くすのはよせ。……俺はもともと何もなかったから、これだけで済んだが、何か持っているものが一度にすべてをなくすと脆い。貴様は、もっと自分に執着したほうがいい」
「なんで、オレにそんなことを言う。……あんたはオレを殺そうとしていたんだろう?」
シャーは、不機嫌な顔のままそう聞く。ジャッキールは、薄く笑った。
「さあ、何故かな? ……もしかしたら、俺には今の貴様がうらやましいのかもしれん。貴様が死のうが生きようがどうでもいい。……ただ、生きている間は、貴様に俺のようになってほしくはない。……なぜか、ふと、そう思っただけだ」
ジャッキールは笑うと、ため息をついて、足を進めた。シャーは、もう何も言わなかった。ジャッキールは、だから、と言葉を継いだ。
「もはや俺にとっては、貴様の問いは無意味なのだ。アズラーッド・カルバーン。残念だな。十三年前、あの時に、そう問われれば、俺ももう少し違った人生を歩めたかもしれないが……」
もうすべては手遅れなのだ。ジャッキールは、そう声には出さなかったが、シャーにはそう聞こえた気がした。
「さて」
ジャッキールは、ラタイに笑いかけた。
「待たせたが、貴様もそろそろ、覚悟ができただろう。いい時間だ」
ラタイは、答えない。
「俺がハルミッドに変わって引導を渡してやる」
「何をいい気になってる。……今のお前に、そんなことができるものか!」
「……だったら、先ほど、俺とあの三白眼が話している間、飛び掛ってこられなかったのは何故だ? あれほど隙を見せていたのにな?」
ジャッキールが問うと、ラタイはびくりとした。
「貴様、俺が恐いのだろう。たった一日、二日とはいえ、貴様に剣を教えたことがあるからな。俺の力は知っているはずだ」
ジャッキールは、剣を握った右手で軽くマントを払って、足を広げた。
「きっかけがなくては、俺に斬りかかってくる勇気が出ない。そうだろう? ……だったら、俺が機会を与えてやろうか?」
薄く笑みが唇に広がった途端、ジャッキールの右手が、ふわりと動いた。ひどくゆったりとした動きに見えたのは、目の錯覚だったのか、それとも、本当にジャッキールは単に手を上げただけだったのか。
だが、ラタイには、 そのゆったりとした動きが、ひどく危険なものに見えた。ジャッキールが、右足を軽く踏み出す前に、ラタイは反射的に彼へ飛び掛っていた。
「やはり、な」
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