「あの男は、頭の箍(たが)が外れているからな。剣を握ると後先のことが考えられない。だからこそ、わなにはめやすいんだがな。あいつは、とっくの昔に狂っているのさ」
剣がかたかたと軽い音を立てていた。まるで剣もあざ笑っているようだ。
「ああいう狂った奴は、死んでもらったほうが世のためだ。あいつは人を殺すことをなんともおもっちゃいないんだからな。フェブリス(あんな剣)を持つ資格もない。だから、すべて背負って死んでもらうことにしたんだ。そのほうが、世の中のためだからな!」
「あなた……卑怯だわ」
突然、リーフィは言った。その声に、男はぎくりとした。
「あなたはジャッキールが狂っているといったけれど、あの人は少なくとも、自分の行いを人になすりつけて逃げたりはしないわ。それに、あの人は、斬ってはいけない人を斬らない。……あの人が斬るのは、自分と同じ舞台に上がった戦士だけよ。それをあなたは、自分の為に無差別に人を殺し、おまけにその罪から逃れるつもりなのね」
リーフィはいつになく饒舌だ。まるで鉄でできたように、表情がまったく変わらない外見からはわからないが、彼女なりに憤りを感じているのかもしれなかった。
「あの人は、確かに壊れたところがあるのかもしれない。けれど、あなたは、卑怯だわ! あの人の足元にも及ばない!」
「黙れ!」
リーフィの声に、刺激されたように、男は叫んだ。
「黙れ! あんな奴がフェブリスを持っていること自体が、おかしいんだ! 師匠が、あんな奴を買いかぶったのが悪い! あんな奴に、メフィティスをさわらせたのが!!」
男は、ざっと剣を振りかぶった。
「すべて、あの男が……!」
男の目は血走っている。リーフィは、冷ややかなまなざしで迫る剣を見つめた。世界が赤く見える。それは、彼女の目の錯覚だろうか。
「やめろ! それ以上やっても、何もわからんぞ!」
突然、リーフィの背後から声が聞こえた。刃物の光が、彼女の目の端を通り過ぎる。男は、そのとき、とっさに体を退いた。火花が散り、目の前に黒い塊がよぎる。金属音とともに、男の姿がふと闇に消えた。
いつのまにか、リーフィは、黒衣の人物にかばわれる形になっていた。
「チッ……」
目の前の人物は、軽く舌打ちし、わずかに歯噛みしたように見えた。リーフィには、ようやく彼の正体がわかっていた。
「ジャッキールさん」
そうつぶやくと、彼はちらりと彼女の方を向いた。心なしか青ざめているようだったが、元から青い彼のこと、よくわからない。
「……怪我などはないか?」
「え、ええ」
「リーフィちゃん!」
追いついてきたシャーが、慌ててリーフィを抱き寄せるように後ろにやった。その後ろから、テルラが心配そうについてきていた。
男は闇にまぎれている。ジャッキールは叫んだ。
「出て来い! いるのはわかっている! 貴様だということもな!」
「もう少しのところだったのに!」
男の声が、忌々しげに響いた。
「相変わらず不死身だな、ジャッキールの旦那。おまけに勘もいいとは、意外だったよ」
そういわれ、ジャッキールは、薄く笑った。
「……ふ、俺も今の今まで一応こういう世界で生き抜いてきているのでな。その辺の匂いをかぎ分ける程度の能力ぐらいある」
「そうか、少々甘く見ていたよ」
そういって、男が一人ふらりと姿を現した。
まだ若い。少なくとも、シャーには、見覚えがなかったが、後ろのテルラの様子で、彼はなんとなく事情を知った。目の前の男は、取り立てて目立つということもない男だが、少なくとも、ジャッキールのように戦士でもなく、ゼダのようにどこかよれたところのあるやくざまがいでもなく、自分のように裏のある遊び人でもない。少なくとも、普段は、剣を振るう絶対的な理由をもたない男だ。
だが、その男の目は、鍛冶屋の目ではなかった。血に飢えた目は、性格が変わった後のジャッキール、いいや、彼よりももしかしたら強い狂気を秘めている。
「ラタイ!」
テルラの声が悲痛に飛んだ。その声が聞こえたのかどうか、ラタイは、顔色ひとつ変えていない。かつての愛想のいい兄弟子の雰囲気は、まるで一かけらものこってはいなかった。
「……やはり貴様か」
ジャッキールは、沈んだ声で言った。
「ふ、ふ、ふ……。あんたが普段馬鹿正直すぎるものだからもっと鈍いやつだとおもっていたがなあ。いつから、オレだと気づいた?」
「昨夜、俺を斬ったときに……。……あの時、貴様はなぜ追撃してこなかったのか、気にかかっていた。確実に俺をしとめる絶好の機会だったというのにな。それについて、一昼夜考えた。そして、お前しかいないのに気づいた」
「理由はわかったのか?」
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