困った。ジャッキールは、身を潜めながら腕を組む。もう少し口がうまければ、申し開きもできただろうか。いや、しかし、あの弟子共の様子をみると、自分の印象は思ったよりも悪いのだろう。
「おまけに、師の大切にしていた剣を持っていたなどといわれては……盗賊と間違われるのも仕方がない」
軽く頭を抱えつつ、ジャッキールは、苦い笑みを浮かべた。ようやく理解できたのだ。
「俺は、はめられたのか?」
さて、どうしたものだろう。真犯人を捕まえない限り、自分は、ハルミッド殺しの下手人にされてしまう。おとなしく捕まってやるほど親切なつもりはないが、ジャッキールとしても、その醜聞はききがたいものだった。
それが真実ということになれば、自分は、丸腰の一般市民に手を下したということにされてしまう。
ジャッキールは、これでも剣士である。彼が相手にしていいのは、あくまで戦士だけだ。相手が戦士なら遠慮なく斬ってきたジャッキールだが、彼はいくら血に飢えたからといって、一般人を斬ろうなどとは考えたことはなかった。それは、彼なりの誇りをかけての決まりごとなのである。今は落ちぶれた傭兵とはいっても、それを侮辱されるのは、ジャッキールとしても許せないことだった。
それにだ。ハルミッドは、剣に取りつかれた峻険で、もしかしたら狂気に陥った男だったかもしれない。だが、ジャッキールにとってはかけがえのない理解者でもあった。流浪するばかりの信用ならぬ流れ者の、そんな自分の才能を買ってここまで信頼してくれたというだけで、彼にはそれだけの借りがあるのだ。
「だが、あの手を見る限り、かなりの腕利きだったな。あれは……」
ジャッキールは眉をひそめた。ハルミッドは一撃で致命傷を負わされていたが、あれは素人の斬り方ではない。相当剣に精通していないとできない斬り方だった。彼は、軽くフェブリスを握る手に力を込めた。
だが、相手が強かろうと弱かろうと関係はない。自分に罪をなすりつけ、ハルミッドを殺した人間。それはジャッキールにとってはこれ以上ない、正当な怒りをぶつけていい相手でもあった。
半分狂気に陥ったような自分が、義憤などとおこがましいことをいう気はない。ただ、ジャッキールにも許せないものはあるのだ。
ジャッキールは、フェブリスを目の前にかざす。すらりとして気品のある剣は、その情熱と殺意を内に秘めているようだった。その姿が、ジャッキールにはとても美しく思えたのである。それは、多分ハルミッドの魂が込められたものでもあるのだろう。
「……ハルミッド、貴様の無念は俺が晴らしてやる!」
闇にそうつぶやき、ジャッキールは剣を収めた。そして、闇にまぎれながらふらりと歩き出す。 彼の行く先は、先ほどの集団が去った方向。つまり、王都カーラマンである。
ジャッキールは、そのまま王都へと足を進めた。
そして、ジャッキールが王都に向かったこと。そのことが、王都を震撼させる大事件に発展しようとは、まだこの頃は誰も知らないことである。たった一人、消えたメフィティスをのぞいては――
月明かりが妙に明るく冴え渡る夜だった。空気が澄み渡っているせいか、空は凍てついたようだ。月の光もまた冷たい。
もうすぐ満月になるのだろう。大きく満ちつつある月が、何となく不思議な魔力を感じさせるようだった。
パリーアは帰り道を急いでいた。酒場で働く彼女は、常に夜に帰りになる。それはいつものことであるし、その日も別にこれといって変わった夜ではなかった。
ただ、最近妙な噂を聞くことがある。王都のどこかで殺人事件が起こったとかいうのだ。しかも、道行く人を突然斬り捨てた通り魔のような男がいるとか、そういう不気味な噂だった。
とはいえ、それは王都のどこかでの話で、別にこの近くでの話ではない。そう思ってみると、パリーアにはとても遠いことのように思われるのだった。
(もう少しで家なんだもの。早く帰ってしまおう)
そう思うと、パリーアは、温度が下がる砂漠の夜に、羽織っていたショールをきゅっと握った。
と、不意に前のほうで、何か人の声がした。言い争うような声だったが、顔を上げると、人影がわずかに揺れているのがわかった。何のことはない。酔っ払いが誰かに一方的に絡んでいるようだ。酒場づとめのパリーアには、別段珍しいことでもなかった。あまり関わらないようにして通り過ぎよう。そう思って、彼女が足を速めようとしたとき、わめいていた男の声が、突然甲高い悲鳴に変わった。
どさりという鈍い音と共に、月影にシルエットが浮かび上がる。ばっと男がこちらを見た気がして、パリーアは身をすくめたが、それはすぐにその場から立ち去った。
何が起こったのだろう。今。
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