リーフィは、服に隠してある短剣を一応確認しながら、そっと足を進めた。石畳で整備されていない砂にしみるように、ほぼ一定間隔にそれは続いている。時によろめいたのか、大きく横にふれているところもあった。
リーフィは、息を潜めて立ち止まった。ちょうど、建物の影のあたりにつながるところで、血のあとは途切れている。リーフィは、少し顎に手をあてて考えた後、そっと声をかけた。
「だれ?」
リーフィは、そうっと路地裏の影をのぞきやった。誰かいるような気はするが、返事がない。リーフィは意を決して、もう少し近づいてみることにし、足を一歩進めた。暗い建物の影である。闇に目が慣れたリーフィでも、すぐには向こう側が見通せない。
と、いきなりリーフィの手の先のランプが落とされ、油が広がって燃え移り、大地の上をパッと明るくした。直後、リーフィの鼻先に、白い剣の切っ先が突きつけられる。
リーフィは息を飲む。だが、目の前に掲げられた白刃は、さっとそのまま引かれた。
「……す、すまない」
男の声が聞こえる。どこか辛そうだが、はっきりとした発音だ。訛り、でもないが、どこか発音が違うのは、彼がここの人間でないということなのだろうか。
「まさか、婦人とはつゆ知らず……。驚かせてしまったな。理由はどうあれ、いきなり女性に剣を向けるとは、この非礼、わびてすむものでもないだろうが、どうか許されたい」
城の武官でもなかなかここまで妙に堅い言葉は使わないので、ずいぶんと珍しい。
リーフィは、暗がりにいる男を見やる。足元で音を立てながら燃える油のおかげで、そこにいる人物の姿は多少なりともわかるようになっていた。かなりの長身で、割合にがっしりとした体格をしている。月の光のせいだけとは思えない青ざめた顔色に、鋭い目をしていた。黒い服を着ているからすぐにはわからないが、左肩辺りが濡れているようだった。
「あなた……」
口を袖の裾で押さえながら、リーフィは呆然とつぶやく。視線を向けられたジャッキールのほうが、やや戸惑った様子になった。大声を上げられるとおもったのだが、その前に、向こうの方で人の声が聞こえた。リーフィには、先ほどすれ違ったメハルの部隊の声だろうということに簡単に予想がついた。男にもそれはわかったのだろう。その声に反応し、彼は立ち上がり、リーフィをそのままに逃げようとした。
「待って……。あなた、怪我をしているわね?」
声をかけられ、男は静かに振り返る。リーフィは、月の光の中で、男の風貌を見た。頬に、自分のものか返り血かはわからないが、赤い血しぶきが飛んでいる。整っているが冷たい顔立ちに、わずかに戸惑いの色が浮かんでいた。
「私と一緒に来て」
リーフィに言われ、男はきょとんとした。まさか、そんなことをいわれるとは思いも寄らなかったのだろう。
「……しかし……」
「追われているのでしょう? 早くしないと、このままでは捕まってしまうわ」
こっちじゃないか、と向こうの方で声がした。男は、少しためらったが、やがて剣を収めて、リーフィのほうをみる。彼女は頷くと、そのまま進み始めた。
リーフィの部屋は、随分と質素な印象の部屋である。この近くには、彼女のような職業の女性が多く住んでいる。だが、今日は夜も遅いからだろうか。特に誰も見かけることもなく、リーフィは、男を家の中に招き入れることができた。
リーフィは、窓を少しあけて周りを探って見て、人の気配がないのを確認して、少しほっとした。シャーもまだこちらに来る気配はなさそうだが、少なくとも追っ手がきている様子もない。窓を閉めて、リーフィは改めて男を見た。
ちょうどお湯を沸かして手当ての途中だったのだが、一瞬物音が聞こえたような気がして、一度リーフィは外の様子を伺っていたのだ。
「外の方は大丈夫みたいよ」
「そうか……。それはよかった」
男は、部屋の明かりの中でも、どこか青白い顔をしていた。メハルが、この周辺の人間とは風貌が少々違うといっていたが、それは確かにそうかもしれない。一見した感じ、東方の人間とも、西方の人間ともつかないが、少なくともここの出ではないだろう、という顔立ちを男はしていた。
リーフィは、巻きかけにしたままの包帯をちゃんと巻いて縛っておいた。どうにか、血は止まっているらしい。男は、手当てしている間、うめき声を一度もあげなかったが、相当痛かったのではないかとリーフィは思う。
「これで一応手当てはできたけれど」
リーフィは、少しだけ不安そうなそぶりを見せた。
「そんなに軽い傷じゃないわ。お医者さまを呼ばなくても大丈夫かしら」
男は、首を振った。
「今呼ぶとまずかろう。それに、それには及ばん。……今すぐ命に関わるものではない」
男は、一通り手当てを終えると、その上からマントを羽織った。
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