(シャーの言っていた人のことね)
 確か、名前はジャッキールとか言っていた。その名前自体をきいたことはないが、シャーに言わせると腕利きの傭兵だとかいう話だ。旅の傭兵なら、きっとメハルがいったとおり、このあたりの人間でなくてもおかしくないだろう。
 彼はやはりこの街に潜んでいるのだろうか。それについては、後で少々シャーにきいてみたほうがよさそうである。
 と、リーフィは、再び足を止めた。今度は、目の前に人影が見えたからである。それも小さな影だった。彼女は眉をひそめる。子供がいるにしては、少々時間が遅すぎる。
 リーフィは、怪訝に思いながら、早足でそこに佇んでいる子供に近づいた。そして、ふと首をかしげた。 どうも見覚えがあると思ったが、近所の子供によく似ている。
「レル?」
 リーフィは声をかけてみる。案の定、女の子がこちらを振り向いた。少し泣いたあとのような顔は、不安そうにこちらに向けられた。
「レル、私。リーフィよ。安心して」
 リーフィは、不安げな彼女にそういって笑いかける。
「どうしたの? お母さんは?」
 レルの母は、リーフィとは違う酒場で働いているが、同業者ということもあって結構仲はよく、面倒をみている経緯があった。すぐにレルはリーフィに気付いたのか、こちらに駆け寄ってきた。
 その様子がどうもおびえているようなので、リーフィは少し身をかがめつつ、レルの様子を伺った。
「どうしたの?」
 リーフィはそういって、レルを覗き込んだ。レルの頬に泥がついているのを見て、リーフィはそれを拭いつつ、心配そうに聞く。
「どうしたの? けがでもしたの?」
「わ、わたしじゃないの。おじさんが……」
「おじさん?」
「うん。あっちの方にいるはずなの」
 レルは、ほとんど泣きそうな顔になっている。レルの言うおじさんが誰のことかはよくわかららない。
「でも、あなたも、膝をすりむいているじゃない? おうちに帰りましょう。お母さんも心配しているわよ」
 レルは母の帰りが遅くて出てきたのかもしれない、とリーフィは推測したが、さすがにそろそろ帰っているだろう。一緒に家まで帰ってあげようとリーフィは、レルの手を取ろうとしたが、彼女は首を振るばかりである。
「でも、おじさんが……。あのままじゃ、死んじゃうかもしれない……」
「レル、でも、おうちに帰らないと……」
 リーフィはそういって眉をひそめるが、どうもレルの決意は固いらしい。動こうとしないレルをみて、リーフィは軽くため息をついた。
「じゃあ、わかったわ。私が見てくるから、レルはおうちに帰って。私があとで、レルの家に立ち寄るから」
「ホント?」
「ええ、嘘はつかないわ」
 リーフィは軽く微笑むと、レルの家のほうに向けた。なるべくなら送ってあげたいのだが、この様子を見る限り、どうも今すぐリーフィが探しにいかないと納得しなさそうである。幸い、ここからは家は近いので、リーフィは角までレルを送った。
「じゃあ、ここからその人を探してくるから、レルは家に帰るのよ」
「ありがとう。お姉ちゃん」
 レルは、そういって少しだけほっとしたように頷くと、そのまま家のほうに走っていった。レルが家の前に着いたのを見届けて、リーフィは、きびすを返す。
 ともあれ、約束は約束だ。それに、レルの話をきいてみると、そのおじさんとやらは危険な状況にあるらしい。
 しかし、と、リーフィは首をかしげた。
「一体、……おじさんって、誰のことかしら」
 とりあえず、シャーとゼダではなさそうだ。妙に年齢不詳感の漂うシャーともあれ、童顔のゼダはどこからどうみても「おにいちゃん」にしか見えないし、そもそも、先ほどまでリーフィは彼らと一緒にいたのだから、あれからレルを助けるなどということはない。そういう意味では、メハルなどの役人の可能性も薄い。
 リーフィは、やや警戒しながら、少し小走りになりながらあたりを見回した。ここは裏路地に当たる。そもそも、リーフィのような娘が一人で借りられる場所なのだから、あまり治安のいい場所でもないのだが、この辺りは特に人気がない場所でもあった。廃屋が多いので、住んでいる人間もいない。特に夜は、寂しさを越えて不気味さを覚えるほどだ。
 その不気味な廃屋の通りを、随分進んできたが、周りには人間どころか、いきものの気配もなさそうだった。このまま諦めて帰ろうかと思った時、リーフィは、手に持ったランプをそっと道に近づけた。何かが見えた気がしたのだ。
「これは……?」
 道の上に点々と黒いものが落ちている。いや、厳密に言うと赤い色なのだが、夜の闇に黒く見えていただけかもしれない。間違いない。血の跡だ。


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