ぼんやりとそれを見上げながら、ジャッキールはふと苦い笑みが浮かぶのを禁じえなかった。月の光に、先ほどの失態を思い出したのだ。
月に酔った。そういわれると間違いない。昔から、自分には、そういう「よくない」癖がある。 だが、それなのに、それでもあの少女を咄嗟にかばってしまった自分に、ジャッキールは苦笑するしかなかったのである。あの時、彼女ごと相手を斬ってしまえば、ことはそれで済んだはずだった。しかし、ジャッキールにはそれが出来なかった。
昔からそうだ。自分は、少し高潔すぎるのかもしれない。それで何度痛い目を見てきたのか。そう思うと、ジャッキールは、自嘲するしかなかった。しかし、その禁を破ったとき、ジャッキールは、「彼」としての終わりを迎えるのである。すでに、正しい道を外れた生き方をしている以上、そのこともよくわかっている。あとは、あのメフィティスに憑かれた男のように、無差別に人を襲う外道に成り果ててしまうだろう。
「まったく……」
それにしても、こんな追われ方をするのは、別に初めてではなかった。その上で助かるか死ぬかは、彼自身の運次第だ。いつでもそうだったし、それは彼の生き方の中では、当たり前の事実でもあった。
「本当に俺も焼きが回りすぎだ」
ジャッキールは、低く笑いながら目を閉じた。砂漠の街の寒さが、それだけでない悪寒とともに体の中に染み入る。
朝になるころに、自分はどうなっているだろうか。このまま死んでいるかもしれないし、連中か役人にみつかって殺されるかもしれないし、そうなる前に自分で手を下すかもしれない。それは、今のジャッキールにはよくわからない。
ただ、彼の手にはまだフェブリスが握られている。それを離すまでは、生きているということがわかるだけのことである。ジャッキールにとって、自分の生き死にとはそういう実感を伴っているだけのものなのかもしれない。
閉じかけた瞳に、剣に反射した光が差し込んだとき、ふと、あの時あそこにいた少女が妙に気がかりになった。
――あの娘、果たして、あれから無事に逃げられただろうか。
目の前を手にもったランプの光がちらりと揺れている。
夜道は慣れているので、あまり怖いとは思わないことが多かった。だが、それでも、今夜だけは少し彼女でも不安になるものだった。暗い夜に不自然に明るく浮いたような月のせいもあるかもしれない。
あちらのシャーとゼダは、喧嘩ぐらいはしそうな気もするが、まあうまくやっているだろう。だが、あの二人が相手と切り結んでいる事実が、嫌でも、あの事件を想起させる。この不安は、そこからきているものだろうか。
事件が起こる中でも、リーフィは、さほど、夜道を怖いと思わなかったが、今日だけは別のようだ。勘の鋭い彼女には、今日の月夜が特定の連中の真理に作用することを無意識に感づいているのかもしれない。
夜道を不安に思うなんて、と、リーフィは、自分でも思わず苦笑してしまいそうだった。本当に珍しいことだ。
「馬鹿野郎!」
急に声がきこえ、リーフィは反射的に身を潜めた。声はそのまま向こうの方からきこえてくる。
「お前ら! 何やってんだ!」
「すみません、隊長!」
リーフィは、そうっとそのまま向こう側を覗く。そこにいたのは、何かと見覚えのある色の黒い大男だった。酒場でシャーと飲んでいたメハルとか言う男だろう。ということは、あのときの役人の隊長だ。
メハルは、なにやら焦っているようだった。だが、それでも、ついつい部下に説教してしまう性分なのか、ぶつぶつと文句を言っている。
「大体、お前らは駄目すぎる。謝って済む問題じゃねえだろうが! 目的の奴が切りあってるって情報がきてたのに、該当の場所に本人どころか、死体一個も落ちてねえなんておかしいだろ」
「それはおかしいと思うんですけれども」
「思ったら探せ、馬鹿野郎!」
だから、探してもないんです、となにやら切ない言い訳をしている情けない部下達を見回し、メハルは頭を抱えた。
「しかたねえ! 俺が探す! とにかく、今逃げてる奴は、この辺の人間とちょっと違う風貌をしているらしいし、目立たないわけがねえ。その辺の人間たたき起こしてきいたりしてみれば、すぐわかるにきまってるぜ!」
いや、それは迷惑だろう。そんな顔をする部下達だが、メハルはすでにやる気らしい。
「行くぜ、お前ら!」
「た、隊長! 待って下さい!」
メハルが突然駆け出したらしく、その後をあわただしく部下達がついていく男がした。ばたばたとあわただしく去っていく足音をきいてから、リーフィは、建物の陰から表に出た。
一瞬、今暴れている最中のシャーとゼダに狙いを定めたのかと思ったが、そうではなさそうだ。それにひとまず安堵を覚えるが、それにしても、黒服というのは。
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