路地に入りかけたところを飛び掛ってきた男を刀ごと切り伏せ、ジャッキールは、そのまま路地裏に逃げ込んだ。引き裂かれた黒いマントが闇にいっそう黒く影を落としながらゆれる。
 そのまま闇に消えていくジャッキールを周りのものが追いかける。だが、彼は、それに続いて命令をだすことができなかった。ただ、呆然としてたっていただけである。しばらく、その様子をみやりながら、彼はいつのまにか呟いていた。
 ――なんだ、アレは……
 息をのみ、彼は再びぽつりとつぶやいた。
「あれは、本当に人間なのか?」



 建物の影に身を潜めていた彼の耳に、足音が遠ざかるのが聞こえた。肩で息をしながら、ジャッキールは足をすすめようと、一歩踏み出してその場で立ちくらみを起こし、そこに片膝をついた。
「さ、……さすがに、無茶をやったな」
 逃げるためとはいえ、十人あまりの人間を切り伏せながら全力疾走するのは、ジャッキールの今の体には堪えた。血に濡れた左手が小刻みに震えている。先ほどは両手をつかったが、この分だと左肩は当分あげられそうにない。
「く……!」
 痛みに顔をしかめつつ、ジャッキールは立ち上がると、足を引きずるようにして、近くの狭い路地に逃げ込んだ。
 ジャッキールは、肩口をおさえつつ、ふらつく足取りで壁際に身を寄せる。傷は左肩から入って胸の方までおりている。パッと見た限り、傷は急所までには到達していないから致命傷ではない。手当てさえすれば、それで済む程度の怪我ではあるが、こういう追われている状態では十分命取りにはなる傷でもある。切られた場所が悪かったのか、思ったより痛みが激しく、いくら彼でも、平静な顔を装うのには限界があった。そして、戦闘が長かったこともあって少々血を流しすぎた。一時的なものかもしれないが、足元がふらつき、目の前がゆれていた。
 まずいのはそれだけではない。逃げた後に血が点々と残ってしまっているはずだ。調べればそれから自分の足取りがわかってしまう。 朝まではこのままでは隠れられない。一時しのぎをその場その場で続けるしかない。
「……!」
 ジャッキールは、そのまま壁に身を潜めた。明らかに、今、人の気配がしたのである。
「動きがあったのはこっちか!」
「また奴か?」
「ああ、そうらしい」
 ばたばという足音と共に、声がした。一瞬、対応に迷ったジャッキールだが、相手が先ほどの一味ではないことを確認する。
「あの黒い服の男の仕業か?」
「だろうな。おまけに、それが斬りあいやっているという情報が流れているのだが」
(役人だな)
 ジャッキールは、構えていた剣を握る手を少し緩めた。さすがに役人を斬るほど、頭が回らないわけではない。そもそも、自分にかかっている罪状は冤罪なのだ。そんなことで、役人殺しをして、この国を追い出されてもつまらない。追われて殺されるような羽目になると、つまらないではすまない。
 覚悟は出来ているという彼でも、そんな不名誉な死に方だけはごめんだった。一般人を無差別に殺害してまわった挙句に獄死か刑死かする、そんなことが流布すると思うだけで、彼のプライドは著しく傷ついた。どんなに身を落としていようと、自分は武人なのである。逆に言えば、彼はそのプライドに寄りかかって生きてきた。何があっても、それだけは捨てるわけにはいかない。
 役人達は、そのまま通り過ぎていった。それはお互いのためによかっただろう。ここで見つかれば、ジャッキールも相手を斬らねばならなくなるし、役人達も命を失いたくはあるまい。
 だが、今までの情報の流れ方をみるに、自分が傷を負っていることはすぐに伝わるはずである。やがて、血の跡をたどって、自分の居場所を誰かが知る。それは確実なことだ。役人達が斬り合いのことをしっているのは、間違いなく、誰かが情報を一々リークしているからか、役人の側に事情を知るものがいるかのどちらか――
「この期に及んで、役人にまでおわれるとは……」
 ジャッキールは、眉をひそめた。この状況は果てしなく「よくない」。最悪の事態といってもいい。
「俺は……ここで死ぬかもしれんな、本当に」
 ほとんどため息のような、息をつく。急激に体が重くなり、路地のガラクタの山の中に、半ば倒れこむようにジャッキールは、座り込んだ。ちょうど月の光が、くもの巣の張った真上から差し込んでいる。ジャッキールには、月の光が冷たいのか、暖かいのかよくわからない。ただ、彼にとっては、月の光が刃物の輝きによく似ているように思えただけである。それが、古いくもの巣にかかって、きらきらと散らばりながら降って来るのは彼のような無骨な男にも、何かの感慨を与える光景だった。


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