隊長は、そういってジャッキールを見る。月明かり程度の明るさでも、ジャッキールが負傷していることは一目瞭然である。そして、それが軽くないこともすぐにわかる。
「その傷、下手すると命に関わるほどなのはわかっているだろう?」
 ジャッキールは直接答えず、鼻を鳴らして、口元をゆがめるばかりである。隊長の男は、口調をやや和らげて言った。
「……どうだ、剣を傷つけるのは、かの方のご意思でない。戦えば、剣が傷つくのは目に見えている。どうせ、あの方はお前を殺すことをのぞんでいるのではない。大人しくそれを渡すのなら見逃してやってもいい」
「見逃す?」
 ジャッキールはそれを反芻した。そして、思わずにやりと笑う。
「……ふふふふふ。見逃す? 見逃すだと?」
 ジャッキールは、いつもよりさらに青ざめた顔をひきつらせて、薄く笑った。その笑みが、いつにも増して見るものに悪寒を覚えさせるような鬼気に満ちているのは、けしてジャッキールが意識的にやっていることでもないのだろう。そもそも、血の滴る左手の指先が震えているのは、おびえや武者震いの類ではない。
「今、貴様、俺を見逃すといったのか?」
 ジャッキールは、笑いながら続けた。
「それは、俺に命乞いをしろということなのか? 貴様、それを正気でいっているのだとしたらとんだ笑い種だがな」
「渡す気はないということか? 月に酔って正気でも失って状況がみられなくなったのか? そのまま暴れても死ぬだけだ」
 ジャッキールは、はっと嘲笑した。
「死ぬ運命だというのなら、そのまま死ねばいいだけのことよ。今更、命が惜しくなるほど俺は臆病ではないわ! それに、先ほど貴様、俺に剣を渡せとかぬかしたな。生憎と俺が剣を離すのは、死ぬ時だけでな。フェブリス(これ)が欲しければ、俺を殺して奪い取ってみろ!」
 隊長らしい男は、肩をすくめた。
「やはり、狂犬は所詮狂犬だな。話も通じないとは」
 ジャッキールは、今はまだふらついてはいないが、それも時間の問題だろう。まだ出血も止まっていない彼が、勝てる筈もない。多少の怪我なら精神力でどうにかもっていけるかもしれないが、今の状態を見る限り、そんなたわいもない怪我ではない。
「殺せ。ただし、剣を傷つけないようにな」
 そういうと、彼は、ジャッキールのほうに手をやりながら、そのまま後ろ向きに歩いていった。その声に反応し、彼を取り囲んでいた男達が、ジャッキールのほうに一歩足を進めた。
 ジャッキールは、軽く頭を振る。目の前が多少かすんでいるのか、一瞬よくみえなかったらしい。それでも、ジャッキールは、月の光に反射する剣の数をばくぜんと数えて、相手の様子をうかがった。
「素人だな! 囲んだ程度で俺を殺せるとでも思っているのか? 先ほどの小僧の方がよほどましだ!」
 ジャッキールは、歪んだ笑みを浮かべていたが、息が少々上がってきていた。
「だが、今は生憎と貴様らに合わせて手加減できる体でもないのでな。悪いが、最初から飛ばしていくぞ……」
 一度深く息をつき、ジャッキールは、あがった息を軽く整える。周りの男達が、一斉にこちらに向けた剣を引き、そのまま駆け寄ってくる。ジャッキールは、それを冷たい目で見た。
「滅多に見せるものではない。幸運だと思って冥土の土産によくみておけ……」
 ジャッキールが、右手をふっと上にあげたと見えた時、先頭を切っていた男の影が突然斜めに崩れ落ちた。一瞬で、ジャッキールは倒れた男のところまで駆け寄っていた。そのまま、悲鳴も上げさせないままに、真横にいた男を、苦もなく斬り捨てる。
「何!?」
 部下達のざわめきに、隊長の男が振り返る。
 ざっと音がして、暗闇に部下が反りかえって血しぶきをあげながら倒れた。確認しなかったが、あれは即死だろう。そのまま、逃げ道を探りつつ、ジャッキールは、すれ違いざまに、向かってきた男達を伏せていく。
 それは、普通なら惨劇と見てもいい光景だった。だが、一瞬、彼はその光景に見とれてしまったのだ。それほどまでに、ジャッキールの動きは見事すぎた。すれ違いざまに、相手を切り伏せていく姿は、芸術的に美しい動きではあった。剣を交えるか交えないかのうちに、彼の部下達が倒れ、その返す刀で別の男が倒れる。それは最小限の動きで行われ、そこで彼の部下達が斬られているという事実さえなければ、剣舞にも見えかねないものだった。
 そして、それを、少なくとも戦闘経験のある男達を相手にしている、そして、それを行っている男が浅くない傷を負っているということを認識したとき、彼は驚愕した。
「あれだけ出血していてまだ動けるのか!」


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