彼は、そこに佇んでいた。先ほど斬り捨てた通行人を見るでもなく、月を見るでもなく、ただそこにたっているのである。月の光は、妙に明るく白く冷たい。月というのは不思議なもので、同じ色をしているのにも関わらず、見るものによってその印象はかなり違うものになるのである。
 この光を暖かく思うものもいれば、冷たいと感じるものもいる。一体、月の光というのは、人間の視覚と心のどこに作用しているのか。
 そして、その場に、その月光を彼とは真逆の感性でもって受け取っていたものがいることも、また大きな皮肉のような話だった。
 ざ、と砂をするような音に、彼はそちらを振り向く。
「あ……!」
 押さえられた高い声があがる。そこには、まだ十にならないほどの少女が立っていた。こんな夜にどうして少女がいるのか、ということに、彼の意識はいかなかった。それよりは、どうして気付かなかったのだろう、と思ったのだ。先ほどから、小さな影が彼の前をよぎっていた筈なのに、何故か今になって、彼は初めて彼女がここにいたことに気付いたのである。
 顔は見られただろうか。いや、あそこはここからでは逆光になる。ろくに顔など見えていないだろう。だが、確実に、自分が通行人の男を殺したのを見られた。そこを見られていなくても、この状況を見られた。
 以前に女にも見られたが、あの時は寧ろ姿をわざと見せたところもあった。だが、今回は偶然に「見られた」のである。その事実が、彼の気に障った。
「こ、来ないで!」
 彼が足を進めたのに気付いたのか、少女、レルは声をあげた。少女は、彼女自身の運命を悟ったのだろうか。恐怖の表情を顔に張り付かせながら、懸命に狭い路地を後ずさる。だが、逃げ場はないのもわかっているのだ。
 彼は、剣を振り上げる。一人の刀鍛冶が狂気の末に作った異形の剣を。
「見つけたぞ! メフィティス!」
 声がかかり、びくりと彼は肩をすくめた。そちらに目を走らせると、そこには若干息を切らせてはいるが、刀を抜いたままの男が立っている。黒い闇夜のようなマントをたなびかせているが、血の匂いがする気がするのは、誰か斬って来たのだろうか。
 だが、彼にはそれが決して味方でないことはわかっただろう。常に自分を追っている傭兵の存在に気付いた彼は、そちらに目をやった。
「悪いが、一度見た剣はこれでも忘れん方でな! 間違いない、貴様があの時の男だ!」
 ジャッキールは、そのまま血をはらったばかりのフェブリスの切っ先をつきつけた。
「いつもはすでに距離があったから逃げられたが、今日はこの距離だ。逃げられると思うな!」
 じゃりと音が鳴り、メフィティスを持った男の影が揺れる。予想外の乱入者の存在に、彼はさすがに動揺したのだろう。後ずさりしながらも、その行動には合理性がない。後ずさりをはじめた男に、ジャッキールは逃亡の可能性を知る。
「逃がすか!」
 ジャッキールはそのまま男に飛びかかった。慌てた男が振るったメフィティスの異形の輝きが、ジャッキールの瞳を射る。
 しかし、その程度の攻撃は彼の予想の範疇である。そのまま力でもって切り下ろしてやれば、それで勝負は終わりだ。
 だが、ジャッキールの目に飛び込んできたのはそれだけではなかった。男が、そばにあった何かをこちらに突き飛ばしてきたのである。それをもろとも斬ればいい、と思っていたジャッキールだったが、それが何であるかを知った時、彼はわずかに驚いた。
(子供が……!)
 ジャッキールの位置からは、レルがいるのは見えなかったので知らなかったが、その死角にはいっていた少女を男はこちらに突き飛ばしてきたのだ。
 飛び込んできた少女はちょうどジャッキールと相手の真ん中である。重いジャッキールの剣はこのまま振り下ろせば途中で止めることはできない。必ず少女ごと斬ってしまう。
 月光が交わった刀身にあたってぱっと光が弾けていった。そして、一瞬の後、赤い色が黒い闇の中に飛んだ。





「え? あの男達は、剣をさがしてるんだって?」
 夜道を歩いて帰りながら、シャーはリーフィに聞いたことを反芻して、大きな目を瞬かせた。リーフィは、深くうなずく。
「ええ。そういっていたわ。私に、そういう剣をみたら教えてくれっていっていたの。あなたがいっていたとおりの、西渡りの剣よ。少し幅が広くて、諸刃。反りはほとんどないもの。そして、剣の柄の部分の細工に特徴があるといっていたわ。それが、芸術的にキレイなんですって」
 リーフィは、かなり集中して話を聞いて覚えてきたのだろうか。シャーが盗み聞きした以上のことを、やはり聞き出してきていた。
「見ればすぐにわかるとかいっていたわ。私にはあまり警戒心を抱いてなかったみたいだから、私がいるところで、結構色んな話をべらべら話してくれたわよ」


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