男はざっと後ずさる。剣を手にして、既に半分抜いたジャッキールの目が、こちらを静かにとらえていた。舌打ちすると、男はそのまま身を翻して走り出す。
「待て!」
ジャッキールは、鞘を一気に払うと、ランプに輝く刀身をひらめかせながら、逃げる男を追いかけて扉を抜ける。砂漠近くの乾いた地面が、暗い夜の闇の中にうすく砂埃を散らせる。
星明りもろくに感じられない闇に、剣の白い光が時折暗くひらめいた。ジャッキールは、警戒した。目の前にいるのは、多分一人ではない。
と、いきなり刃物の気配を感じて、ジャッキールは身をそらした。わあっという掛け声とともに飛び込んできた男をさけ、ジャッキールは身を翻す。
「チッ!」
ジャッキールは、た、と近くに立っている木を背後に取った。敵は一人ではない。闇に目が慣れてくるにつれ、多少の人数はわかるようになっていた。一人二人、目で確認できるものは、それでも五人。闇には果たして何人まぎれているだろう。
「……貴様ら、何者だ?」
ジャッキールは、そういったが、案の定返答があるはずもない。ざり、と靴が砂を擦る音がした。ジャッキールは、反射的に剣を横に薙ぐ。青い火花が散って、手に衝撃が返ってくる。闇にまぎれながら襲ってきた男は、弾き飛ばされながらも、まだジャッキールへの攻撃をあきらめていないようだった。そのまま、足を踏みなおして飛び掛ってくる。
「遅い!」
きらりと目を閃かせ、ジャッキールは振り返りざま、握った剣をこともなげに振り下ろした。空気が一瞬凍りつき、一拍遅れて ぎゃあっという悲鳴をあげて、男が倒れる。ジャッキールは身を軽く寄せ、男が倒れ掛かってくるのを避けた。どさりと音が鳴る頃には、その場の空気はすでに変わっていた。
明らかにジャッキールへの評価が変わったのである。今までは得体の知れない男だが、どうせ一人だと思っていたのだろう。大した動作もとらず、一瞬で切り捨てられた仲間を見て、彼らの間にも多少の警戒と戦慄が走っているようだった。
ジャッキールは、というと、そのまま倒れた男には興味を示さず、剣を握りなおす。フェブリスという名前の剣は、血を吸ってなお、凛とした凄絶な美しさを闇夜に誇る。暗い夜のわずかな光を浴びて、ジャッキールにはそれが薄く赤い色に輝いたようにも見えた。
「さすが」
ジャッキールは、満足げに薄ら笑いを浮かべた。
「この剣は違うな」
どこか狂気を帯びてきた瞳を返し、闇に潜む男達を見やる。
「まずは馴染ませるためにも、試し切り、と思っていたが……」
マントをやや跳ね除けるようにしながら、ジャッキールは、だらりと下げていた剣を両手で握った。
「そんなに死にたいなら、ちょうどいいな。かかってこい!」
フェブリスを構え、ジャッキールは相手を見据える。闇にまぎれて半数はわからないが、それでも、相手にはかなり効果があったようだった。
さっと頭領らしき男が、手を振るのが見えた。今まで相対していた男達は、その合図をみて、慌てて駆け出す。すぐにジャッキールの目の前からは、人間の気配は消え去っていた。
「つまらん。臆病者が」
ジャッキールはそう吐き捨てたが、別に追おうとはしなかった。やがて、馬蹄の音が聞こえ、そのまま遠ざかっていく。
あの方向は王都だろうか。馬蹄の去る方向だけを確かめ、ジャッキールは顎に手をやった。
「剣を盗もうとしたようだが……」
ジャッキールは、軽く眉をひそめた。ハルミッドの剣は、有名である。盗みにくる連中がきても別に不思議でもない。一応の納得をみたところで、ジャッキールは、ほっと一息ついた。
「ふん、ただの夜盗か」
ジャッキールは、特に気を止めた風もなく剣を払って、そのまま鞘に入れようとしたが、ちょうど、そのとき。いきなり、ハルミッドの家の方から、悲鳴が高く響き渡ったのだった。
「なんだ!」
ジャッキールは、鞘におさめようとした剣をそのままに、閃かせながら走り出す。なにやら嫌な予感がした。
「ハルミッド!」
だっ、と開け放ったままだった扉をくぐる。先ほどとは違い、家の中は荒れていた。窓際の花瓶が飛んで、床の上に花ともども無残な姿をさらしている。自分が出て行く前は、これほど荒れていなかった筈だ。
嫌な予感が、やがて確信に変わる。確かに、血の匂いがした。ジャッキールは、開かれていた工房への扉をくぐる。ジャッキールのような上客でも、ハルミッドはほとんど、その鍛冶場を見せてくれることはなかった。だが、彼がいるとしたらそこ以外考えられなかった。
かすかに唸り声が響いた。ジャッキールは、慌てて荒れた鍛冶場の隅の方に倒れている老人に目をやる。
「ハルミッド!」
「あああ、……ジャッキールの……」
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