「知らない? 馬鹿なことを言うな! 俺の素性を知っているなら、ある程度のことはきいているはずだ!」
 ゼダは足を進める。ちょうど袋小路になっている狭い路地裏で、背の高い男がもう一人の男を追い詰めていた。長身に闇のような黒いマントを被った体。剣を握っているからだろうか、近くの建物に反射光がうつっていた。
「あんた、何やってるんだ?」
 ゼダが訊くと、相手を追い詰めていた男がこちらを向いた。月光を浴びて青ざめた顔に、鋭い目が光る。三十前後の男は、月光のさして明るくない光でもその顔立ちがよくわかった。冷たい、どこか闇を引きずるような顔立ちだ。
「……通行人か?」
「そう見えるかい?」
「……通行人なら黙って見なかったことにして通れ」
 男は低い声でそういったが、ゼダは軽く笑うばかりだ。
「本当に通行人に見えるとしたら、あんた面白すぎるぜ」
 男は、追い詰めていた相手から目を完全に離し、ゼダのほうに向き直る。その手には、月光にぎらつく剣が握られていた。
「なるほど、素人ではないということか? なら俺は容赦せんぞ」
「どう容赦しないのかね?」
 ゼダは、そういって相手との間合いをはかる。顔を見てすぐにわかった。この男は、おそらく――。
「死にたくないのなら退けといっているのだ」
 ざっと男の手から光が飛んだ。



 酒が入ると、最初は警戒していたメハルの態度も少々柔らかくなる。というより、シャーにのせられてきているだけなのかもしれないのだが。
「それで、タイチョーさんは、結構苦労してるんだねえ」
 シャーがそう声をかけると、メハルはため息をついた。すっかり、警戒心がうせているらしい。
「まあな。全く、平和になったのはなったでよかったんだが、街の警備にろくな奴がまわってこなくなった気がして。おまけに、俺たちは、どっちかってえと市民に関わる方だからな。頭のいい奴は、みんな貴族の監視にいっちまって、畜生」
 酒が入っているせいか、浅黒い肌をほんのりと赤らめながら、そう愚痴を語るメハルの口は徐々に軽くなっていっていた。
「まったく、そこに今回のアレだろ。正直、困ってるんだよ、俺も」
「そうなんだ〜。まあ、こういうときは、ひたすら楽しく飲むのが一番いいんだよ」
 シャーは、メハルの杯に酒を注ぎながら、のんびりと言った。シャーは、別にメハルを酔わせるつもりはないし、彼と話をするつもりもそれほどない。メハルはメハルで、きっと真実をたやすく語るようなことはしないだろう。
 だが、シャーにとっては、リーフィにだけ精神を集中させて、やきもきしている方が苦痛なので、適度に関係のない話をしながら楽しくやっているほうが気も楽だ。とはいえ、リーフィのことをまるでみていないわけでもない。彼女になにか決定的な危険が及ぶようなら、助けに入らないと。
 そんなことを思いながら、シャーが酒を飲もうと杯を口に運んだ辺りで、突然、べらべらと愚痴をこぼしていたメハル隊長が顔色を変えた。
「いけねえっ!」
 思わずメハルが顔を伏せ、シャーの頭を押さえ込む。
「な、何すんの? あ! さ、酒が……」
「酒なんか気にしてる場合か」
 文句をいってやろうとしたシャーだが、メハルの顔色が変わっているのが見えた。先ほどまで、役目を忘れたかのようだったメハルだが、どうやら我に返ったらしい。ということは、それなりの事態が起きたということでもある。
「どうしたのさ。そんなに慌てて」
「後ろにいる奴みろ」
「ええ?」
 シャーは、大きくてややぎょろっとした目だけをちらりと後ろに向けた。急に背後の連中があわただしく席を立っている。突然のことに、リーフィが、少々怪訝そうな顔をしているのが見えた。
 そして、その視線の先に、一人の男がいるのが見える。やたら上等な服装が、妙に煌びやかなのがわかった。大体にして、遊び人は男女問わず、派手な服装をとる傾向がある。ゼダにしても、例の赤い上着をひっかけて、女物かもしれない派手な帯を決めて粋を気取っている。だが、目の前の男は、ゼダともまた趣向が違うようだ。
 ゼダは、どちらかというと、やはりどこか崩れた印象のある着こなしをするのだが、目の前の男は、こういう酒場にいるのが似つかわしくないような、どことなく気品と上品さが漂っていた。布を被っている上に、ちょうど背中を向けているので顔は見えない。だが、メハルはおよそ相手の正体に見当がついていたらしい。
「ありゃカディン卿だ」
「えぇ、アレが?」
 小声でメハルがそういったのをきき、シャーは眉をひそめた。
「なんで、こんなところにいるのさ。だって、この酒場、ああいう連中が来るには少々……」


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