「まあそうなんだがよ。たまに、ここにも立ち寄る、っていう噂をきいたから、俺だって張ってたんだけどよ。まさか、こんなに早く、ご本人様がくるとは」
メハルは、後ろを警戒しながらそういった。
「全く、正直いって金持ちの考えることはわかんねえんだが、案外こういうところが好きらしいんだよ。……そういやあ、カドゥサの坊ちゃんも、こういうところをうろついてるっていっていたが」
「ああ、アレはね」
ゼダは、まあ、親に反抗している上に、もともとが元々なので、多少事情が違いそうだが。
「上等な酒のめるんなら、上等なの飲んでりゃいいのに。金持ちの考えることはわからんね」
メハルがそういうのをきいて、シャーは一瞬だけ苦笑した。
「ま、こういうところのほうが、案外お酒はうまかったりするもんなんだけどね、主に精神的に。……と、それはまあ、いいとして……」
シャーは、眉をひそめた。
「……あの連中とただ遊びにきたってわけでもないんでしょうねえ、今日は」
「さあ、そこまでは……」
ちらりと目を向ける。カディン卿と呼ばれる貴族が顔の向きをかえたため、今度は顔をのぞくことができた。細く、切れ長の目に、あまり太陽の光を浴びていないらしい、やや病的なほど白い肌。上品な顔立ちをしていることは間違いない。黒髪に、口と顎にヒゲをたくわえているが、それも無精ひげというよりはちゃんと手入れされたものだった。
どちらかというと上品に整っていて格式ばっている点と、何となく陰気印象があるところは、ゼダよりもジャッキールに近い。だが、なんとなく武官風に見えるジャッキールと違い、そういう荒々しい部分はあまりない。どこか柔和で神経質な、ともすれば軟弱な感じがする顔立ちは、いかにも、貴族の坊ちゃんらしいと思った。
「あ、ああ! 卿!」
カディンの来訪に気付いたのだろう。慌てて立ち上がりかけた男達に手をやって、カディンは鬱蒼と笑んだ。
「少々、用があってな、こちらに寄ったのだ。待ち時間をただすごすのもつまらんのでな」
「し、しかし、まさか、いきなりおいでになるとは……」
男達の一人がやや焦ったような顔をした。
「なにも、このような酒場においでにならなくても……。あなた様にはあまりにもふさわしくない場所です」
確かに、ここは少々カディンには相応しくない。彼らのちょっと異様な気配に気付いたのか、周りの客達が知らぬふりをしたり、こっそり席を立っているのも見える。だが、そんなことはカディン本人には、大した問題でもないようだった。
「しかし、相応しくないという割りに、そこな娘は、ではなんだ? 楼閣にもいないような美女を横にはべらせて、そのようなことをいうとは、無風流もいいところだな」
ちらり、とカディンの細い目が隣にいたリーフィに向いた。
「街というのは、本当に何があるかわからんものだ。……こんな美しい娘は、楼上にもいるまい。そうであろう?」
「は、はあ。そうでございますが」
確かに、リーフィは、あんな隅っこの酒場においておくのがもったいないような美人ではある。着物と装飾を変えれば、別に妓楼にいてもおかしくないし、どこかの王様が愛妾としてはべらしていても、ごく自然なほどの器量でもある。彼女に明らかに足りないのは、その表情の柔らかさと媚態の程度の問題だろう。どこかさらりとした冷たさを持つリーフィは、そうしたところで妓楼の娘達と大きく違っていた。
だが、カディンのような男には、それがかえって目を引いたのだろうか。手下の連中を追い払うと、カディンはリーフィを手招いた。リーフィは、あまりためらうこともなく、カディンに近づき、軽く一礼する。
「リーフィと申します。以後よろしく……」
「そうか、そなたはリーフィというのか」
飲み物を注ごうと、酒の入った陶器を持とうとしたリーフィの手を、カディンは取って止める。一瞬、リーフィの動きが止まった。それを覗いていたシャーが、危うく声をあげそうになるが、隣のメハルに押さえつけられて、テーブルに沈められているのを、彼らはきづいていない。
しかし、シャーが心配するほどのことはなかったらしい。カディンは、その手を離して首を振る。酒を注ぐ必要はない、ということだろう。
「その格好からすると、そちは舞いをやるのか?」
「ええ、心得はございます」
カディンの目は笑っていない。どこか不気味な雰囲気をもつ彼を、リーフィは静かに見返す。その瞳には、目だった感情は浮かんでいない。逆にいえば、気後れしている様子もない。作った無表情さではないので、それは無礼には見えないものでもある。それを何ととったのか、やがて、カディンは目を伏せながら笑った。
「なるほど。面白い女だ。……一つ舞ってみてもらいたいのだが」
「お望みでしたら、ぜひとも。私には光栄なことですわ」
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