一人の青年が酒場に娘を訪ねていた。穏やかで気の弱そうな表情の青年は、どことなくだが、育ちのよさを感じさせるところがある。それは、その青年が、さりげなく貴族や大店の名前をだしながら、そこの坊ちゃんに言われて、この事件を調査しているものなのです、と名乗ると何となく信用してしまうほどの信頼性を持っていた。
その青年の腰に、なにやら物騒な剣があっても、そのあたりをごまかすのも、また彼の才能といえるかもしれない。
酒場の主人に金をやり、しばらく娘を外に連れ出す。穏やかな彼の物腰に、娘もさほど警戒はしなかったようだ。
「あなたが、パリーアさんですね」
ゼダはつとめてていねいに言った。娘は、こくりと頷いた。
「ええ。……あの、お話というのは?」
「ああ、すみません。恐ろしいことを思い出させてしまうのは、本当に申し訳ないことなのですが、私のご主人様が、この事件について興味を持たれ、また一刻もはやく、不安を取り除いて街に遊びに出たいとおっしゃっているのです。それで、何か犯人をさがしだせるような情報を探しているものですから」
ゼダは、きれいにそう喋ってから、やさしく付け足した。
「もし、ご気分が悪くなければ、ご協力ください」
「は、はい」
パリーアは、ゆっくりと頷いた。
「でも、わたしもその顔をみたわけではないんです。ただ、影がみえただけで……」
「え、そうなのですか? でも、確かあなたは黒い服で三十がらみの男をみたという風にお話しされたとききました」
ゼダは、軽く首をかしげる。
「ええ、そうなのですが……」
パーリアは、少しだけ俯いた。
「よく考えれば、私が見た人は、あの人を殺した犯人じゃないような気もするんです」
「え、それはどうして?」
「私は前に怪しい人影をみたんです。でも、その黒い服装の戦士風の人は、後ろにいましたし、それに……」
パーリアは、思い出し思い出ししながら答えた。
「あの人は、どうかしたのか、と聞いてきたんです。それに、表情もただ不思議そうに私をみただけで……」
「ということは、あなたは、その人は関係ないのではないかと?」
「そこまではわかりません」
パリーアは少し自信なさげにいった。
「でも、あまり悪い人には見えなかったような気がします」
「なるほど、そうなのですか」
ゼダは、なにやら考えながら頷いた。
「ともあれ、あなたが見たという人の特徴を教えていただけませんか?」
ゼダがそう聞くと、パリーアは頷きかけたが、その表情がふと凍った。
「あ……!」
ゼダはさっと目を向ける。
悲鳴と共に、細い路地から人が飛び出してきた。飛び出てきた男は、怪我をしているようだが、慌てて走り出し、そのまま逃げ去っていく。それを追ってもう一人が続く。黒いマントが、月光にかすかに映った。
「あ、あの人!」
パリーアは小さな声で、そういった。
「あの人、あの時いた人です」
「え、追いかけていった人のほう?」
「はい」
パリーアの声とともに、向こうでも、金属のぶつかる音がなる。恐くて震えているパリーアをそっと後ろにやりながら、ゼダはため息を一つついた。
「やあれやれ」
その声色だけでも、先ほどと随分違う。
「あああ、マジかい。折角人が今日ぐらいは、大人しくしようとしてたのによ」
いきなり横にいた青年の口調が変わったので、パリーアはぎょっとする。ふと目を向けた先の青年は、先ほどの穏やかな顔つきから一変していて、どこか不敵な印象があった。パリーアは一瞬、これは先ほどの青年だろうかと思う。
そのゼダは、視線に気付いたのか、途端妙に悪戯っぽい笑みをうかべながら、懐に手を入れて、パリーアに袋を持たせる。
「ありがとうな、パリーアさん。今日の礼はこれで頼むぜ」
「え、あ、いえ、こんなに……」
袋の中身が金であることはわかったが、それは結構な額になると思われた。パリーアは慌てたが、ゼダはパリーアをもう一度見ていった。
「早く店に戻った方がいい。悪いね、パリーアさん。気をつけて帰んなよ」
寧ろ、パーリアには、目の前でおきている荒事よりも、目の前の召使だと名乗った青年の豹変ぶりの方が印象深いだろうが、目を丸くしながらも、彼女はゼダのいうことを聞いて、店のほうに駆け出した。
ここから店はそう遠くない。彼女には危険はないだろう。ゼダはそう判断し、騒ぎの元の方に近づいた。すでに勝負がついているのか、場は静かになっている。ただ、おびえたような男の息遣いが響いていた。
「カディンの手先か? 貴様」
男の声が響いた。
「一体、何が目的だ? やはり、フェブリスが目的か? それとも、貴様らが持ち去ったものに関係があるのか?」
「俺はしらない、俺は知らない!」
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