「俺は、丸腰の市民など相手にせん! やったのは、俺ではない!」
俺は、と、ジャッキールは息を継ぎながら言った。
「俺は濡れ衣を着せられただけだ!」
珍しく熱っぽく、そう演説するように言ったジャッキールだったが、それを継ごうとして、ふと口をつぐんだ。
一瞬、ジャッキールの背後で誰かが動いたような気がしたのだ。
ジャッキールは、目の端でそれを捕らえる。黒い影が走り去っていく。その手に、ひそかに握られているのが抜き身の剣であることを、彼は月明かりの反射で見抜いた。そして、それが普通の剣でないことも。
「どうした! ジャッキール!」
シャーが、いきなり声をかけてきた。
「……濡れ衣だといったな、どういうことだ?」
「うっ……!」
ジャッキールは、一瞬ためらった。 シャーに事情を説明する気は、彼にはなかった。だが、シャーは彼にとって宿敵であり、そう滅多に剣をかわすことのない相手でもある。ここで、仕掛けた勝負を捨てるのは、ジャッキールにとっては非常に辛いことだった。
だが、シャーを斬ってから背後にいる男を追いかけるなどという芸当はできない。シャーは強いし、たとえ勝てたとしても、すでに男は逃げおおせているだろう。
ジャッキールは一瞬のうちに激しく葛藤した。ぐっと歯をかみしめて考えていたジャッキールは、ぱっと剣を引いた。
「今夜はこれまでだ! アズラーッド!」
いきなり剣をひくと、ジャッキールはそういって、素早く身を翻す。そのあまりの素早い態度の変化に、シャーはいぶかしんだ。まさか、何か罠でもしかけているのではないか。
「どこへ行く気だジャッキール!」
「今は、貴様の相手をしている場合ではない!」
意外な返事だ。シャーはいよいよ怪しんだ。
「さっきといってること矛盾してるぜ!」
シャーがそういってやると、ジャッキールはやや焦った口調で言い返してきた。
「やっ、やかましいわっ! 俺は急いでいるのだ!」
本気で焦っているのか、その声は、普段の彼よりも上ずっていた。闇に消えていくジャッキールを見ながら、一人取り残された形のシャーは、剣をさげたまま佇んでいた。
「どうなってんだ?」
ジャッキールが簡単に勝負を捨てる。あの最初の勢いを見ているシャーからは、いまいち信じがたい事実だった。おまけに、今日の戦いは、けしてジャッキールが劣勢だったわけでもない。むしろ、うまくはまれば、ジャッキールのほうが有利だったかもしれない。
おまけに、あの笑えるほどの焦りよう。あの様子で、罠をしかけるような小細工を、ジャッキールのような無骨な男が出来るはずもない。
「なに、アレ?」
シャーは、拍子抜けしたといわんばかりの顔で肩をすくめ、一応刀をマントでぬぐってからおさめた。
「喧嘩売ってきたのはそっちだろうが……。あのジャキジャキ」
シャーは、そうはき捨て、ため息をついた。
しかし、ジャッキールのあの態度。あれを考えると、この事件、単純にジャッキールがやったものと考えるわけにはいかない。お前がやったんじゃないか、とカマをかけたときの、あのジャッキールの動揺ぶり。
「濡れ衣、ねえ」
シャーは、顎をなでやりつつつぶやいた。
「これだけ平気で人を斬るあの男が、アレを濡れ衣だっていうところをみると……。やれやれ、どうも、あのダンナ、マジではめられたみたいだな」
それに、シャーも一瞬だけ見たのだ。確か、ジャッキールの様子がおかしくなる前、彼の背後で人影が動いたような気がした。足元に転がっている連中の仲間だと思ったシャーは、さほど気にしなかったが、ジャッキールがアレをみてシャーとの勝負を捨てた。強いものと戦って、それを斬り捨てるのだけが喜びのようなあの男が、自分との勝負を捨てても追いかけねばならないもの。
それが意味することとは……。
「どちらにしろ……。一筋縄じゃあいきそうにねえってか」
冴え冴えと光る白い月。ああ、あと二日ほどで満月になる。
あのジャッキールが、こういう月夜には剣は血で濡れたがる、と言った。だとしたら、満月になればどうなるだろう。
これからのことを考えると、シャーの心にも、すこしだけ暗雲がよぎっていくようだった。
次の日、昼間の早いうちから酒場に現れたシャーに、リーフィがにこりと微笑みかけてきた。まだ舎弟たちは現れていないらしい。酒場は何となくがらんとしていて、暇そうだった。例の事件が尾を引いているのか、昼間だというのに街にも人通りが少ない。
「あら、シャー、早いのね」
「そりゃあ、リーフィちゃんと約束してたもの。むげにできるわけないでしょっ?」
そういいながら、自分とリーフィぐらいしかいない、妙に広い酒場の椅子を足でひきよせ、シャーはそこに座った。
「まあ、お世辞でも嬉しいわ」
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