青ざめた頬には、返り血を浴びているが、男の顔立ちは紛れもない。その冷たい表情に、ゆっくりと笑みが広がった。
「アズラーッド・カルバーン……」
およそ、今は彼ぐらいしか呼ばないであろう古い名前に、シャーは苦笑気味になる。
どろりとした闇の中からわきあがるように、ジャッキールはゆっくりと身を起こした。
「珍しいものと会ったものだ。……貴様がまさか、この界隈をうろついているとはな」
「悪いねえ。オレはどっちかってえとこういう町並みが好きなもんだからして……。で、ジャッキーちゃんは、何をやっているわけ?」
「いい加減、その呼び方はよせ!」
ジャッキールが一瞬だけ、カッとしたのがわかった。こんなときでも、体面が気になるのか、それとも、本当に冗談が通じないのか。
(まあ、返り血浴びてる状態でこんな呼び方したら、オレでもちったあキレるかな)
さすがにジャッキールも血を浴びて興奮している。例の病がちらちら顔を覗かせているらしく、目が血走り始めていた。ジャッキールは、案外部下を率いている時は、頭の芯は冷静でいられるタイプらしい。だが、あいにくと今回は、その頭を冷やす部下はいない。そうなった場合の彼の行動は、シャーにはいまいち把握しかねるところがある。
シャーは余裕を装いながらも、少し警戒しながら笑いかけた。
「それじゃあ、ふざけないで相手をしようじゃねえか」
シャーは、薄く笑いながら足をすすめた。まだ剣は抜かず、片手を柄にかけたままだ。
「相ッ変わらず、あんたの悪趣味にはため息も出ないぜ。ジャッキール。人間てえのは、そうばたばた殺して済むもんじゃあねえんだぞ」
「俺からしかけたのではない。ふりかかった火の粉は払うまでだ」
ジャッキールは、そう吐き捨て、血のりをはらいながらシャーに笑いかけた。刃に月の光が映りこんで、まるで赤く光っているように見える。
「それとも、貴様も俺に降りかかった火の粉だとでもいうのか、アズラーッド」
シャーは、それをまともに受け取らず、軽く肩をすくめた。
「さあ、どうだろうなあ。……で、今斬り捨てたのが、どこの飼い犬か、知ってるのか?」
「あらかたな。だが、貴様には関係のないことだ!」
ジャッキールは、そういってざっと剣を突きつけてきた。
「ちょうどいい。どうせ、貴様とはいつか決着をつけねばならない。なら、今つけてやる!」
「ふん、相変わらず顔色悪いくせに血の気の多い男だぜ」
シャーはため息まじりに、しかし、にんまりと笑いながら入った。
「……でも、あんたは、オレを殺さないでしょ」
「何?」
ジャッキールは、怪訝そうな顔になる。シャーは得意そうな顔のままで言った。
「……この前、危ないところを助けてやったじゃない。その分一回は見逃してくれるんだろうな?」
「俺はそれほど甘い男ではないぞ」
ジャッキールは、顔をややゆがめてそうこたえる。
「どうだかねえ。まあいいさ、オレも後顧の憂いは消しときたいからよ」
シャーは、軽く足をひらくと、柄を抑えたままふらりとその場にたった。
その場の空気が急激に冷え込んだ。研ぎ澄まされたような、触れるときれるような鋭い空気が場を支配する。シャーはその場に立ったまま、相変わらず片手で柄を押さえたまま。ジャッキールのほうは、彼に剣を突きつけたきり、動いていない。
「いっておくけど、飛び込んでくるのは、あんまり感心しないぜ。飛んで火にいる……てのもよくある話じゃないか」
普段のどこかへらへらしたような口調ながら、その言葉は、おそらく挑発の意図を含んでいる。
「はっ! 俺に今更命を大切にしろなどと説くつもりか?」
「いいや、これは単なる忠告さあ」
シャーの言葉が終わった瞬間、ジャッキールが動いた。軍靴によく似たがっちりした靴が、砂の大地を踏みしめて強く擦れる音がする。
ジャッキールが迫ってくるのが、目に映る。シャーの手元で、白刃の光がはじけた。すでに、ジャッキールはシャーの懐に入ってきている。そのまま、振り払えば、胴をなぎ払えるはずだ。
だが、その瞬間、ジャッキールの目が冷たさを帯びた。
「舐めるなあッ!」
身をそらしながら、ジャッキールは振り下ろしかけていた剣を素早く引いて、横に流してきた。シャーが抜き打ちで放った一撃は、それで弾かれる。力はジャッキールのほうが強い。後ずさり気味になるシャーに、ジャッキールは、瞬時に構えを仕切りなおし、そのまま打ち下ろしてきた。
「そうこなくっちゃな!」
真っ向から下ろしに来た剣を斜めに受け流す。指に痺れが伝わる。力をうまく流したのだが、それでも衝撃が残る。あれだけ力強く振りながら、すぐにジャッキールは切り返してくる。それを避け、シャーは下からジャッキールの剣を叩き上げながら、その横を抜け、向こう側に身を翻した。
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