「ぐ、……そ、それは……」
 律儀なジャッキールは、眉を寄せて苦悩の表情を浮かべるが、シャーはそんなことお構いなしである。
「それじゃ、ダンナ。また何かのとき頼むからね」
「う、う……」
 借金に悩む男のような顔をした後、ジャッキールは、黙って外に向かって歩いていった。背中に敗北感があふれているのは、おそらく気のせいではない。
 ジャッキールが外にでたあと、ふとリーフィがなにか思い出したように声をかけた。
「ジャッキールさん」
 扉の外で、ジャッキールが足を止めた気配がした。リーフィは続けていった。
「あなた、さっきみたいにちょっとだけ笑った方がいいわよ。もともときれいな顔をしているんだし。そうしてると、割といい男だとおもうんだけど」
 外の方からがっしゃーんとけたたましい物音が響き渡った。
(うわー……、アイツ、入り口の樽をひっくりかえしやがった……)
 ジャッキールには、ああいう言葉は動揺の材料なだけらしい。
(アイツ、ひょっとして自覚ないのか? いや、でも、周りも、確かに言われるまで二枚目ってわかんないよな。確かに、客観的に見れば、顔だけはいいはずなんだけども。もったいねぇー……)
「どうしたのかしら。何かすごい物音が……」
 リーフィが首をかしげた。
「どうしたっていうか、まあ、ちょっとした事故じゃないの?」
 シャーはそう答えながら、ため息をついた。
 それにしても、リーフィもひどいことをするものだ。いや、本人には悪気はないだろうし、おまけに、リーフィは客観的事実を述べただけらしいので、別に色恋の意識もひとつもないところが罪が深い。
「しかし、贈り物が花って、相変わらず古風な奴」
 ネズミがやるのはただのキザだが、ジャッキールは、考えた末にそれ以外思いつかなかったという感じが濃厚にして、何となく可愛そうにならないでもない。ジャッキールという男、時々妙に不憫さが漂うところがあるらしい。
「外をみにいってこようかしら」
「あ、あの〜リーフィちゃん、あんまりかまってあげない方が、本人の幸せの為ってことも……」
 どうせ、派手な転び方をしたに決まっている。ある意味悲惨なことになっていそうなのだが。
 シャーは、苦笑いしながらそういうが、リーフィは、すでに酒場の扉の方にいる。リーフィの後をついていきながら、シャーはちょっとだけジャッキールに同情するのだった。


 シャーの予想通り、入り口の樽をひっくり返したジャッキールは、それを慌てて積み上げ終わり、ようやくため息をついたところで、ふと我に返って周りを見やった。ジャッキールが派手な転び方をしたものだから、まわりにギャラリーが出来ているのだ。
「……な、何を見ている!」
 ジャッキールは、はっと頬を赤らめながら、慌てていった。とはいえ、ジャッキールの顔色はもともと悪いので、多少赤くなったぐらいではわからないのだが、本人は必死だ。
「み、見世物ではないぞ! 去れ!」
 さすがに、ジャッキールの風体でそれを言われると恐い。ジャッキールの場合、もともと持っている雰囲気自体も異様なのだが、それだけでなく、やたらと武官くさい雰囲気がある。名門武人が身を持ち崩した感じだが、それだけに、気位が高いのは一目瞭然でわかるので、プライドを傷つけると厄介な印象があるのだ。
 だからこそ、笑えるのだが、さすがに笑うとその場で、斬捨て御免でもやられそうな雰囲気がある。見物人は慌てて視線をはずした。
 ジャッキールは、ようやく安堵して胸をなでおろした。この上で、もう何か番狂わせは起きないだろう。
 そう彼が安心した瞬間、更なる試練が彼の前に立ちふさがった。
「あ! おじさん! 大丈夫だったんだ!」
 急に背後から聞こえた子供の声に、ジャッキールは改めてびくりとした。そっと振り返ると、そこには小さな女の子が立っている。彼を見上げて、安心したように笑っている彼女に、ジャッキールは、さっと青ざめる。
 ジャッキールは名前を知らないが、彼が助けたあのレルという娘だ。
「リーフィおねえちゃんから訊いてたけど、本当に大丈夫だったんだね! よかったわ! あの時、助けてくれてありがとう!」
「し、知らん。俺は知らんぞ」
 樽はひっくり返した後だ。こんなところで、女の子を助けたのが暴露されると、ちょっと恥ずかしいらしい。変なところで、妙な体裁をかまうらしいジャッキールは慌てて悪ぶっていった。だが、一度動揺してしまうと、彼のような不器用な男が、それをつくろえるわけがない。声には、はっきりと狼狽が現れていた。
「お、お、俺は、知らん。ひ、人違いだ」
「おじさんを間違えるわけないよ。あまりこういう格好の人、町にいないのに」
「と、とにかく、俺は知らんといったら知らん。人違いだ! 早く行け!」


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