しんと世界は静まっている。独特の緊張感に支配された世界の中で、シャーは鞘を握るとそのまましゃっと中身を滑らせた。青みを帯びた刃が、清涼な三日月の光にさっと照りかえった。
「野郎!」
 その光に刺激されたのか、男が一人気合の声をあげて飛び掛ってきた。シャーは抜いた鞘を腰に落とし差すとそのまま向かってくる相手のほうに走った。大またで飛ぶように二、三歩。相手の刀が頭の上から降りてくる。
 冷静に見つめていたシャーは、右手に下げていた刀を斜めに切り上げた。かーん、と音が鳴り、勢いつけて飛び掛ってきていた男の刀がはじき返される。勢いをつけたのがわるかった。完全に伸び上がって頭の上に両手が上がってしまった男の胴はがら空きだ。
「しまっ…!」
 男の舌打ちとシャーの笑みは同時だった。シャーは男の腹部に膝蹴りを思い切り食らわした。
 飛ばされて腹を抱えこんで苦しんでいる男にめもくれず、シャーはその横をすたすたと通り、宣言した。
「次は誰だ? …相手してやるぜ。」
 その顔は挑発的な笑みに歪んでいる。ぞくりとするような、冷たい光を青い目に宿し、三日月の薄い光がその冷たさを増させている。
「くそっ!」
 恐怖を感じないわけではない。だが、相手はあのシャー=ルギィズなのだ。酒場で飲んだくれては、踊る事ぐらいしか能のないごろつき以下のシャー=ルギィズ。金を巻き上げられては、ぎゃあぎゃあわめいていたどうしようもない屑野郎のはずである。
 その男に挑発されて、平気でいられるわけもなかった。
「なめんな!」
「地獄に送ってやる!」
 口々にいい、三人の男たちが飛び掛ってきた。シャーは軽く肩をすくめた。
「あ〜ぁ、おんなじような台詞ばっかじゃないの。詰まんない子たちだことぉ。」
 でも、と、心の中でいい、シャーは刀を胸の前にあげる。
「どうせお互いロクでもねえ道に生きるもの同士だ。手が滑っても恨むんじゃねえぜ。」
 ざっとサンダルを鳴らしながら、シャーは斜め前にとんだ。そのまま一番右にいる男に狙いをさだめる。
 男はそのままシャーに突っかかった。両方が攻勢に出ている。とすれば、早く攻撃態勢に入ったほうが有利だ。しかし、突っかかってきた相手よりも、懐に飛び込んだのはシャーのほうが早かった。背の高い身体を少し前のめりに縮めて、刀をひきつける。
「うぐっ!」
 シャーは刀を一閃すると、そのまま相手の刃を避けて横に飛ぶ。どたん、と後ろで男が倒れた。シャーの刀に血のりが着いていないことから考えて、どうやら相手を切らなかったようである。一瞬手のひらを返して峰で打ったのかもしれない。
 ちょうど真中からかかってきていた男が、刀を振りかぶってこちらに向かってくる。シャーは無表情に足をすっと運ぶ。
 刃が触れ合うかと思った瞬間、意外にもシャーは妙に悪戯っぽく含み笑いを浮かべた。男がその笑みに気づく前に、彼はいきなり身を斜め後ろに翻した。予想外の行動に、一瞬相手があっけにとられる。
 その直後、後ろに流した右足で、たんと軽く地面を踏む。その反動で、前に飛ぶが、それは相手の男が予測していた動きと微妙に変わってくる。闇にまぎれながら、シャーは前に警戒を向けていた男の側面を狙った。
 だが、実際男に当たったのは、シャーがすっと忍ばせるように突き出した剣先ではなかった。振るわれる切っ先に向けて必死で防御しようとしていた男は、同時にシャーの足が男の足を掬いにきているのに気づかなかったのである。そのまま右足を蹴られ、男は剣を手放してみっともなく前に転んだ。
 シャーの目はすでに次の相手に向けられていた。あと残りは一人である。しかし、前の二人を相手にしている間に、男との距離は随分狭まっていた。すでに相手は剣を振りかぶって、シャーを射程に捉えていた。
(避けるのは無理か…)
 シャーは素早く切り替えて、足を一歩引くと相手の剣をがっちりと受けた。思ったよりも相手は力が強い。急遽切り替えたため、バランスがうまくとれなかったのもあり、はじき返すには体勢が悪かった。
「チィッ!」
 シャーは舌打ちし、仕方なくやや引き下がる形で剣を滑らせ、相手とつばぜり合いに持ち込んだ。鍔迫り合いは、できるだけ避けたかったがやむを得ない。
 相手も必死なのは薄明かりのなかでもわかる。男の、ごつい顔がひきつっているのがわかった。軽く相手の唸りが聞こえた。
「くっ…」
 力ではどうやら勝てそうにない。シャーのサンダルがやや引きずられて、砂をかんでズザッと音を立てる。鍔を相手の剣に絡ませたまま、シャーはにやりとした。力をいれて歯を食いしばっている状態での笑みは、何となくぎこちないものである。体の右側をぶつけるように寄せていたシャーは、相手から押さえつけた鍔に目を移しながらすーっと目を細めた。


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