その日、夕暮れが早かった。曇ってもいなかったが、何となく暗い夜だった。すでに三日月が高かった。
リーフィはその日は酒場を休み、夕方人目を忍ぶように歩いていた。顔を隠すようにショールを巻き、そしてその胸元には青いトンボ玉を繋いで作られたペンダントがひっそりと輝きを放っている。
トンボ玉はガラス製品だ。この地方では、割と需要の多い飾りである。それは特に高価なものでもなさそうであったが、それを少し気にしながらリーフィは道を急いでいた。
今日は、人目をはばからなければならない。誰にも後をつけられていないかどうかも確認し、おまけにそっと腰に短剣をしのばせていた。
最近はどうも治安がよくない。この前シャーが真昼間からごろつきに絡まれていたのもそれの現われだ。いくら絡まれやすい顔をしているシャーでも、あんな昼間から絡まれているなどというのは、珍しい。
ふっとリーフィはため息をつく。
「本当に、あそこにもっていけばいいだけなのかしら。」
そういいながらそっと胸のトンボ玉の首飾りに手をやった。
「それに、私一人で行けなんて…」
少なくとも今まではそんなことを頼まれる事はなかった。不安に思いながらも、リーフィは仕方がなく足を進める。ため息が少しだけ白かった。砂漠の中の都だけに、夜の冷え込みはきつい。
ざ、とサンダルが砂を擦る音がし、リーフィは慌てて振り返る。そして、そこにいる人物の影に少しびくりとした。
そこに立っているのは、長身痩躯のひょろりとした男だった。髪型と、暗い中でも余計青く見えるその着衣、それにその顔つきでリーフィにはそれが誰であるかわかった。
シャーだ。シャー=ルギィズである。
「リーフィちゃん、こんばんは。」
にっとシャーは笑った。リーフィは少し、どきりとした。それは、いつものシャーとそのときのシャーの表情が少し違ったからである。もちろん、目の錯覚かもしれない。だが、いつもからは考えられないほど、何か生気のようなものが感じられた。
「シャー…」
「こんなくらい夜に夜道を一人歩きなんて、すごく危険だよ?」
シャーは相好を崩した。いつもなら、「貴方のほうが危険でしょ」と突っ込み返すところだが、静かな迫力がある。三日月に照らされたせいか、彼の瞳は妙に青さが目立った。なにか、悪い事が起きるような気がする、胸騒ぎを起こさせるようなまなざしだ。ある種の魔性を感じさせる、猫のような目だ。
「オレがエスコートしてあげるけど。」
「い、いいわ。」
リーフィは愛想笑いを浮かべたが、それはあまりうまくなかった。シャーに対する警戒が、表情に出てしまったという感じである。シャーは警戒されている事をしって、苦笑いした。
「やだなぁ。オレみたいなひ弱〜な男が、そんな危害加えるわけ無いじゃない。」
「何を…しているの?」
リーフィに訊かれて、シャーは少しおどけた様子で答えた。
「散歩だよ、散歩。今日もずいぶん飲んじゃったから酔い覚まし〜! いんやぁ、月に当てられちゃったってやつ? いいお三日月様ですこと〜って! ね、そう思わない?」
精一杯彼がテンションをあげても、リーフィはにこりともしない。シャーは不意に我にかえったように、リーフィを覗き込んだ。
「どうしたの?元気ないね。」
長身のクセにどういうわけか、下から覗き込んでくるシャーの顔は、本当に心配しているように見えた。
「何でもないのよ。あたし、もう帰るから。」
リーフィは後ずさる。
「そう? 夜道はホントに危ないんだよ。気をつけてね。」
「あ、あなたも…。この前、殴られたばかりなんだから、気をつけなきゃ。」
「うん、ありがとー。じゃあ、おやすみ〜。」
シャーは手をするりとあげた。リーフィがほっと安堵したが、すぐにシャーは彼女のほうを向いた。
「ああ、そうだ。そのペンダント…。」
シャーはそっとリーフィの胸元に輝くペンダントを覗きやる。青いトンボ玉がそこに輝いている。
「きれえだねえ。それ、誰にもらったの?」
にっこり笑いながらシャーはそう聞いた。リーフィは慌てて後ずさる。
「シャー…!」
思わず護身用の短剣に手をかけてしまいながら、リーフィは怯えたような顔をした。シャーは警戒されている事すらわかっていないのか、ふっと首をかしげた。
「どしたの?」
「あなた、…見たのね?」
「何が?」
シャーは、心底分からない、といった顔をして見せた。
「オレ、ただそれが綺麗だなあって思っただけだってば。ほら、リーフィちゃんがそんなんが好きなら、今度オレもプレゼントしちゃおうかなあっとかさあ。」
「嘘ならやめて頂戴。」
リーフィは静かに言った。
「あなた、あの日、私とあの人が話しているのを立ち聞きしていたんじゃないの?」
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