「……オレ、あんたに本気で惚れるつもりじゃなかったんだけど…」
 それから少し間をおいて、彼は戸惑うように言った。
「…あんたのベリレルさんは…とんでもない奴なんだぜ…。」
 ちゃりん、と音が鳴る。財布の中の音ではない。シャーの手が刀の柄に当たった音だ。正確にいうと、彼はわざと鍔を鳴らしたのである。
「あんたも、それじゃあんまりだよ…。」
不意に、奇妙な殺気がシャーのわずかに青い目に宿る。が、それは一瞬の事で、彼はそのままサンダルを履いた足を返した。
 リーフィと反対側に歩き出していくシャーは、すでにいつもの臆病な元のままのシャーだった。


 
  シャーはいつも酒場にやってくる。夜になるとだが、どこからともなくふらりと彼は現れるのである。青いマントをひらりと翻しながら、酔ってもいないのにふらついた足取りで、いつものようにやってくる。
 シャーがどこにすんでいるのか、誰も知るものはいない。酒場でさんざん騒ぎ終えると、風のようにいなくなる。いつ、どこへ消えたのか、彼を取り巻く連中も知らない。ただ、帰り道で闇にとけ込むようにいなくなるという。
 今日も酒場にやってきたシャーは、他人の金で酒を飲みながら上機嫌だった。あれから、三日ぐらいたつ。すっかり、頬の擦り傷さえ消えてしまったシャーは、あそこで絡まれたことなど忘れたような顔をしていた。
 リーフィは、忙しくてシャーの相手をしている暇などなく、彼のやってくる時間には早めに家に帰ってしまっていたのでここのところ彼の姿を見なかった。しかし、今日は幸か不幸か、客があまりいなかった。なので、シャーが彼女にしゃべりかけるいいチャンスだったのだった。リーフィの顔を見ると、彼はあわてたように駆け寄ってきた。今日も青い服のシャーは、腰にはあの実際役にも立たない刀を帯びている。
「あ、リーフィちゃん、この前のお昼はありがとう!」
 照れるようにしながら、彼はいう。
「最近、顔を合わさなかったから、今日はお礼をさせてもらいたいんだけど…」
「いいわよ。悪いわ。」
 どうせシャーは金を持っていない。わかっているので、リーフィはそう断った。
「お金のかかるのはオレには無理だよね。でも、それ以外だったら、オレも何とかなるんだよ?」
「前言ってた相談ってこと?」
 シャーは軽く首を振った。
「いやぁ、そうじゃなくって、一回だけ、リーフィちゃんの身辺をお守りするってのはどう?」
「あなたと一緒にいるほうが危ないんじゃないの?」
「ひどいよ。オレがそういう男に見えるの?」
 シャーが非難するような口調で言った。彼が、こういう不満を口にするのは、少し珍しいことである。どうやら勘違いをしているようなので、リーフィは丁寧に答えた。
「そうじゃなくて、…あなたと一緒にいると、あなたの方が殴られて危ないんじゃないのといったのよ。この前、ひどい目にあったばかりでしょ? 私を守ったりなんかしたら、あなた、自分から厄介ごとに巻き込まれてるも同然なのよ?」
 言われて、シャーは思い出したようにカクッと首をたらした。
「そうだね…自分の腕のこと忘れてました…。」
「気にしないでいいのよ。別に。」
 リーフィは、少しだけ微笑んだ。どことなく表情の薄いリーフィは、かすかに微笑むと、何となく寂しげに見えた。
 シャーは、少しだけ申し訳なさそうな顔をして、笑い返した。
「でも、困った時は、何かお役に立つよ。…リーフィちゃんがさらわれそうになったり、誰にも頼れないときとかは…」
「そんなときがくればね、もし…だけど。」
 リーフィが答えると、シャーは、深くうなずいた。急に明るい顔になり、シャーは飛び跳ねんばかりに勢いよく振り返る。
「お前たち〜!」
 いきなり、シャーは大声に叫んだ。いつの間にやら、どこで失敬したのか酒のなみなみ注がれた杯を手に持っていた。
 おーっ! と、シャーを取り巻く連中が、声をあげる。
「オレの踊りを見たい人〜!」
 またしても、酒場の中で、おーっという歓声がする。シャーはそれを聞いて、満足げに手にもっていた酒をぐいっと一息に飲んだ。一気に効いてきたかもしれないアルコールと、その場の空気が、彼をさらに盛り上げたのか、場末のこの酒場いっぱいにとどろくような声で、彼は叫んだ。
「じゃあ、今日は気分がいいので、踊っちゃうぜ! お前ら〜〜!」
「おお〜!!」
 拍手と歓声があがった。
「それじゃ、音楽とステージの用意を…」
 シャーがそういい、彼の周りの机やらいすやらが避けられ始めたとき、不意にその独特の盛り上がりを壊すような音がした。
 急に閉めていたはずの入り口のドアが開いたのである。それも、大きな音を立てて。
「ベイル…。」
 リーフィは、ドアを破るようにあけて、飛び込んできた男をみてつぶやいた。


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