「オレ、今日はカッファの話聞きたい気分じゃないもん。また後にしてよ〜」
「何ですと!」
 カッファはとっさに持っていた書類で頭を張り飛ばしたくなるような衝動に駆られながら、必死でそれを我慢した。こんな馬鹿でも、一応主君だ。だが、あの間延びした猫のような声が、カッファの堪忍袋をちくちくと突っついては破っていきそうにするのだった。
 カッファが、道徳心と衝動の間でジレンマに陥っているのを、ちょうど少し離れた場所から、二人の将軍が見物していた。
「いつまでもつかねえ、あのカッファさんの苛立ち」
「あいつは元から気が短い。そろそろダメだろう」
「あっ」
 ハダートが声を上げた。視線の先で、カッファがとうとう誘惑に負けて、書類でシャーの頭を後ろから張り飛ばしていた。当たり所が良かったのか悪かったのか、被っていた布がはずれてシャーのくるくるの髪の毛が広がった。
「あーあ、やっちまった」
「まあ、気持ちはわかるがな」
 ジートリューはそんな事を言いながら、文句をつけているシャーと説教をしているカッファをまだ見ている。
「しかし、…………あの馬鹿見てるとイライラするねえ」
 不意にハダートがそんなことを言った。
「何がだ? イライラするのは、貴様の伝達ミスのせいで色々迷惑だったことぐらいだと思うがな。ゼハーヴにも怒られるし」
「そういうな、オレも大変だったんだよ」
 ハダートはさらりと言ったが、実際はわざと連絡をしなかったものもある。二人してゼハーヴに絞られたのは、そうした伝達の不備を叱責されたわけであるが。
「まったく、あれぐらいで怒るなんてゼハーヴさんも器量が狭いよなあ」
「それは私も同意だな。あの男は何かと細かい」
 二人とも、あまり反省の色はない。ゼハーヴがこの二人を問題児扱いするのは、何度言っても、この二人が自分の好きなようにやるからである。この二人に言うことを訊かせられるのは、ほとんどシャルルしかいないのだろう。
「でも、オレが今イライラしている原因はあそこだ」
「はあ? 中庭か?」
「そう、あそこで楽しそうに話をしている男女を見ろ」
 ハダートは中庭を指さす。ジートリューは、そちらをのぞきこんだ。。そこには、レビ=ダミアスとラティーナが一緒に座っていた。
「何だ、あれは。レビ王子とあの小娘ではないか」
 ジートリューも気づいたようだった。そしてカッファの小言を背で聞きながら、バルコニーから身を乗り出しているシャーを見た。シャーが何を見ていたのかようやくわかった。彼は親しげに話す二人を、ずっと眺めているのである。
「あの馬鹿が仕掛けたんだろ。……自分よりもレビ王子の方が娘の好みに近いだろうしってことで。それで、自分は身をひいて、あの二人の仲立ちをしたらしいぞ」
「何? そんなことをしていたのか?」
「……レビ王子はラハッド王子とちょっと似たタイプだからな。……想い人のために、新しい恋人のお膳立てまでしてしまうとは、あの馬鹿、哀れすぎる」
 ハダートは、あきれながらも不憫そうに、何かもの欲しそうなシャーの背を見た。
「ま、娘に気づかれてもいないようだったからな。それにあの鈍いレビ王子が、あの雰囲気だけで奴の思いには気づけないだろうし、仕方ないだろうなあ。……それに、どう考えても勝ち目はないし」
「そう考えると不憫な奴だ」
「まったく」
 同情の目を向けるハダートとジートリューに気づいていないのか、シャーはまだため息をついている。カッファも、彼が何を見ているのかは実はよくわかっている。
「やはり男は押しじゃないですか! 陛下!」
 見かねたらしいカッファが強い口調で言った。どこかで聞いたようなせりふだな、とシャーは思う。
「もう一押しすれば、あの子、絶対になびきますぞ!」
「何いってんの〜」
 シャーはやる気なくいった。
「……弟の婚約者だったんだぜ。あの子。王のオレが手ェ出してみなさいよ、何言われるかわかったもんじゃねえぜ。それこそ、ラハッドは、オレが殺したって言われちゃうじゃないの。そしたら、皆困るでしょ?」
 目を下に下げると、レビがラティーナと庭園で語らっているのが見えた。レビは、以前より顔色がいいし、ラティーナのほうも沈んでいた顔つきが、かなり明るくなり、前にも増してかわいくなったように思う。
「それに、なんだかレビの兄上といい感じだし。オレは身を引いたほうがいいんだよなあ」
 言いながら、シャーは少し落ち込んだような顔をした。カッファは少し気の毒そうに彼の背を見つめた。
「体の弱いレビの兄貴が、あれで元気になったら、オレは言うことないし……」
「し、しかし、しかし陛下はそれでよいのですか! これが一世一代のチャンスじゃないですか! いまなら、なびくこと確実! この辺で、先手を打ちましょう!」


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