「あれから五年たったが、まだ餓鬼の部類だな、貴様は」
 ジャッキールは苦笑した。
「餓鬼の部類の貴様など、どうも殺す気になれん」
 だが、と、ジャッキールはつぶやいた。
「手を下せない時点で、俺の負けだ」
 ジャッキールは、マントを翻した。ラゲイラとは、結局、あまりよい決別の仕方を出来なかった。だが、それも仕方がないだろう。
 ジャッキールは、しかし、少しだけ晴れ晴れした気分にはなっていたのだ。やはり、一つの主人に長くとどまりすぎるのは、性に合わないのかもしれない。
 



 ジェアバード=ジートリューの周辺は混乱で満ちていた。
「やはりそうです! 兵舎の一部で同士討ちが起こっているようです!」
 イライラと伝令を待っていたジートリューは、ようやく来た部下の報告をきいて唸った。
「くそっ! ハダートが言っていたのはこれだな! 内乱でも起こす気か?」
 しかも、それを起こすためのラゲイラの手下が自分の兵隊に、これほどまでに入り込んでいるとは思わなかった。いや、気づいていても、人数の多いジートリューの軍では、一日二日で調べがつくはずもない。
「将軍! どうしますか!」
 慌てた様子で部下がきいたが、ジートリューは、かっと大きな目を見開き、怒鳴りつける。赤い髪がまるで逆立っているようで、炎の揺らぎを思わせる。
「愚かものが! こういうのは気合いで鎮めろ!」
「そ、そんな無茶を……」
 赤い髪のジートリューの髪の毛は、彼が怒ると本当に燃えているように見えるという。確かにそうかもしれない。怒髪天をつくというが、そういう時のジートリューには、あまり近寄りたくないのが部下達の本音だ。
 だから、伝令の兵士は、言いにくそうにそうっと報告の続きを言う羽目になった。
「あ、あの……」
「どうしたあ! 言いたいことがあるなら、はっきり言え!」
「は、はい、あの……そのハダート将軍ですが、どうも、軍の動きがおかしいんです。警備とはとても思えないような、……城の方に行軍しているようにしか見えないのですが……。このままでは我々とぶつかることになるかと」
「なに! とうとうハダート将軍が裏切ったのか!」
 近くの部下が言ったが、ジートリューは、珍しく反応を返さない。
「将軍、どうなさいますか! あの男は奇策を用いることを好みます。何が起こるかわかりませんよ!」
「まあ、どうにかなる! 衝突する前に時間稼ぎをしろ」
 急に冷静になったらしく、ジートリューはあごに手をあて、何か考えるとすぐに歩き出した。
「将軍! ハダート将軍は、都合が悪くなるとどちらにもつくという蝙蝠のような男ですよ」
「奴のことはよくわかっている。もし、それが本当なら倒すまでよ!」
「し、しかし…………」
 勢いよく言う彼に、部下達は不安そうだ。ハダートの策略は、少なくともジートリューや自分たちのそれよりも優秀で狡猾である。見破れるわけもない。ずんずん進んでいくジートリューに付き従いながら、彼らは困惑した顔を見合わせている。
「大体、あれがすぐに行動を起こすわけがないだろう」
 ジートリューは、後ろの連中の不穏な気配を感じ取ったのか、振り返ってそう言った。
「あのハダートは、必ず自分の保身の為の道を作っておく男だ。ということは、ぎりぎりまで情勢を見てから、どちらにつくか決断を下す。まだ事は起こさないだろう」
 それに、とジートリューは言う。ハダートとは長いつきあいになってきている。だからよくわかるのだ。あの男の思考は表裏がありすぎて複雑だが、意外なことに行動原理だけは単純だということも。ハダートという男は、この世の全ての出来事を「気に入る」か、「気に入らない」かで判断して行動しているだけなのである。
 だから、「気に入って」いる限りは、何とか、今の状態を守ろうとする。だとすれば、積極的に動くはずがない。
「あれは、ああ見えてシャルルをひいき目に見ている。そう簡単に裏切りはせんはずだ」
ジートリューはそう断言し、自ら指揮を執るため、ずかずかと歩いていく。また再び顔を見合わせながらも、部下の将軍達は、結局は上司を信用するしかないのだった。



すっかり、決着はついていた。押し出されて隣室まで下がったときは、レビはすでに捕らえられていた。カッファにしても、こんな多勢に無勢の状態で、ラティーナをかばいながら戦うのには限界があった。レビ=ダミアスが捕まっていれば、抵抗するすべもない。
 ザミルは何人かの兵士達を背にたたずんでいる。その下の床ではレビが倒れ込むように座っていた。カッファとラティーナの背の側にも兵士がいる。近衛兵の一人も、今はカッファの横で無抵抗に武器を捨てていた。
「レビ様! 大丈夫ですか?」
 普段よりもさらに顔色の悪いレビ=ダミアスは、まだ時折咳をしている。


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