「裏切り者の言うことをきく義務はねえ!」
 ジャッキールははっと顔を上げた。ベガードはにんまりと笑った。
「お前は、あの青いマントの三白眼と何か取引をしやがったな! それでわざと逃がしたんだろう! 俺は見てたんだ!」
「馬鹿を言え!」
 さすがに、ジャッキールの声色が変わった。目を細めて睨み付ける。
「俺は、取引などしてはいない! 俺は自分の役目は十二分に果たしたつもりだ! 俺がいなければ、ここを制圧する前に、あの男は宮殿に上がっていたはずだぞ!」
「今更言い訳とは情けねえぜ! ジャッキール!」
 ベガードは、懐から紙切れを取り出してさっと掲げた。それが王族の出す命令書だということは一見してわかる。
「お前を処刑してもいいとの、ザミル様の言いつけだ。……宮殿で死ねるんだ。お前みてえな野良犬にとっちゃいい枕だろうが!」
「ふん、あの坊ちゃんの命令か。それなら、話は早いな」
 ラゲイラの監視を離れて、気に入らない自分を消しにかかったのだろう。ジャッキールは、にやりとわらった。
「だとしても、俺も、甘く見られたものだな」
 ジャッキールは、嘲笑いながら剣に手をかけた。ジャッキールの腕のほどは皆が知っている。兵士の間に戦慄が走った。
「これぐらいの人数で俺が殺せるとでも思ったか? 貴様ら、全員地獄に行く覚悟はしてきているのだろうな!」
「ふん、これだけじゃねえ! 増援はいくらでもできるんだ!」
「俺は貴様が助けをよんでいる間に、貴様の胸を抉ることぐらいの芸当はできるぞ」
 暗く低い声で、影の落ちる笑みを浮かべながら、ジャッキールはベガードに告げた。そして、その黒い長身をゆらりと揺らめかす。剣の柄を握る指にそうっと力を込めながら――。
「まったく、俺も……舐められたものだ、な!」
 最後の言葉尻が聞こえると同時に、ジャッキールは剣を掲げて踏み込んだ。近くにいた兵士がまともに一撃を受けて倒れる。
「何してるんだ! やれっていってるだろうが!」
 ベガードは自分の大刀を抜きながら叫ぶが、ジャッキールの腕を間近で目撃した彼らにおびえが走るのは当然だ。ジャッキールは戦闘中、時々理性が飛ぶのである。それは有名な話だった。
 つい道をあける兵士達すらいる為、ジャッキールはそのまま、笑みを浮かべながらベガードにむかって剣を構えながら進んできた。
「くそっ!」
 ベガードが振るった剣をはじき返し、ジャッキールは後ろに飛んだ。
「最初から気に入らなかったんだ!」
 ベガードはいらだったように叫んだ。
「なんでお前みたいなイカレた野郎が、ラゲイラ様の信任を得るんだ!」
「こういう商売につくような男が、まともな神経をしているはずがなかろう。貴様もどうせ同じ穴の狢なのだ。……大体雇い主の思惑など、俺のような傭兵の知るところではない!」
 つ、と、蛇のように迫ってくるジャッキールの剣をかろうじてかわし、ベガードは全力をかけてジャッキールの首を狙う。だが、ジャッキールの笑みは消えない。返す刀で軽く力を受け流しながら横に逃げる。
「相変わらず力だけだな、貴様は。力だけでは俺には勝てんぞ」
 と、ジャッキールの目が背後に動いた。奇声が聞こえたのだ。後ろにいた兵士達が我に返ったように彼に襲いかかってきたのである。
「大人しくしていればいいものを!」
 ジャッキールは、黒いマントごと身体を翻すと、剣をそのまま振るった。飛びかかってきた兵士の刀とかち当たった瞬間、勢いで相手を倒れさせる。次の標的を鋭い目で探り、決定し、そして、そちらに向かって剣を振るう。
 いつの間にか兵士が増えていた。ジャッキールは同時に三名の剣を受け、そして、背後の連中にも気を配る。だが、それでもジャッキールの余裕は消えない。修羅場に慣れきっているジャッキールには、もしかしたら恐怖や危機感がかなり麻痺しているのかもしれない。
 ジャッキールは薄く笑った。
「ふ、ふ、王宮の絨毯を枕に死ねるのなら、俺にとっては勿体ない死に場所だがな……。貴様ら、俺をちゃんと地獄におくってくれるだけの力量はあるのだろうな?」
 ジャッキールには、まだ余裕がある。地下道での戦いで、濡れながら戦った形跡がある彼であるが、まだ息を切らしてもいなかった。
「あまり期待損をさせるなよ……」
 後ろから飛び掛ってきた兵士をかわし、ジャッキールはそのまま前にいるものの剣を受ける。ひいては返し、受け止めては切り払っていく中で、兵士のいくらかは逃げていったようだ。
(ベガードは!)
 ジャッキールは、彼の姿が見えないことに気づく。目の前から降ってきた刃をはじき返し、その男に蹴りをくれて倒したところで、ジャッキールは反射的に振り返った。
 ベガードは、ちょうどそのとき、彼に向かって刀を振りかぶったところだった。


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