ザミルは突き出した刃をさっと掲げた。そのまま、真下に振り下ろそうとしている彼の口許には歪んだ笑みが浮かんでいた。
時を待つにも限界がある。これ以上待っては、自分も疑われる。しかし、誤った判断をすれば、また破滅を選ぶことになる。
「右せんか、左せんか……か。辛い選択肢だこと」
ハダートは他人事のようにそういって、燃えさかるたいまつの火を見ている。油がじりじり鳴るごとに、期限は迫ってきているのだ。冷たい砂漠の風に、とうとう部下の一人が声をかけてきた。
「将軍…………」
「……仕方ねえな……」
ハダート=サダーシュは、苦い笑いを浮かべた。
「用意が済み次第、行動に移れ! ……場合によっては、宮殿を攻める!」
「はっ!」
両手を組み合わせて敬礼し、部下が伝令に走る。
「よろしいのですか?」
そばにいた士官の一人がそっと訊いた。といっても、彼を止める気はさらさらないようだ。ハダートは、ふっと鼻先で笑うように言った。
「成り行きに任せるしか仕方がないさ……」
今までだってそうやってやってきたからな、と他人事のように言い捨てて、ハダートはたいまつから目をそらした。
ざり、と足下の砂が鳴る。きびすを返し、ハダートは自らも「反逆」の為の準備に入る。
(シャルル=ダ・フール…………。俺にあんたを裏切らせないでくれ。)
どこかでそう思いながら、ハダートはマントを翻す。いつの間にやら入れ込んでいる自分に、どこか照れたような顔をする。
冷たい夜だ。その夜を燃えさかる火で地獄のようにする時がくるのかどうか、ハダートには、今のところはわからない。
ジャッキールが地下道を抜けた頃には、その勢いは圧倒的に侵入してきたザミル側にあった。外側のハダートがどう動いているかはわからないが、少なくとも、城の中では頭を押さえられた形になり、伝令がうまく行き渡らなくなっている。混乱した状態では、護衛の兵士達も動きが悪い。中には降伏する者も出てくる。
(やはり、まだ、内部の体制がうまくできていない)
ジャッキールは、内乱から復帰してそうたっていない宮殿にたいしての、自分とラゲイラの読みが当たっていたことを知る。このままいけば、容易にことは運びそうなきもした。
「シャルルの居室は、殿下が押さえているとか。……我々は城の他の懐柔に回ります」
「そうか」
シャルルの居室前の廊下を見張る役目を仰せつかったジャッキールには、今現在の中の様子はわからないが、大体の予想はつく。ジャッキールは応えながら、シャー=ルギィズが一体どこにいったのかを考えた。いくらあのシャー=ルギィズでも正面から突破しようとすれば、ただでは済まないだろう。それに、あの時、中に彼らしい者は見あたらなかった。
可能性は二つ、部下に殺されて地下水道で沈んでいるか、それとも潜んでいるかのどちらかだ。ジャッキールの勘によれば、前者であることはあり得ない。
どちらにしろ、あの男はまだ生きているだろう。
廊下をざっと見回ることにして、ジャッキールはゆっくりと歩き始めた。今は戦闘状態にあるものは、廊下にはいない。すでに戦闘が終わった様子に、ジャッキールは、自分の居場所が完全になくなったことを確信した。それは、寂しいことであったが、彼の未練を断ち切らせてくれる力強い説得力を持っていた。
不意にジャッキールは、目を反対側の廊下に走らせた。走り込んでくる兵士の一団が見えたからである。しかも正規の宮殿の護衛の兵士ではない。彼らが連れてきたラゲイラの私兵達だ。報告でもしにきたのかとおもったが、そうではないらしい。彼らの身体から放たれる殺気のようなものが、ジャッキールの心に警戒を与えた。すでに抜きはなっている剣をわずかに引き寄せて、彼はそちらの方を見た。
兵士達は、彼の周りを取り囲むようにざっと散った。
「何の真似だ?」
細い目をさらに細め、ジャッキールは相手を睨むようにしていった。
「ここの指示権は俺にあるはずだ。貴様らに勝手な行動をされるいわれはない」
「今まではな!」
部下達の後ろから声がした。その声だけでも十分に誰であるかがわかったので、ジャッキールにはまだ笑う余裕があった。
「なんだ、貴様か。ベガード……」
ジャッキールは静かにいった。たいまつの光を浴びて現れたのは、間違いなくベガードである。
「何の用だ。貴様には別働隊の指揮を任せたはずだがな」
それに、とジャッキールはやや皮肉っぽく笑った。
「あの三白眼にやられた傷はいいのか?」
「う、うるせえ! 司令官面するな!」
ベガードは、いきなり怒鳴りつけた。ジャッキールは、肩を軽くすくめる。相変わらず暗い声で彼は落ち着いたままだ。
「別に司令官面をしたわけではない。暫定でもなんでも、貴様は今は俺の配下だろう? 違うのか?」
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