シャーは黙っている。それを知ってか、ジャッキールはさらに笑った。
「それはそうだろうな。……さすがの貴様でも数を頼みにされては敵わんだろう?」
「呼ぶのかよ、……連中を?」
シャーはひきつった笑みを浮かべて聞いた。ジャッキールは同じように歪んだ笑みを浮かべただけだった。そして、彼は後ろに向かって大声をあげた。
「いたぞ! シャー=ルギィズだ!」
ざっとシャーは、身構え、さらに逃げの体勢に入る。しかし、彼の第一歩は踏み出される前に止まった。
「あいつは、右側の通路に逃げた! 追い込んで殺せ!」
ジャッキールが、突然、そう叫んだのだ。その号令は、狭い通路に響き渡って何重にも聞こえた。
「ジャッキールさんですね! 右側の通路ですかあっ!?」
「そうだ! あいつを生かしておいてはならん! 殺せ!」
聞こえた部下の返事にジャッキールはもう一度大声でそう答え、ふっと笑った。
「右側の通路の奥だ! あいつを城に行かせるな!」
「な、何いってんだ?」
シャーはきょとんとした。入り口の方で、何人もが水を蹴って進んでいくのがわかった。彼らは、ざばざばと水をかきわりながら、右側の通路へとなだれ込んでいく。
ジャッキールは、剣をひくと、その陰鬱な顔に相変わらず陰気な笑いを浮かべていた。
「笑いたければ笑ってもかまわんぞ」
「……な、なんだよ…………なんの遊びだ? これ?」
シャーは、一瞬きょとんとして、思わず聞いた。ジャッキールは、剣を引くとしゅっと振って水気を払った。そして、やや斜めを向きながら、シャーから視線をはずす。
「ふん、情けをかけるつもりではない。これは俺の問題なのだ」
ジャッキールは、冷たい口調でわざと言っているようだった。こほん、と咳払いをし、彼は続けていった。
「俺は、貴様には借りがある。俺はそれをかえさねばならん。だから返したまで。感謝されるいわれなどないわ」
ジャッキールは、ぶっきらぼうに言った。
「だが、俺はラゲイラに雇われて信用してもらった恩があるのでな。おおっぴらに貴様に借りを返すわけにはいかんのだ。だが、そろそろいい頃合いだろう。俺は十分な時間稼ぎをしたつもりだ。それで、最低限の義理は果たしたつもりだ。……今から、俺はお前が何をしようと、今から『見なかった』ことにする。俺はお前が右の通路に逃げ込むのを見て、必死で追いかけている最中だ。どこへなりともいくがいい。俺は何も見ていない」
「はっ? あんた、何いってんの?」
シャーは、思わず刀を下ろした。
「聞こえなかったのか? 俺は行けといったのだ」
シャーはきょとんとして、大きな目をさらに丸くして彼のほうをうかがった。
「なんで? さっき頭打って、やっぱりおかしくなっちまったのかい?」
それから、不意に思い当たったらしく、しかし信じられない顔をしてシャーは訊いた。
「……まさか、借りってのはさぁ、あん時オレが剣が折れたあんたを逃がしたからってそれだけのこと〜?」
ジャッキールは、急に黙り込んだ。不自然な沈黙なので、もしかしたら、照れているのかもしれなかったが、残念ながらその顔は見られなかった。シャーはひやかし半分に笑った。
「ひゃはははは、こいつは傑作だね。ホントはさ、あんたみたいな危険な奴、生かしておいたら、不幸な奴が増えるだけだけどさ。でも、初めてあんたにありがとって言いたくなったね。あっはははは〜、案外いいとこあるじゃない。ジャッキーちゃん」
「ジャ……!」
いきなりあだ名をつけられて、ジャッキールは言葉を飲み込んだ。シャーは、ジャッキールが調子を崩したのを感知して、にまっと笑った。ここまでいけば、自分のペースに引きずり込むことなど簡単なことだ。
「あれ? もしかして、意外と堅苦しいタイプなんだ〜。……そんなにおどおどしなくていいじゃない」
「う、うるさい! 黙れ! お、俺はそういう馴れ合いは……!」
ジャッキールは怒鳴ったが、それはもう以前のような威圧的なものではなくなっていた。おちょくられて完全に動揺しているらしい。
「これからオレたちは、ジャッキー&シャーの仲なわけなんだ。あははは、似合わないし!」
「だ、だ、だ、黙れ! そんな甘い感情からではない!」
ジャッキールは思いっきり否定し、かえってそのムキになった姿をシャーにげらげらと笑われた。
「い、行くなら早く行け! 時間が無いのではないのか!」
ジャッキールはそういって、腕を組んだままそっぽを向いた。妙にがたがたしている気がするのは、まだ動揺しているからだろうか。
「それじゃぁあ、ありがたく行かせてもらいましょうかねえ」
シャーは、刀を肩からかけてそしてにんまりと笑った。
「これであんたとしては、貸し借りなしってわけね。了解。オレもそういう事にしておくよ。じゃな!」
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