さすがに刀身では攻撃させてくれなかったが、これは効いたはずだ。間違いなくジャッキールの鳩尾を捉えたはずだ。まともに入っので、かなり効果はあったはずである。後ろの壁にぶつかったとき、後頭部を打ったせいか、暗闇にみえるジャッキールは半身を水につけたまま、ぴくりともしなかった。
苦しむ声も、物音も聞こえないのだから、気絶したのか、死んだのもしれない。シャーはそう思い直した。いいや、そうであって欲しい。もう時間がないのだ。
シャーは、ため息をついて、きびすを返した。このまま止めを刺したほうが安全ではあるのだが、そうやってちょっかいを出すことで、ジャッキールに再び目覚められても困る。ここはさっさと逃げてしまうに限るとシャーは判断した。
(とにかく、生きていようと、あの位置に入ったら、しばらく地獄の苦しみで動けたもんじゃねえしな)
しかし、シャーのその考えは、背後からの水音によって打ち消された。
「み、見事……だ!」
まだ苦しそうな声だが、その声は、シャーをぎくりとさせた。慌てて振り返る彼の視線の先で、男は肩で息をしながら水を滴らせながら立ち上がっていた。
「ジャ、ジャッキール! 貴様!」
ジャッキールは、何度か咳き込んだ後、剣を杖代わりに水中に立てて、こちらを見ていた。
「さ……、さっきのタイミングで、き、切り返してくるとはな……。今のは、効いたぞ」
息を整え、ジャッキールは一息深呼吸をして笑った。口の中でも切ったのか、色の悪い唇に、血が流れている。
(嘘だろ……)
ジャッキールは、完全に体勢を立て直していた。完全に呼吸を整えてしまうと、冷たい笑みを薄い唇の上にゆがめながら乗せる。
(こ、この野郎……。どこまで丈夫なんだよ!)
シャーは、青くなった。もう時間がない。回復してくるのが早すぎる。
ふと、ジャッキールは、瞬きをした。頭を打ったときに切れたのだろう。額を伝って血が目に入りそうになっていたのだ。それに気づき、ジャッキールは額の血を拭い、血のついた指先を目の前にかざすと、にやりと笑った。
「流血戦は久しぶりだぞ。……やはり、貴様は俺の見込んだとおり只者ではないな。……ふ、ふ、ふ」
肩を揺らして笑っていたジャッキールの声は、次第に大きくなり、やがて大きく甲高い哄笑に変わった。
「はッ、ははははは! はーッ、は、ははははは! あはははははは!」
地下水道に何度も反響する哄笑は、まるで人間のものではないように聞こえた。さすがのシャーも、全身に悪寒を感じるほどに、それは異常な笑い声だった。
「な、何を笑ってやがる……?」
「ふ、く、くくく、……こんなに愉快な気分になったのは、久しぶりだ、アズラーッド・カルバーン」
ジャッキールは、シャーの言葉をきいているのかどうかわからない。ただ、笑いをおさめながら、狂気に輝く瞳をシャーに向けた。
「そうだった。こうでなければな。……こうでなければ、生きている意味がないというものだ。俺は何を忘れていたのか……」
シャーは、その笑みにぞっとしながら、身を引いた。
「何いってんだ。アンタ……」
ジャッキールは、まだこみあげてくるらしい笑い声をかみ殺しながら言った。
「ふ、ふ、思い出したといったのだ。この、ここでしか得られない充実感というものをな!」
「……アンタ、……頭の箍が外れてるんじゃねえのか」
シャーは不気味そうに首を振った。
「クッ、それはそうかもしれんな」
ジャッキールは素直に認めた。まるで麻薬にでも酔ったかのような、夢見るような瞳が、いっそう不気味だった。
「自分でも、もはや、何がまともで何がまともでないかわからん。生きているのか死んでいるのかもわからんぐらいだ。……俺が狂っているというのなら、そうなのかもしれん。だがな、俺は、こうやっているときが、一番落ち着くのだ。……何のしがらみもなく、ただ、戦っている時だけが! 俺は居場所は、もはや、”戦場”しかないのだからな!」
シャーは、少し哀れむような目をした。
「かわいそうな奴だな……。アンタぐらい頭があれば、それなりに生きられたはずだろ?」
「何とでもいえ。俺は後悔などしていない」
ジャッキールは、笑みを強めた。
「だが、貴様に俺の気持ちがまったく理解できんとはいわさん。貴様には、俺の気持ちの一端は理解できるはずだ。そう、貴様には!」
ジャッキールの赤い瞳が、シャーを射抜いた。
「貴様は俺と同類項の人間だ。……戦ってみてすぐにわかった。そして、そんな自分に嫌悪して、普段は、ああやって力を隠しているに過ぎない」
「てめえと一緒にするな、オレは……」
「いや」
否定しようとしたシャーの言葉を、ジャッキールは鋭い口調でさえぎった。
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