ラティーナが止めに入ったとき、シャーは大声を上げた。
「おーい。そこの黒装束―」
 シャーは、まだ酒の香りのする息を吐きながら、ひょいっと手を上げた。
「オレさまとしょーぶだ〜!」
ろれつが回っていない。しかも、足元がふらついている。ラティーナは、慌ててシャーを止めにかかった。どうせ、さっきあげた酒瓶を飲み干したに違いないのだ。酔った勢いで思わず気が大きくなっているに違いない。
「あんたは、あたしに関係ないわ」
「そういうわけには、いかないよ〜。だって、ラティーナちゃんは、オレを頼ってくれたんだもんね」
 舌を軽く出して、シャーは笑った。
「何よ、この酔っ払い! さっさと帰んなさい! 殺されるわよ!大体、あれは人違いだったじゃない! 頼ってなんかいないわ!」
「あ、そんな顔すると、とってもかわいいよ、ラティーナちゃん。あっはは〜。オレを心配してくれてるんだぁ」
「何のんきな事言ってるの! あんた、酔っ払ってるからわからないだけなのよ! やめときなさいってば!」
 ラティーナはシャーを突き飛ばそうとしたのだが、ふらふらしているくせに、なぜかシャーは、びくともしない。驚きながら、それでもラティーナは叫ぶ。
「さっき、いやだっていったのはあんたでしょ! お願い! 逃げて!」
「……そうもいかないんだよなあ」
 ふざけた表情がやけに腹立たしい。ラティーナは、泣きそうな顔をした。
「お願い!」
「……でも、それじゃあ、困るのはあんただよ。目的があるのに、命を粗末にしちゃったらいいわけないじゃないか」
 シャーが急に優しい声で言ったので、ラティーナは、はっとして彼を見上げる。珍しく神妙な顔をして、彼は言った。
「今回はオレを信用して、さ」
 カシン……と軽い音を立てて、鯉口が切られる。何となくとめがたくなり、ラティーナはシャーから手を放した。シャーは、無意識に少し腰を落としながら相手に近づいていった。
「自殺志願者か! 邪魔をするな!」
 黒装束の男が声を荒げる。
「あっはっは。自殺はやだなぁ〜。でも、おっさん達が暇そうだから、遊んであげようかなっと思って」
 わざらしく馬鹿にしたような笑みがシャーの口元に浮かぶ。そして、不意に酔っ払ったものにはできない冷静な光を瞳に宿して、彼はこういった。
「だってさ〜、飼い犬は遊んでやらなきゃ暇だろ? ……なぁ、あんた達何処の飼い犬さんだい?」
軽い口調の裏に隠されたその言葉の意味に男たちは気づかなかったようだ。
「うるさい!」
 男の一人が飛びかかってきた。さすがに飼い犬呼ばわりには腹を立てたと見える。
「計算どおり……でもないけど」
 シャーはぼんやりと呟いた。
 男が無造作に振りかぶった刀を下ろした。ラティーナは思わず目を閉じる。が、シャーの悲鳴は聞こえなかった。かわりに鋭い金属音が聞こえる。シャーは抜いた刀でそれを跳ね返していた。男の腕があがる。がら空きになった胴をシャーが見逃すはずが無かった。そのまま、ざっと足を摺らせながら、相手の懐に飛び込む。男が絶望的な表情になるのと対照的に、シャーは、してやったりとばかりに微笑む。鈍い音がし、シャーの刀の柄が男のみぞおちに埋まった。男は悶絶しながら、がくんと膝から倒れる。たん、と軽くステップを踏むように、シャーは着地して反転する。猫のような、妙にしなやかな動きだった。少し低めに構えたシャーは、刀をやや斜め下に下げながら、手を柄に添える。
「……やるかい?」
 先程まで酔っ払っていたはずのシャーは、ふらりともせず、そこにびしりと立っている。ラティーナは、ただ、口をあけてその様子を見ているだけしかなかった。そこにいるのは、先程、自分に脅されて泣きべそをかいていたシャーとは別人だった。口元は、普段と違って少し歪みのある微笑が浮かんでいる。
「き、貴様!」
 男たちが全員ざっと剣を抜く。月の光が、奇妙にしろく金属を輝かせる。月の光は冷たく、冴え冴えとしていて、ますます静けさをもたらすようだった。
 シャーのサンダルが、ざり、と砂のたまった、石で舗装された道の上を摺って音を立てる。ピィンと張り詰めた異様な緊迫感が一瞬そこを支配していた。そして、その止まった一瞬は実に長く感じさせる。
「行くぞ!」
 いきなり、黒装束の一人が動いた。張り詰められた空間に堪えきれなくなったのだろう。一人が動けば、つられて全員が動く。


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