「そ、そんなぁ。た、確かに、聞いちゃったけど……。あ、あんな大それた事誰にも言わないよ。オ、オレにそんな度胸あるわけないじゃない?」
壁に押し付けられた肩が痛いらしく、シャーは顔をしかめる。
「あ、あの、お願いだから、もうちょっと力緩めてくれない? オ、オレ、こんな風にひょろいので、あまり手荒に扱われると」
「手荒に? ……ホント、あんたって意気地なしなのね!」
あきれたような怒ったような口調で、ラティーナは言った。
「……忘れる? だったら、手を放してあげるわよ」
「わ、忘れるったって、一度記憶した事を頭から消すのは難し……」
「ごまかすんじゃないわよ!」
ラティーナは、きつく言ったが、シャーのある意味哀れな顔を見てため息をついた。そして、少し手の力を緩めると、金と一緒に酒の入った瓶を一本、シャーの手に握らせた。
「……これで、忘れられるわね?」
「……ど、努力してみるけど」
酒の匂いに惹かれているのか、シャーはすでに上の空である。
「努力じゃダメよ。……お願い。忘れて。…………あんたは密告するほど度胸は無いと思うけど、覚えてたらいいことにならないわ」
「……え?」
シャーは、少し驚いたようにラティーナを見た。少しうつむき加減に、ラティーナは小さい声でいった。
「……巻き込みたくないの」
シャーは、何も言わず、少し彼女を見つめていた。
「…………うん、わかったよ」
シャーは、少しうつむいて言った。
「忘れる」
「そう……」
ラティーナは、ほっとして、短剣をおろした。同時にシャーもずるずると壁にもたれて崩れ落ちる。
「……そんなに恐い顔しないでよ」
そういいながらも、手はすでに酒瓶の栓をぐいぐいと引っ張っている。心底ダメな男だと、ラティーナは思いながら、彼の前から靴音を立てて遠ざかった。後ろからひときわ大きな声が聞こえた。
「あ、ラティーナちゃん! 一人歩きは危ないよ? 気をつけてね。変なのが多いから!」
(あんたも変でしょ?)
心の中で一発お見舞いして、ラティーナは振り返る事も無く、そのまま歩いていった。
暗い道を歩きながら、ラティーナは不意に思う。あんな風に軽くて腹が立つけれど、あのシャーという男もいい奴ではあったのである。それだけに計画の一端を聞かせてしまったことには後悔していた。
(関わらなきゃよかった)
あの人ほどではないが、シャーもいい人だった。少し厚顔無恥なところがあるのは全く違ったが、それでも何となくあの人を思い出させるような温かみはある。
巻き込めば、きっとシャーは消される。彼の腕で、彼のあの態度で、あんな哀れみをこうような顔をして消されるのが目に見えている。うっとうしくて、腹が立って、いらだって、まるでストレスの種で……、それでも、あの短期間でラティーナは、少しシャーに魅力を感じたのかもしれない。もちろん、恋愛感情ではなく人間的に。殺させたくなかったし、傷ついて欲しくもなかった。あのアティクやカッチェラといった連中が言ったよう、そういう風に感じさせるところはある。
(人違いだなんて……あたし、どうかしてるわ。あんなやつと)
よくあるとはいえ、シャーとレンクはまるで月とすっぽんだ。
(明日、本当のシャーに会おう)
そう心に決め、ラティーナはひとまず戻る事にした。
不意に、寒気がした。ラティーナは咄嗟に、後ろに飛び下がる。
「はっ!」
いきなり突きつけられたものに、ラティーナはびくりとした。銀色に光る刃が、彼女の鼻先に突きつけられていた。
「ラティーナ=ゲイン=サーヴァンだな?」
「何よ? あんたたち……」
聞かなくても用件はわかる。命を狙ってきたのだ。
目の前には、黒い布を顔に巻きつけた男たちがいた。きているもの黒っぽいもので、皆が武器を帯びている。黒いマントがわずかに風に揺れる。五人ぐらいはいるようだった。
ラティーナは思わず身を引いた。逃げようとするが、後ろ以外の道はふさがれていた。怯えたようにあとずさる。短剣を抜いてみるが、かないそうはない。
いきなり、後ろから肩をつかまれた。ラティーナの全身に氷のような冷たさが走った。
「ラッティーナちゃん〜!」
底抜けに明るい声とともに、微かに酒臭い匂いが漂った。
「シ、シャー!」
「心配なんでついてきてしまいました〜ぁ。だって、そうだよなあ。うん、女の子にはナイトが必要」
「何がナイトよ! ろくろく役にも立たないくせに!」
ラティーナは、黒装束の男たちを思い出してシャーを後ろに追いやろうとする。
「どっかいって! ひとりで大丈夫よ!」
「あんなところに、おじさんたちがいるのに?」
シャーは想像以上に目が良いらしく、向こうで急な乱入者に戸惑っている男たちを指差した。
「あれは……」
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