「ジートリュー将軍より返信です。タイミングはわかった、との事でございます」
「ふん、どれだけあのイノシシ頭で理解してるのか謎だがな」
ははは、と小声で笑いながらハダートは返した。
「ラゲイラの私兵がやっかいなのは、あれであいつらは案外数が多いことと、そして、軍の中に時々紛れてることだな。特に最大の勢力を誇るあいつの兵隊の中には、一体何人混じってるかわからねえ。それに注意しろと斥候に返答してやれ。あと、ご苦労だってな、あとで後々それ相応の褒美は取らすと伝えてくれ」
「わかりました」
兵士はそう答えて、引き下がる。ハダートは近くにある瓶を引き寄せてにやりとした。
「ラゲイラも焼きがまわったか、それとも坊ちゃんのおもりで精一杯なのか、俺を自由にとばせとくとは、甘いな。俺の部隊が一流の諜報組織も兼ねてるっ事は、まあそれなりに秘密だがな」
威勢のいいことをいいながらも、実際不安はある。先ほども言ったように、ラゲイラの私兵は、ハダートと協力して内乱を起こす手はずになっている部隊だけにとどまらないのだ。彼らは見える位置にいるからまだいいが、実際は、よく傭兵として兵士の中に紛れているし、その数はさすがのハダートも把握できていない。それに、ザミルが後ろにいるということは、宮殿の兵士の中に、いざというときに寝返る連中がいると言うことだろう。はたして、彼らにどれだけの手飼いがいるかは、よくわからないのだった。なにしろ、シャルル体勢に反感をもつ連中は山ほどいるのである。
ハダートは、白い息を吐き出しながら、瓶の蓋を開けた。
「しかし、あのザミル坊ちゃんが、バックだとはねぇ。人は見かけによらねえなあ。くわばらくわばら」
猫をかぶっていることでは、人にはひけを取らないくせに、ハダートは他人事のように呟くと、寒さを紛らわすために周りの将校に隠れてこっそり酒を一口飲んだ。満月を少しすぎたほどの明るい月を見ながら、ハダートはふっと息をつき、誰に言うでもなくこう語りかけた。
「だーが俺は、ぎりぎりまでは見学させてもらうぜ。俺がどう頑張っても、できねえものはできねえし、城の中までは守れない。もし、あんたがどうにもできなければ、俺は本気でこの国を見限り、裏切る。……俺はそういう男なんだよ」
瓶を部下から見られないように隠しながら、ハダートは気を紛らわすようににやりとした。懐の奥から取り出した金属の筒には、丸められた紙が挟まっていた。ペンで走りがいたものが後ろに書かれている。その、そううまくない筆跡の持ち主をハダートは知っていた。
「……後は、あんたの腕の見せ所だな」
今日は妙に冷える夜だ。この冷える夜に、あの男はどこをほっつき歩いているのだろう。こんな緊迫した時でも、「ほっつき歩く」という形容が似合う彼を思い出すと、ハダートは思わず笑いがこみ上げそうになるのだった。
ラティーナは、ザミルとともに馬車に乗って宮殿を目指していた。宮殿で、シャルルに寝室で謀叛が発覚したとの報告をするのは、ザミル王子である。ラティーナは、城の女官の格好をさせられていて、ザミルつきの女官ということにされていた。顔をうすいベールで隠せば、城の中にそれほど彼女の顔を知るものはいるとは思えなかった。
とうとうここまで来てしまった。ラティーナは外を見ながら思った。
(シャーは……どうなったのかしら。)
ザミルもラゲイラも彼がどうなったか言わなかった。しばらく、部屋に閉じこめられていたラティーナは、ラゲイラに取引を申し出されたのだった。ザミルは不服そうだったが、ラゲイラは強引にというよりは、穏やかに彼女から話を聞き出す事を押した。
つまり、シャルル暗殺の場に、自分も連れて行ってくれるというのである。その代わりに、シャーから聞き出した道を教えてほしいというのだった。そうすれば、危害は加えないし、あなたも目的が果たせてよいのではないか、とラゲイラは言った。
考えればそうなのだ。そもそも、自分はシャルルを暗殺するためにシャーを利用しようとまでしたのだ。目的を果たすためなら、誰が協力者であってもきっと変わらない。大体、あのシャーを巻き込まないですむなら、こちらのほうがよいのかもしれない。そうラティーナは考え直し、取引に応じた。
「でも……」
ラティーナは、一人だけ乗せられた馬車の中で寂しげに呟いた。
「あたしは、……正しいことをしているのかしら……」
不意に、そう不安になる。
「…………ラハッド…………。あたし、これでいいのかしら…………」
ぽつりといいながら、ラティーナは宮殿にかかる月を見上げる。ここにはいない、あの青い服を着た青年が、答えを知っているような気がして、ラティーナは不安そうにその名を口にした。
「シャー…………」
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