「あの三白眼に負けるっていうのは、剣で負けるんじゃあない。俺は面白いことしかしない主義だが、そうだな、アレを面白いと思った時点で、俺はすでに負け犬になった」
「馬鹿馬鹿しい……」
 ジャッキールがきびすを返すのがわかった。
「気をつけな」
 と、ハダートは面白そうに言った。
「迷った時点で、半分負けたも同然だ。……せいぜい、アレを逃がさないように気を張ることだね」
「貴様に言われるまでもないわ!」
 きっとジャッキールの冷たい目が、ハダートに向けられた。だが、ハダートは目をそらしもしなかった。
 そのまま、ジャッキールは黒いマントを揺らしながら歩き出す。やがて闇にまぎれて見えなくなった彼を見て、ハダートは面白そうに呟いた。
「……それが負けだって言うのさ」




7.レビ=ダミアス

老人は鋭い目でこちらを見ていた。軍人出身でがっしりしたカッファとは対称的に、ひょろりとした風貌。気品を備えた顔立ちと、そして鷹のような鋭い瞳が、幼心に昔から恐ろしかったのを覚えている。
 ハビアスは、この国の宰相であり、政治にはまるで素人だったセジェシスを導いた男である。彼はカッファと同じようにセジェシスに心酔していたが、彼はセジェシスが行方不明になった途端、この国をおさめるのをやめて引退した。セジェシスのいないこの国に魅力を感じなかったからかも知れない。もしハビアスがいたら、まさか内乱が起こることもなかっただろう。
「今、なんとおっしゃられた?」
 後ろに主君を抱えたカッファは、その言葉を反芻して、理解できないというように首を振る。
「ハ、ハビアス様……今、なんとおっしゃられたのだ?」
 長年、カッファは、ハビアスを師として仰ぎ、尊敬してきた。その彼から、まさか自分の仕えるもっとも大切な主君がそのように言われるとは信じられなかったのである。
「いくらあなた様であっても、そのような言い方は無礼でございますぞ!」
 憤慨するカッファに、ハビアスは冷たい目を向ける。
「……アルシール。……お前はなにもわかっておらんな。そこにおる若者は、私の言葉をわかっているはずだ」
「そんな……」
 言い募ろうとしたカッファを、彼の主君が手で制す。もういいから、という意味のようだった。ハビアスは、そんな彼を見ながらこういった。
「あなたは戦時の王」
 彼は口をゆがめると、死刑宣告のように彼に告げた。
「……よろしいか。あなたは、それ以外においては、何の役にも立たぬ存在。……いや、国を乱す火種となるでしょう。あなたは危険が多すぎる」
「ハビアス様!」
 カッファが叫んだが、ハビアスはそれを押し通すように言った。
「だから、今王位についていただきたい。ただ、国が落ち着き次第、あなたには退位していただきたいのです。それが私の求める全てです」
 ハビアスは断言して、それを撤回する気などなかった。目の前にいるのが自分の主君であることはよくわかっているだろうに、ハビアスという男は、歯に衣着せずにそう言ったのだ。
 幼い頃見たものと同じ宰相の目を見ながら、彼はやはり目の前の男は恐ろしいと思った。そして、同時に嘆息をついた。
(ああ、そうか――)
 彼は目を細めて、そう思った。その時、初めて彼にはわかったような気がしたのだ。
 自分が一体、本当はどういう人間であるか――ということが――



 すでに月が昇っている。夕方も過ぎて、また夜がきた。一際高い宮殿に、満月を過ぎたばかりの月がかかっている。街の中はすでに静まり返っている。石造りの建物が、廃墟のように沈黙を守ったまま並んでいるだけだった。人がいるはずなのに、そこはまるで死の町のようにも見える。
 ザファルバーンの王都郊外、ハダートの部隊の軍営地はそこにある。それが、今日、比較的街の近くまで来ているのは、もちろん理由があってのことである。慌てたカッファから招集をかけられたのは言うまでもないが、ハダートがここにいる理由はもう一つある。
 ラゲイラ側の作戦として、ラゲイラの集めた兵隊とともに、王都を攪乱する役目が彼には与えられているのだった。つまり、内乱を起こすのである。
「それにしても、寒いな、畜生。なーんで、俺が待たされにゃならんのだ。こんな作戦たてやがって! ……後で覚えてろよ、あのくそったれ王子が……!」
 陣営の深いところにいるときは、さすがのハダートも安心しているのか、よく素がでるのだった。たいまつの近くで火にあたりながらぶつぶつ言っている。
「将軍!」
「おう、なんだ?」
 呼ばれて、ハダートは振り返る。
「進言はきかんぞ。俺も色々複雑なんだ」
「そうではありません」
 兵士は、職業柄、ハダートがそういうのが慣れているのか肩をすくめ、ハダートにそっと小声でささやいた。


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