「……あの三白眼はどうやら無事らしい。が、王宮とは連絡をとらないだろう」
 ハダートは紙を切ったばかりのナイフの刃を撫でながら言った。鳥籠の中では、彼のかわいがっているカラスのメーヴェンが、羽にくちばしをつっこんで眠っている。
「そういう奴だ。アレは。こちらが知らせてやらなければ、明日の夜に何が起こるかもしらねえし、ラティーナは今のところ無事なのも知らないだろう」
 何か小さな紙に書き込んだハダートは、それを丸めて金属製の筒に入れ、隣にあった花びらを一枚それに差し入れた。ジャスミンの花びらだ。そうしておけば、この暗号のような文章でも、おそらく意味が通じるだろう。
「さて、お疲れのところ悪いが、朝にでもまたお前に使いに出てもらおうか、メーヴェン」
 そう呼びかけて、彼はメーヴェンの鳥かごにそっと布をかけてやった。
「全く、俺って奴はどうしてこう親切なんだろうな。……あの馬鹿の為になんでこんな尽力しなきゃならねえんだ」
 ハダートは、深くため息をついた。
「俺なんか、すっかりあいつにいいようにされちまって……。こんな筈じゃあなかったんだがな」
 そういいながら、ハダートはわずかに苦笑いした。
「全く、青兜とはよく言ったもんだな」
 あの青年は、セジェシスに似ている。と、ハダートは思う。建国者のセジェシスも、ああして人を魅了する男だった。この国は、彼のカリスマでもっていたようなことがある。素行としては、少々王には向いていなかったが、ともかく彼がいなければ、この国自体の存在はなかっただろう。
「本人に言ったら、いくら温厚なあれでも怒るだろうけどな」
 ふっと言ったとき、ハダートは身をわずかに起こした。そして、すっと部屋の後ろに切れ長の目を送る。
「……ジャッキールさんだな?」
 相手は黙っている。
「いきなり忍び込むとは無作法な。……といえ、無作法はお互いか」
 黒服の男は、静かな殺気をたたえながらたたずんでいたが、見慣れた姿とは違った。髪の毛を短く刈り込んだ姿は、ハダートも初めてみる。陰気さは少し減ったかもしれないが、その分冷たく輝く瞳があらわになっていた。顔立ちがはっきりしたことで、結果的にどこかしらストイックな印象になったような気もした。
「なんだ、あんた、責任を取って髪の毛切ったのか」
 ジャッキールは、その言葉に返答しない。
「俺がここに来たのは、貴様に聞きたいことがあったからだ。あの娘を逃がしたのは、貴様だな」
 いきなり切り出した彼に、ハダートは肩をすくめる。
「……さぁ、どうしてわかった?」
 ハダートは薄笑いを浮かべながら訊いた。口調は丁寧とはほど遠く、すでに普段の彼のものに戻っている。ハダートはジャッキールに対して、ごまかすつもりはないらしかった。
「勘だとでも言っておこうか」
 ちらと、ジャッキールの腰の剣が目に入る。
「俺をお斬りになるつもりかい?」
 ハダートは、口だけは笑みながらいった。
「それとも、ラゲイラに言うか?」
「証拠もなにもない。ましてや、貴様は口を割らんだろう。……それに、今はラゲイラ卿は俺の言葉をきかんかもしれん。貴様を斬りたいのはやまやまだが、……今夜は、俺はこれ以上殺生をしたい気分でもない」
 ジャッキールは意味ありげに笑った。
「俺もこういう気分のときは、無用の流血は避けたいのだ」
「それはありがたいね。……じゃあ、なんだい」
 ハダートは、相手を探るような目をしながら抑えた声で言った。ジャッキールは薄ら笑いを浮かべた。
「俺は皮肉をいいにきただけだ、ハダート=サダーシュ」
 ジャッキールは冷たく言う。
「貴様が、想像以上に、芝居がうまいもので、感心してな」
「あんたがうまいとおもったのなら、俺も一流役者だな」
 ハダートはそんなことを言いながら、一人で机においてあった酒をあおった。ふっと息を吐きながら、ジャッキールを眺める。
 印象も結構違う様子だが、それ以前に、今のジャッキールはやはり、少し雰囲気が違う。どことなく沈んでいるのだ。
 その原因について、ハダートは思い当たることがあり、思わずにやりとした。
「それにしても、昨日に比べて、やけに大人しいな。あれに負けたのが悔しいのかい?」
 ぴく、とジャッキールは、神経質そうに眉をひそめた。それを見て、ハダートはゆったりと笑った。
「剣で負けたなら、まだあんたには救いがあるが、もしそうじゃないなら大変だぜ。あれは、人の心をつかむことにかけちゃ、天才的だからな。そうだな、人の心に土足で上がりこんで、そのまま茶でも飲まれてる気分になる」
「なんだそれは」
「実際、そういう気分はしなかったか? しなかったらいいんだが……」
 ハダートは、頭の後ろで手を組んだ。黙っているジャッキールは、闇にまぎれるようにそこにいる。


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