「ふらついてるぜ! どうした! 疲れてるんじゃねえのかあ!」
シャーは、彼らしくもない暗い笑みを浮かべる。
「……寝起きは機嫌が悪いのさ」
ベガードは、くっくっと笑った。シャーはそこから観念したように動かない。疲れ果てているのだと、ベガードは思った。
「いいジョークだぜ! 完全に目がさめねえうちに、今度は永遠に寝かしつけといてやる!」
ベガードはそのまま剣を振り上げて、真っ向からおろそうとした。が、その一瞬をつき、シャーは、逆にベガードの懐にすでに入り込んでいた。すでに狙いすましたハンターのような目に輝きがともっていた。シャーは、わずかに笑みながらこう叫んだ。
「寝かしつけられるのはあんたらしいぜ!」
シャーの声が、ベガードに届いたどうかはわからない。その直後には、シャーは刀の柄頭で思いっきりベガードの腹部を突いていたからだ。シャーが駆け抜けたあと、鈍いうめきが聞こえ、ベガードの刀が落ちたのが分かった。そのまま、彼の巨体は地面にだらしなく伸びた。シャーは、地面に伸びたベガードを忌々しげに見やった。
「今度は助けようとは思わなかったが……」
シャーは、軽く息を整えながら刀をおさめた。
「……止めを刺すと時間がかかるからな。ありがたくおもえよ」
シャーは、人が来るのを嫌い、そのまま小走りにその場を離れた。ラティーナの連れ去られた馬車はもうどこにも見あたらない。行き先はおそらくラゲイラの屋敷だと思われたが、今から助けに入るのは自殺行為だった。もう奇襲作戦はきかないし、相手の守りも堅いだろう。
――それに何より、背後にあの王子がいるとするのなら……
「くそっ!」
彼にとっては庭同然のカタスレニアの複雑な道は、追っ手をうまく惑わせてくれた。シャーは路地裏の一角に身を投げ出して、仰向けのまま荒い息をついた。疲れている上に、寝起きの身体で大立ち回りするのは、さすがの彼にも辛かった。顔に手を当て、その指の隙間から、シャーは狭い路地裏の屋根の間の狭い星空を見た。
「何で、オレはあの時、あの子を一人だけで外に行かせたんだ! 危険だって事はわかってたはずじゃねえか!」
シャーは、軽く息をつきながら、険しい表情でそう言った。夜気は冷たく、暴れて火照っていたシャーの身体を冷やした。その寒さは、何か身にしみるようなものだ。
彼は起きあがると息をついた。
やはり、どう考えても、いまから彼女が連れていかれただろうラゲイラ邸攻め入るのは自殺行為だ。どれだけ焦っても、自分が助けに行くことで、ラティーナを巻き添えにする可能性すらある。
さてどうする?
シャーは、自問自答した。
「それまで危険かもしれないが、……行動の時に反撃するしか方法はねえか……」
シャーはうめいた。
「……畜生! てめえの好き勝手にゃさせねえからな!」
夜の空気に、息が白くなっていた。シャーは、狭い星空を見ながら立ち上がる。
思えば気の重い仕事だった。だが、こうなった以上、いい加減、自分も決着をつけなくてはならないだろう。そして、多分、今がその時だ。
かしゃりと音が鳴る。シャーは、腰の刀の柄をいつの間にか押さえていた。
ラゲイラ卿から急に呼び出されたのは、ハダートが帰宅しようとしたときだった。今まで計画を練っていた主な幹部を招集しての会議が開かれ、その中で時間が差し迫っていることから、どうすればよいかが話し合われた。
おそらく、シャーの逃亡が大きな原因だろう。あと、ラティーナがこちらに来たこともだ。
決行は明日の夜。明日の夜なら、七部将の内でも、動けるのはジートリューとゼハーヴだけだ。他の自分以外の四人の将軍は、ちょうど遠隔地の視察に出張していたり、その帰途であったりと、留守をしているのである。 もともと、ラゲイラは、この時期での決行を一人で見越していたのかもしれない。彼の手配は見事すぎるし、タイミングも見事すぎた。おそらく、一人ですでに考えていたのだろう。
ただ、ここまで急に動きをとられるとは、さすがにハダートも予想していなかった。それでは、カッファも、すぐには対処を取れないかもしれない。シャルルの寝室には、そもそも近衛兵さえ近づけていない。近づけてはならない理由があるからだ。
だから、一気に寝室を急襲できれば、暗殺自体はうまくいく可能性が高い。それに、シャルルに反感を持っている者が、この国で一番多く固まっているのは間違いなく王宮だ。王宮というのは蛇の穴のようなものだとはいうが、シャルルにとって、一番安全でもあり、危険な場所は王宮だと言えるのだろう。セジェシスの夫人の中にも、まだこの王位継承に納得していない者がいる。落胤のシャルルが、セジェシスの血を本当に引いているかもあやしいというものすらいるぐらいである。
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