――どうか、あたしのことはもういいから、きっと無事で…………
どちらにしろ、暗殺に成功したら、自分は生きてはいられない。それに、きっとシャーに合わせる顔もない。自分は、ラゲイラとの取引に応じることで、シャーを裏切ったのだ。だから、もう助けてほしいなどとは今更になって頼めない。ただ、彼女にできるのは、彼が無事であるように祈るだけだった。
そのラティーナの方を眺めている者がいた。彼は、妙に熱い目でそちらをみていて、今から行われる作戦のことなど頭にないようだった。
「ご執心のご様子ですな、ザミル王子」
同じ車に乗っているラゲイラの声が聞こえた。ザミルは、ラゲイラを居丈高に見た。そこには、兄のラハッドの面影などは感じられない。
「ですが、ここまでつれてきて良かったのですか?」
「あの女をか? 安心しろ、我々を憎んでいても、あの女はまだシャルルを殺したいと願っている。そうでなければ、地下道のことも我々に話さなかったはずだ」
ザミルは冷酷な笑みを浮かべる。
「あの女は、シャルルを討つまでは裏切らんよ」
「ですが、その後、どうなされるのですか?」
ラゲイラは、横目でザミルを見た。ザミルは答えなかったが、ラゲイラにはわかっている。
「即位した後、妃に迎えるおつもりか」
ザミルは、うっすらと笑った。それを見て、ラゲイラはため息をつく。
「あなたは少し強引なところがおありのようですな。……ラティーナ様は兄上様の婚約者でしょう。それを即位してすぐに結婚するなどとは逆に怪しまれますぞ」
「シャルルのせいで命を失った兄の仇をともに討ったとすれば、美談ではないか」
「ええ、普通ならそうでしょうとも」
ラゲイラは、少し冷たく言った。
「しかし、あなたは、後ろ暗いところがおありのようですからな。……それが表にでなければよいのですが」
「ラゲイラ」
ザミルは、彼の顔には合わぬ冷たい目を、ラゲイラに向けた。
「貴様、少し口が過ぎるぞ。無礼な」
「失礼いたしました」
ラゲイラは、丁寧に謝罪した。
ちょうど、宮殿が見えてきた。彼らが、危急の用として寝室に入り込むタイミングと、兵士がなだれ込むタイミングは合わさねばならない。そうすれば、外側を守るラゲイラの息のかかった近衛兵たちも行動できるはずだった。
(この王子では少し不安だ。)
とラゲイラは思う。ザミルは、どうも自分の力に奢ってしまい、シャルルとその護衛、特に宰相のカッファを甘く見ている傾向がある。カッファは、武官上がりで割と単純な男だが、それでも前の宰相のハビアスが選んでつけた摂政同然の宰相である。
ハビアスという男は侮れない男だった。ラゲイラと彼は政敵だったが、少なくとも勝てた試しはなかった。だが、ハビアスとは同志でもあったのだ。なぜなら、ラゲイラもセジェシスに心酔した男の一人だったからである。だから、余計にセジェシスの絶大な信用を受けるハビアスがねたましかったのかも知れない。
「それでは、地下道のものたちがうまくやることを祈りましょう」
ラゲイラは、愛想笑いをうかべて、そう答えた。
(地下水道から上がってくるものたちがうまくやるかどうかが、成功のポイントだが……)
ということは、ジャッキールが隊長になっているはずだ。本来、ジャッキールほどの男なら、ザミルとともに宮殿に上がってもよい。腕は確かであるし、格好さえ整えさせれば、ジャッキールは間違いなくザミルつきの近衛兵に見えるはずなのだから。
もとより、当初から、自分は、そのつもりでジャッキールに計画の逐一を教えていたのである。そこまで持ち上げておきながら、いきなり、扱いを変えたことで、あのプライドの高い男は怒っていないだろうか。
しかし、ジャッキールは、地下水道の担当をまかされたことについて、文句をいうどころか、むしろ自分から志願したと聞いた。
『戻らねば、死んだと思っていただきたい』
そういうことを口にしていたジャッキールには、少し悪いと思った。あの男なら、シャー=ルギィズに負けたことで、自分への信頼が薄れたのだと思っているに違いない。面会を断ったことで、もはや自分には価値をおかれていないのだと思ったのだろう。
ラゲイラは、何となくジャッキールを裏切っているような気がして、後ろめたい気分になった。
(しかし、不安はあるのですよ。ジャッキール様)
ラゲイラは、ぽつりと思った。
(できれば、私は、あなたにこの王子についていてもらいたかった……)
彼はそう思いながら顔には出さずに、王子をみた。けして、王とするには見劣りはしない。ただ、父のセジェシスと比べた時、その差は歴然としていた。セジェシスには、独特の輝きがあり、彼と一緒にいるだけで、なぜかその人に尽くさねばならない気がするのだった。
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