こてん、と音がして、もたれかかっていたシャーが、肩から床にずり落ちる。それでも目を覚まさないところを見ると、彼も相当疲れていたのかもしれない。
部屋の入り口で、シャーは毛布を一枚被って寝ていた。その平和そうな寝顔を見ると、先ほど彼が語った内容も、彼の凄まじい剣も、まるで嘘のようだった。飲んだくれで、陽気で明るい、酒場のシャーそのもののようだった。
だが、その手にはしっかりと刀がつかまれている。いつでも抜き打ちにできるよう、刃の部分を外向けにしているのも、柄に手がかかっているのも、全て敵を警戒してのことなのだろう。それを見ると、ラティーナは不意に現実を思い出した。彼がこんな平和な顔をしていても、明日の夜にはどうなっているかわからない。国王に逆らうという事がどういうことかは、わかっているつもりだ。
ラティーナは少しため息をついた。
「シャルルの寝室への入り口を教えてあげるよ」
と、寝る前にシャーは言った。
「ラゲイラ卿よりも先に手を打たないと、殺されてしまうかもしれないだろ。あいつらは、オレのことで、ばれたと思ってるから急に行動をおこす。あいつらに勝つには、明日行動するしかない」
ラティーナは頷いた。
「じゃあ、どこへ行けばいいの」
「……カタスレニア地区の……、とある古井戸があるんだよ。廃屋になったぼろっちい家の近くにね。その、井戸の中は、とっくに枯れてるんだが、横道があって地下水路に繋がっている。そこをずっと通っていくと、まっすぐにシャルルの寝室にでられるはずさ」
シャーは、強く頷いた。
「オレは何度も通ったんだ。……大丈夫」
それから、少し寂しそうな顔をしながら彼はいった。
「大丈夫だよ。……オレがラハッド王子の仇を取らせてあげるよ。シャルルを……ね」
ラティーナは、ありがとうといったが、何となく複雑な気分になった。
シャーは本当にシャルルが嫌いなのだろうか。あのときの口調は芝居などではなかったけれども、ずっと仕えてきた相手を裏切るのに心苦しいと思わないことはないだろう。ましてや、シャーは優しい所があるし、そう簡単には割り切れていないのではないだろうか。今、平和そうに眠っているこのシャーの顔が、どこか複雑そうに見えることがある。
ラティーナは、シャーを起こさないようにそっと彼をよけて通った。
「どこいくの?」
寝ぼけたようなシャーの声が追ってきた。後ろを見るが、シャーは目を開けてはいない。寝言かと思ったが、そうでもないらしい。気配でわかったのだろう。
「眠れないから、……ちょっと風にあたりにね」
ラティーナが答えると、シャーは薄目を開けた。
「危険だから、遠くに行っちゃダメだよ」
「いかないわよ。あんた疲れてるんでしょ? 休んでて」
「うん、そうするー」
答えるや否や、シャーは軽い寝息を立てて、目を閉じて眠り始める。どこまで本気なのかわからない。
ラティーナは少しため息をついて、そのまま外に出た。
月の綺麗な晩である。ラティーナは、外に出て月を見上げた。いい風が吹いている。まさか、今夜、この都市の一角で、あのような騒ぎがあったとは思えないほど、深夜の街は静まり返っていた。
(ラハッド……)
ラティーナは、ため息をつく。
(あたし、本当はシャーをこの作戦に参加させたくない…………)
それは、おそらく、シャーがあまりにも寂しそうな顔をするからである。それに、シャーを巻き添えにして殺すのは、忍びなかった。捕まればきっと二人一緒に殺されると思うし、助かっても、元主君のシャルルを裏切ったシャーにはけして未来など開けない。覚悟をしていた自分はいいが、シャーのこととなると何となく心が痛んだ。
(でも……どうすればいいのかしら……)
ため息を再び深くつく。ラハッドの復讐ばかり考えて毎日を過ごしてきたのに、どうして今ごろためらってしまうのだろう。
ざり、と音がした。シャーが後を追ってきたのかもしれないと、ラティーナはそちらを向いて、そして身を引いた。
「ザミル王子」
少し警戒して、ラティーナはその人物を見た。
「どうしてここに!」
「ラゲイラ卿の追ってが、このあたりであなた方に巻かれたというので、このあたりを探していたのです。こんなところにいらっしゃったんですか?」
ザミルは、ふっと微笑み、しかし、ラティーナの警戒に気づいてか、申し訳なさそうな顔をした。
「私も、ラゲイラ卿に穏やかにといったのですが、……その人物がまさか兄上の影武者を務めた人物だとは思いもよりませんでした。それで、あなたに一言、謝りたくて……」
ラティーナは黙って立っている。
「まさか、あなたまで騙してしまうことになるなんて……」
「あなたのお気持ちはうれしいですが……」
ラティーナは顔を横にそむけた。
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