嘲笑うベガードの声にまじって、数人が同調して笑っているのが聞こえた。日ごろ彼をよく思わないものは、一人二人ではないのだろう。ジャッキールも、それはうすうす感じていたことだった。
「ほら、どけよ。こんなところにいたら邪魔だろうが」
ベガードが、突き飛ばしてやろうと、ジャッキールの肩にふれようとしたとき、いきなりジャッキールの手が鋭く彼の手を弾いた。
「気安く触るな!」
ジャッキールは、弾かれたように立ち上がり、前髪の間から、殺気に輝く瞳をベガードに向けた。
「殺すぞ……!」
「な、何だ……」
ジャッキールは、長剣をもっていなかったが、それでも凄まれてベガードは、ざっと後ずさった。
「何とでも言え……!」
ジャッキールはそういうと、ふらふらと歩きだした。いつものようにきびきびとした動作でないそれは、彼の様子が尋常でないのを表している。
「チッ、とうとう本気で壊れちまいやがった……」
ベガードはそう毒づいて、冷や汗をぬぐった。
「でも、アレじゃあまるで幽霊だな。……死にぞこないが、死ねずにさまよってるみたいだぜ」
そういって、ベガードは聞こえよがしに笑い声を上げた。その声に送られながら、ジャッキールは、灯火のない屋敷の奥へとふらふらと歩いていった。
(なぜだ……)
アズラーッド・カルバーン、あの男は、どうして自分を殺さなかったのか。
(あそこで殺してくれれば、俺も楽になれたのに……)
いっそのこと、そのまま殺してくれたほうがよかった。どうせ死んだ身が、死に場所を探してふらふら歩き回っているだけだ。生き延びたことで、こんな無様なさまを見せ付けられるなど、ひどい拷問だった。
ジャッキールは、足を引きずるようにして歩いていった。そして、ラゲイラの屋敷のいくつかある客間のひとつに倒れこむように入り込む。
この部屋は鏡の間だ。高価な大きな姿見がある。この時代最新の技術で、もっともすばらしい映りの鏡だ。
闇の中から現れた自分の姿は、さながら死人か幽霊のようだった。これでは、先ほどのベガードの言葉を笑えない。ジャッキールは、自嘲を含んだ苦笑を力なく浮かべた。
負けたことが無様といっているのではない。ジャッキールは、負けた原因になんとなく気づいていたのである。それが自分の心の中にあるらしいことを。それに気づいたとき、ジャッキールは、その場で自決したくなったほどだった。
だが、そんなに容易に死ぬわけにはいかなかった。自分の心の堕落が敗因なのは間違いない。だが、堕落の原因を探らねばならなかった。
ジャッキールは、鏡を覗き込んだ。そうすれば、鏡に映った自分の瞳の奥に、自分の心が映りこむような気がしたのだ。
久しぶりにみた顔は、以前とずいぶん変わっているようだった。特別老け込んだ印象もないが、長い髪の毛を束ねた姿は、以前とはずいぶん違って見えた。鬱蒼とした暗い雰囲気は相変わらずかもしれないが、髪の毛を伸ばしてゆるく括った様は、まるでごろつきのようでもあった。別にそれは事実であるのだからまだいい。しかし、どことなく退廃的で、まるで武官が身をおちるところまで落としたような感じだった。
髪を伸ばしたのは、ジャッキールなりに、風貌を変えなければならない事情があったからである。ラゲイラに雇われる前、ジャッキールは隣国の揉め事に巻き込まれ、ある人物の逆恨みを受けたのだった。そのせいで、刺客を送り込まれ、死ぬ目を見たことがある。ラゲイラにはそこを助けてもらっていた。いや、厳密には、ラゲイラは、ジャッキールの力を利用しようとしたのだから、一方的に助けてもらった、というのはおかしいのかもしれないのだが。
それでも、彼はそれがあったからこそ、今までラゲイラの護衛もつとめたのである。
しかし、ラゲイラのやり方に承服できない気分があるのは、確かかもしれない。雇われたときには、まさか、内乱にまで話が膨らむとは思っていなかった。
権力闘争に巻き込まれるのは、もう嫌だと思ったからこそラゲイラという個人に仕えることにしたのに、結局は同じようなことになった。そのことに対して、ここのところ、どこかで不満を感じているのは確かである。ラゲイラ本人に、というわけでなく、この状況に。
だが、それでも、ラゲイラには恩と義理があったし、彼自身、ジェイブ=ラゲイラの人柄は嫌いではなかった。
だから、あの時、自分は、シャー=ルギィズを相手に手を抜いたりしたのではない。気に入らないからといって手を抜くはずがない。
(いや、気に入らなかったから、ではなく、あの時、俺は……自分の意思で手を抜いていた)
ジャッキールは首を振った。
(俺は、確かに……遊んでいた……な)
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