「でも、それは喜ばしいことじゃない」
 ラティーナは、力強く言った。
「あんただってうれしかったでしょ」
「そりゃ、オレも死にたくないもん。助かって、正直よかったと思ったよ。でも、あの光景は……ちょっと複雑だったなあ」
 どうして、といいたげなラティーナをみて、シャーは少しだけ笑んだ。
「……だって、あいつら、オレのこと、担ぐんだもんなあ。アレを見て、オレは将軍なんかやめちまったんだよ」
「担がれるっていいことじゃないの?」
「オレはシャルルの身代わりみたいなもんだったから……考えてごらんよ。オレが担がれるって事は、シャルルが王位に近づくって事だよ。それが嫌で嫌でたまんなかったんだよ」
 ラティーナはようやくわかったといいたげに頷いた。
「それはそうね。……誰もあんたをシャーとして心配してくれてなかったんだものね。それは辛いわ。……あんたもシャルルが嫌いなの?」
「嫌いだよ」
 きっぱりと彼らしくもない口調でシャーは言った。その口調に、ラティーナは少しおびえを感じる。
「あんな自分勝手な奴、大嫌いだよ!」
 シャーの言葉には怒りすらにじみ出ているようだった。彼の目には、いつもは決してともることのなさそうな、憎悪をふくませた光があった。しばらく、沈黙が流れた後、そうっとラティーナが口を開いた。
「ごめんなさい……。色々、嫌なこときいちゃったみたいね」
 それをきき、ようやくシャーは我にかえる。自分の態度の変化にラティーナが驚いたのだと気づくと、シャーは慌てて態度を取り繕った。
「な、なにもラティーナちゃんを責めてるわけじゃないんだよ」
 シャーはいつもの口調にもどって言う。
「オレは、あいつが嫌いなだけだから、ね、ラティーナちゃん。あ、そうだ! よかったら、オレの曲芸見せようか? 笑えるよ〜」
 急に立ち上がって、何か面白いことでもしようかとし始めるシャーを、慌ててラティーナは止めた。
「もういいわよ。ごめんね、気をつかわせて」
 いいの? と、少しだけ残念そうな素振りをみせて、シャーは再びしゃがみこんだ。
「あんたって、優しいのね」
 ラティーナに言われて、ほっとシャーは赤面した。
「べ、別に、そういうわけじゃあないよ。……ラハッドのほうが、優しかっただろ?」
「そうかもね。でも、あんたも十分優しいわよ。ありがとう、シャー…………」
 そういうと、ラティーナはにっこりと笑った。ぼんやりしたランプの光の中見た彼女の笑顔は、何となくあたたかくて、シャーは思わず目をそらした。直感的に、それを見てはいけないと思ったのだ。
(ああ)
 とシャーは、心の中で嘆息する。
(オレ、また一目惚れしちゃったんだよなあ……)
 そっと上目遣いにラティーナの表情を見やる。ラティーナは、例のパンを食べ始めていて、シャーの方を見ていない。シャーは、ため息をつき、自分もそっとパンをちぎって口に入れる。
 複雑な思いで食べる食事には、あまり味がしなかった。



 屋敷の中はあわただしかった。あちらこちらに走るラゲイラの雇った兵士たちの様子は真夜中と思えなかった。
 気絶していただけだったので、運良くそれほどの怪我もなかったのか、ベガードはすでに意識を取り戻していた。
 彼が、先ほどの侵入者の追跡に呼ばれ、外に出ようとしていたころには、シャー=ルギィズが暴れたあとはほとんど片付けられていた。しかし、一人だけ、先ほどの襲撃から立ち直れないままに、そこに座り込んでいる男がいた。
 ベガードは、思わずにやりとした。そこで、ぼんやりしているのは、宿敵といっても差し支えないジャッキールであったからだ。しかも、そんな彼が見たこともない様子で座っているのをみて、彼の心の中には、なんともいえない愉快さがこみ上げてきた。
「どうした。見事に逃がしたそうじゃねえか! おまけに相手に情けまでかけられたってな?」
 それをいうと、ベガードもかなり情けない負け方をしているのを発見されたのだが、ジャッキールはそれを知らないのかもしれない。ここぞとばかりに、ベガードの口調は強かった。
ジャッキールは返事をしなかった。心ここにあらずといった様子で、虚空を見つめているように見える。
「とうとう、本格的にイっちまったか? まぁ、お前は元からイカレてるんだがよ」
 ベガードがそういっても仕方がなかったかもしれない。ジャッキールは、先ほどからずっと放心して、そこに座っているだけなのだった。誰が話しかけても返事をしないのである。
「どうやらその様子じゃ、追跡の部隊にも入れてもらえなかったんだな。うわさで聞いたぞ。貴様には、この計画の重要な役割を与えないんじゃないかってな。お前みたいなイカレた野郎じゃそれも仕方がないか」


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