ジャッキールは、剣が折れたのを見た。妙にゆっくりと二つに折れた剣だったが、切っ先が弾き飛ばされたとたん急にすばやくぐるぐると回転して、そのまま冷たい床にたたきつけられる。さらに高音の絶望的な音を奏でるそれに、ジャッキールは死を見た。
「な、なんだ、と?」
しかし、ジャッキールは、防御もほかにつるしてある短剣を握ることもしなかった。ただ、それを見ているだけである。呆然として青ざめた顔は、何かに動揺しているようだった。
「なあさあ」
次の瞬間、肩をたたかれ、ジャッキールは驚いたように顔を上げた。
「オッサン、なまくらをもって損したな」
シャーは、にやりとすると、そのままジャッキールの横を通り過ぎる。
「まあ、今度はけちしないで、もうちょっといい剣でも買うこったね!」
「なに?」
ジャッキールは、信じられないような顔をして、シャーを凝視した。
「な、何故だ?」
ジャッキールはぽつりと呟いたが、シャーはすでにそれをきいてもいない。
「じゃあな!」
シャーは、少しだけ彼の方を見て、にやりと笑った。それから、相変わらず刀を右手に下げてとっとと走っていく。途中、身の程を知らない男が彼に飛びかかり、刀の柄で見事なカウンターをくらわされ転がっていくのが見えた。
(何故、殺さなかった?)
今のは、殺せたはずだ。ジャッキールは戦意を失っていたはずである。
(何故、とどめを刺さなかった? アズラーッド・カルバーン!)
他の兵士達は、向こうの方に去っていく。ジャッキールは一人取り残されながら、向こうのほうで遠ざかりながら戦うシャーの背が、闇に消えるのを見ていた。
いきなり、ハダートが柱の陰からふらっと姿を消したので、ラティーナは小声で鋭く言った。
「ど、どこへ行くの!」
「これ以上、あんたといるのは危険だな。オレは危険には近づきすぎない主義なんだ」
ハダートの冷淡なほど落ち着いた声が聞こえた。
「後は、あの三白眼に花を持たせることにしよう。あいつに助けてもらえ!」
明らかに彼には面白がっている気配がある。
「じょ、冗談じゃないわ!」
ラティーナは少し声を高め、あとを追おうとしたが、ハダートは闇を利用してふっと消えてしまう。
「あたしは助けてもらいたくなんかないわ! それも、あんな、スパイかも知れない奴になんか!」
まだ、彼に会うのに心の準備ができていない。ラティーナは慌てて叫んだ。
ハダートの答えのかわりに、向こう側から足音が聞こえてきた。それに混じって、金属音と怒号に悲鳴。それが、シャーがこちらに向かってきているからだということを伝えていた。
(ど、どうしよう!)
慌てて走って逃げようとするが、ラティーナには逃げる場所が思いつかなかった。ハダートの気配は完全に消えているし、柱の陰に隠れても、シャーはきっと見つけてしまう。ひとまず走ろうとしたとき、ふと後ろの方でシャーの声が聞こえ、彼女はそちらを振り向いてしまった。
「ラティーナちゃん!」
シャーは軽く手を振り、追いすがる男に自然な動きで足払いをかけた。
「ラティーナちゃん! よかった! 無事なんだね!」
シャーは、ラティーナの気持ちなど知らない。心底うれしそうな顔をして、そのまま、こちらに来る。見つかったことを知り、ラティーナは、どうしようもなく逃げ出した。
「な、なんで逃げるんだよ!?」
シャーは、わからないような顔をして、そのまま走ってきた。シャーの方がかなり足が速い。ラティーナは、すぐにシャーに並ばれた。
「どうしたの?」
シャーの不安そうな顔を見ないように、顔を背け、ラティーナは徹底無視を決め込む。
「どうしたんだい? ラティーナちゃん!」
訊いてもラティーナは答えない。シャーは、正直困って頭を左手でかいた。いきなり、ラティーナの横に、追っ手の男の顔がにゅっと現れた。ごつい悪人顔の男で、ラティーナは驚いて声をあげる。
「この野郎! ラティーナちゃんから離れろっつーの!」
シャーは、ラティーナの横にいた男の腹に峰の側で一撃を加えた。口調は軽かったが、シャーの一撃はそれこそ本気で、食らった男は悲鳴をあげてひっくり返った。男が、悶絶している間に、シャーは方針を変えたらしく、ラティーナの方に少しだけ身を寄せた。
「ちょ、なにす……」
「手荒いけど、我慢してねーっと!」
気合の声を上げて、シャーはラティーナの腰を左手でつかんで抱えあげた。
驚いて、ラティーナが悲鳴を上げる。
「な、何するのよ! ヘンタイ!」
「へ、変態? ひ、ひどい! オレ、変なトコ触ったりしてないじゃないか!」
シャーは、その一言が傷ついたのか、ひどくショックを受けたような顔をしたが、ラティーナは構わなかった。暴れながら、シャーをひたすらののしる。
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