シャーは振り返りざまに刀をそちらの方に薙いだ。その刀を思いっきりたたきつけられ、危うく倒れそうにすらなる。そのまま、たたっとたたら足を踏んで、どうにかこうにかバランスを保つと、ジャッキールの姿はすでに闇の中に消えていた。
「光の中にいては、的になるだけだ! アズラーッド!」
 軽い彼の嘲笑が響き渡る。声の位置にさっと目を走らせ、シャーは、そちらに走った。ガキッと鉄を噛む音がする。闇の中でジャッキールは、突撃してきたシャーの刀を受けていた。そのまま弾き飛ばし、シャーはその力を利用して廊下にうまく着地した。
「……チッ! 結構基本ができてるんでやんの!」
「貴様に言われたくないわ! アズラーッド・カルバーン!」
 後ろで兵士達がおろおろしているのが、横目から伺えた。そろそろ、連中はこの戦いを見慣れてきている。我に返って命令を守れば、一斉に飛びかかってくるかもしれない。そうしたら、いくらシャーでも相手をしきれない。
 ちらりと目を走らせ、シャーはジャッキールとの勝負を捨てるかどうかを考える。まだ連中が混乱しているうちに逃げるべきだろうか。
「手を出すな!」
 不意に、シャーの意図を読みとったのかジャッキールが叫んだ。ぼうっとしていた兵士達は、思わず我に返り、彼の命令に反応する。
「こいつは俺が殺す! 貴様らは卿の警護をしろ!」
「は、はいっ!」
 彼の癇癪をおそれたのか、慌てて兵士達は持ち場へと向かう。ジャッキールはそして、シャーに向かってにやりと笑った。
「……これで満足か、アズラーッド!」
 シャーは思わずふっと口をゆがめて笑った。
「ふふん、おっさん。無粋な奴だと思ったが、なかなか粋ってもんがわかるじゃないの」
「褒められてもうれしくないがな。行くぞ!」
「おう!」
 だっとジャッキールの軍靴が床を蹴った。と、その時、ふとジャッキールの後ろにいるものが、シャーの目に入った。闇の中の炎に照らされて、一瞬、向こうの廊下に人影が見えた。
「どこを見ている!」
 気を取られていたシャーは、やや慌てて声の方に反射的に刀を向けた。かん! と音がして、それを受けた後、シャーは、接近戦を嫌い後ろに飛んだ。ジャッキールの舌打ちが聞こえた。
(……今のは、もしかして…………)
 危ないと思いながらも、シャーは向こう側を探る。それは男女二人の影のようだった。一人は背が高く、そして銀色の髪の毛をしている。この地方では珍しいその髪色を見れば、男がハダート将軍であることは間違いない。
 そして、その後ろにつきしたがっているショールをかぶった女の影は――
「ラティーナ!」
 シャーの表情に気づいたのか、ジャッキールは彼の視線を目の端で追って、ちっと舌打ちをしたのがわかった。
「娘が逃げたらしいな……。だが、そうはいかん。……貴様を通すわけにはいかんのだ」
「うるせえな! こちとらいそいでるんだよ!」
 シャーは、ジャッキールの剣を払いのけて、そのまま切り抜けようとした。
「そうはいかんといっているだろう!」
 ジャッキールは、ざっとシャーの前に回りこみ、そのまま一撃を見舞った。シャーは、かろうじてそれを受けて、仕方なく下がる。
「貴様に余所見しているいとまなどない!」
「うっとうしい奴だぜ! テメエと遊んでる暇はないんだよ」
「遊びではない!」
「遊びだよ! アンタの剣は!」
 シャーはいきなりそういった。シャーとしては、それほど気持ちを入れていった言葉ではないのだが、そういわれたジャッキールのほうは、さっと顔色を変えた。
「な、何だと!」
「だから、遊びだっていってるんだよ! アンタのな!」
「だ、黙れ!」
 ジャッキールは、カッとなり、いきなり剣を浴びせてきた。空気を裂くようなそれは、シャーの前髪と頬を同時に掠った。赤い血が頬にわずかに飛ぶ。
「だからいってるだろう!」
 シャーは、野生の獣のような目を閃かせる。青い瞳が、魔の気配をにじませていた。
「アンタの遊びに付き合ってるような暇はねえんだよ!」
 シャーは、そのまましたから剣を突き上げた。一見力任せに振るったシャーの一閃は、今まで最も鋭いものだった。そして、その荒々しさと対照的に、綿密に計算された一撃でもあった。
「くっ!」
 受けたには受けたが、とっさのことで、ジャッキールは上手くそれを受け流すことができなかった。だが、剣を手放さないように必死で柄を握りしめる。
 それは不運だったのかもしれない。ジャッキールは、いささか冷静さを欠いていた。その判断が誤りだったことを気づいたのは、決定的な衝撃が手に伝わってからである。


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