「それとも、脅されて口を割った奴は裏切り者だってことか? ……アンタ、どこぞの飼い犬みてえに、案外義理堅いのかい?」
だが、相手は答えない。シャーはにやりとした。無言の相手の正体を見破ったのだ。
「さっきはどうもお世話様だったぜ。おっさん」
闇の中に立っているのはジャッキールだ。前髪のおりた顔は、視線が探れないが、それでも、彼が薄い唇にわずかに微笑を浮かべているのはわかった。ジャッキールは刃をぬぐった。
「やはりな。……お前なら何か行動を起こすと思っていた」
シャーは、肩を軽くすくめた。
「へっへえ……そんじゃ、あんた、わざとオレを挑発したってことかい? じゃ、オレは、あんたの作戦にのっちゃったってわけだ」
シャーがそういい終わると同時に、ひゅっと音がした。闇の中、シャーは反射的に身をそらした。ジャッキールの剣が、シャーの髪を掠め、黒い髪の毛が、何本か宙を舞う。ジャッキールの西渡り風の剣もそうだが、なによりも、この周辺のものではありえないその癖のある太刀筋に覚えがあった。
「……思い出したよ。あんた」
シャーは、不意に笑った。
「オレはあったま悪ぃから、人の顔はあんまり覚えないんだけど、太刀筋だけは覚える方なんだ。ビシェッツの戦場で会ったよな?」
ジャッキールは満足そうに笑った。
「上出来だな、シャー=ルギィズ。いや、青兜(アズラーッド・カルバーン)! ジャッキールだ。今度は名前も覚えていてもらおう!」
ダッとジャッキールが走りこみ、真上からシャーに鉄の刃を振り下ろす。
「オレに名前を覚えてもらおうって思ったら」
声とともに、ジャッキールの剣は、力の加わる方向を大きく変えられた。剣がはじきあった途端、ばっと暗闇に火花が散る。
「苦労するぜ、おっさん!」
しゅっと忍び込むように突いてきたシャーの刀を紙一重でかわす。血の気が引くような戦慄。ジャッキールのような男には、それが時にたまらなく楽しく、背筋の凍るような喜びであるらしい。ジャッキールの上げた声はほとんど歓声だった。
「やるな!」
「それを期待してたんじゃないのかよ?」
シャーは応え返し、返ってきたジャッキールの剣を受け止める。
「……さあ。どうだかな!」
シャーが、相手の力を横に流しながらさっと身をひいて消えた。ジャッキールもその場から離れる。二人は、天窓の光の下から姿を完全に闇の中に消した。
闇と光。月の光が天窓から降り注ぐ中、時に陰の中に、時に光の中に姿を現す鉄の光に注意し、彼らはお互いの出方を探る。静けさ。そして、一瞬の間に火花と鉄の音が響く。沈黙とぶつかりあう時の鉄の悲鳴が、交互にその空間に流れる。闇の中、ほとんど姿を見せない彼らの存在をはっきり示すのは、おそらく音だけだった。
周りに集まった部下達は、彼らの様子を半ば呆然と見ながら手が出せないままでいた。
兵士がこちらに近づいてくる。ハダートは、柱の陰にラティーナを押し込み、自分はそれとなく前に立ちはだかっていた。
「おや、ハダート様」
兵士の一人が気づいて、彼に会釈する。ハダートの表情を柱からそっとのぞくと、彼の顔は、先ほどとは違い、ずいぶんと朗らかになっている。演技をしているのは間違いないが、それにしてもよくここまで化けられるものである。
「あの男が逃げたという話なのですが、大丈夫ですか? 現在追っているのですが」
「なに? それは本当か。……しかし、あの男が?」
ハダートは、器用にもひどく気の毒そうな顔をして見せた。本当に心配しているように、少しだけそわそわしたそぶりを見せる。
「そうか、あの男が…………。あれは見かけに寄らず腕が立つ。私も捜索に加わりたいのだが…………」
「いえ、ハダート様は別の安全な場所にいて下さった方がよいと、ラゲイラ様も。今すぐ客室に戻られ、安全には十分対策してくださいませ」
「ああ、そうすることにしよう。私の存在がばれたら、……ラゲイラ卿の計画が台無しになるからな」
ハダートは、兵士に気をつけるようにいい、走っていく兵士達を見送った。そうして、誰もいなくなると、彼はゆらりとラティーナの方に戻ってきた。途端、あの温和そうな紳士の顔が消えて、今ラティーナの目の前にいる彼は、ただの食えない男である。
「危ないところだった。全く、冗談じゃない」
文句をぶつぶついってはいたが、あまりにもその態度はぬけぬけとしすぎている。ラティーナは、呆れたような顔をして、彼を迎えた。
「あれで、怪しまれなかったの?」
「あれを怪しむほど、連中は利口じゃないだろう。それに俺の演技は完璧だったじゃないか」
ハダートはそう応え、ラティーナを手招きした。急がないと、今度は怪しまれるどころか、本当に彼の正体がばれてしまう。
「ちょっと質問があるんだけど」
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