冷たい声にハダートは、苦笑した。すでに廊下をかなり歩いている。深夜の廊下には人気がなく、ひっそりとしていた。ただ、ラゲイラの屋敷の広大さだけがひしひしと伝わってきた。
「気の強いお嬢さんだな、……姫っていうからにはもうちょっとおしとやかなのを想像してたんだがね。こりゃとんだあばずれをひっかけちまったな」
 思いのほかにハダート将軍は口が悪い。この口の悪さには、ラティーナは内心驚いていた。ハダートは評判こそ悪いが、物腰のやわらかさでは、かなり知られていただけにである。では、普段の貴族のような物言いも態度も全て作り物だったということだろうか。だとしたら、シャルルはとんだ狼を飼っていたことになるだろう。
「あたしの家は、あなたとは違って、すでに零落しているわよ」
「おっと、俺の家系なんざあ、その辺のガキより悪いですよ。お姫様」
 ラティーナはキッとハダートを睨みあげた。ハダートは、肩をすくめて「失礼」と短く呟く。
「……どこに連れて行く気といわれても困るのは俺のほうでねえ。実は目的なんてないも同然なんだよな」
「何ですって!?」
「おやおや、大声出されちゃ困るな。俺はあんまり武芸に自信が無いのでね、人を寄せられるとちょっとまずい」
 ハダートは肩をすくめる。
「どういう意味?」
「早い話がだ……」
 ハダートは人気がないのを確認し、そっとラティーナに囁いた。
「ここからあんたを出してやるよ」
「な、何ですって?」
 怪訝な顔をして、ラティーナが振り向く。ハダートは素早く彼女の縄を解き、マントの中に突っ込んであったショールを彼女の頭からかぶせた。
「なるべく顔を隠せ。見られたときにごまかせないからな」
「事情を説明して!」
 ラティーナは小声で言いながら、それでも指示通りに顔を隠した。ハダートは、意外としっかりしてるじゃないか。と言いたげな目をして、少しへぇという。
「気まぐれともいえるし、計画的ともいえるかな。何にせよ、まだ俺の口からはいえないな」
「……あなたはどっちの味方なの?」
 ラティーナは、鋭く切り込んだ。
「どっちというと?」
 ハダートは、苦笑する。
「シャルルか、それともラゲイラか。どちら?」
「今のところは、決めかねるな。どちらに付いた方が得かちょっとはかりにかけているところだ。それまでは、どちらの部下にもなるし、どちらの部下にもならねえ。今はあんたを逃がしてるからシャルル寄りかもな」
 ハダートは笑い半分に応えながら、ラティーナを見た。
「おや、あまり驚かないようだな」
「あなたが節操の無い男だってことは、有名な話よ」
 ラティーナはつんとはねっ返した。ハダートは少し心外そうな顔をする。
「この乱世に節操の話なんかされたくないぞ。俺は常に強い方側につくし、面白いほうにもつくんだ。俺が面白くないと判断した時点で、俺が誰かに義理立てする必要なんかないんだからな!」
 ラティーナはまだ、ハダートの方を向かない。ハダートは、少し真面目になってしまった自分にあきれるようにため息をつく。
「まぁいい。どっちにしろ、任務は任務だからな。お役所づとめはつらいぜ」
 ハダートは、ラティーナを先導するように手を振った。
「とりあえず、出口まで先導してやるよ。後は、あんたが勝手に行動すればいい」
 ラティーナは、そんな彼の様子を見上げながらまだ幾分か疑うような視線を向けている。だが、ここで彼を疑っても仕方のない話だった。彼をどう疑ったところで、今、自分の運命がこの男の手に委ねられていることには変わりない。
「あの、ラゲイラのそばにいる嫌な奴はだれ……?」
 ラティーナは話を変えた。
「当然、俺以外ってことだな? じゃあどっちだ?」
 薄ら笑いをうかべながら、ハダートはからかうようにいった。おそらく、ベガードとジャッキールのどちらのことだときいているのだろう。
「ベガードのことは、あたしもしっているわ。知らないのは冷たい黒い服の……」
「あぁ、ジャッキールの事か? あれはラゲイラに雇われてる傭兵だが、まあ関わらん方がいいな。ああいうタイプの人間は、自分の腕に自信が有り余ってるのに、不幸にもちょっと平和になってしまって、力の発散場所が無いから、常に血に飢えている。そのうちそばにいる奴を切り倒しそうなほど危ない男だが、冷静なときのあいつは頭がそこそこ切れる。俺がここにいて一番警戒しなきゃならんのは、ラゲイラ本人とジャッキールだからな」
 そういって、彼は少しおもしろそうに笑った。


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