あんなに無茶苦茶をやったのに、セジェシス王は、たいへん美男子だった。もっとも、行動は豪放そのもので、まったく繊細さを感じさせず、かなりアンバランスな男だったが。ラハッドは、彼の容貌は受け継いだが、性格はまるで受け継がず、とても穏やかで優しい人だった。むしろ、優しすぎて、覇気はなかった。ただ、凛としていて気品があって、王たる風格が備わっていた。弟のザミルを、もう少し温厚にした感じの青年だった。
そして、彼女にとっても、とても優しい人だった。ラティーナがわがままを言っても困った顔をするだけで、それを黙ってきいてくれた。
(ラハッド……)
ラティーナは、思い出す。彼が死んだのは、彼女が内乱を避けて王都の近くのギルギルスの町に避難していたときだった。知らせをきいて駆けつけたラティーナの前には、もはや冷たくなったラハッドが眠っているだけだった。周りに訊いたところ、毒の入った酒を飲んだのだという。最初は自殺なのかと思って哀しくてつらかったが、それが陰謀による毒殺だと知ってラティーナの心は、憎悪に煮えたぎった。犯人をみつけて絶対に殺してやると。彼女はその時に誓った。
そんな折に、王位についたのがシャルル=ダ・フールである。彼が王位について、全てが終わって、その時、ラティーナは、ラゲイラから思わぬ事をきかされた。
『ラハッド王子を殺したのは、シャルル=ダ・フールだ。』
そう推測すれば、矛盾は出なかった。そもそも、シャルルが王位につくためには、もっとも継承の可能性が高かったラハッドがいなくならなければならないのだ。
そのときから、ラティーナは何とかシャルルを暗殺するために情報集め、準備を整えてきたのである。それが、人違いという些細な……あまりにも些細なミスにより、全てが水の泡になってしまうなんて……思いもしなかったのだ。
何も考えたくなくなり、ラティーナは、昔の思い出に浸ることにした。ラハッドと一緒にいたときの、幸せな記憶の中に逃げ込めば、少しはこの辛い状況を乗り切れるような気がした。
ラティーナは、ラハッドと買い物に出かけた日のことを思い出した。その日は、さる王子の遠征隊が都を出立する日だったらしく、別れを惜しむ人々が門の前にあふれていた。
戦場に向かう兵士、将軍のなかで、そういえば、一人、ラハッドの元に駆け寄ってきたものがいた。全身を鎧で固めて、青い羽飾りのついた兜を目深に被った青年。青いマントが目に痛いほど鮮やかだった。兜が青年の顔をほとんど隠していたから、だれだかは外からはわからなくなっていた。身分はそれなりに高そうだが、しぐさはまるで一般兵士である。
彼はラハッドを見つけると笑いながら駆け寄ってきた。
「ああ、ラハッド!あんた、ラハッド王子だろ?」
ラハッドが、困っているのも構わず、青年はぱんぱんと彼の肩を叩いた。背は高かったが、体格が悪い。痩せすぎで、少し猫背なせいか、実際よりも背が低く見える。
「オレだよ、オレ。忘れたかな。ま、いっか」
ラティーナは、無礼を咎めようと口を開きかけたが、ラハッドは苦笑しながらラティーナを止めた。
青い甲冑姿の青年は、なれなれしくラハッドの肩に手を回して酔っ払いのようなしぐさをしながらいった。総じて彼はふらふらしている。
「なぁ、……あんたは優しいから……きっと大丈夫だと思うんだよ」
青年は、笑っていたが寂しそうな口調だった。
「オレがもし、この戦で死んだら……白いジャスミンの花をどうか墓に手向けてくれな」
青年が唐突に不穏な事をいうので、ラハッドもラティーナも顔をしかめたが、その青年は本気のようだった。
「……あぁ、オレって、生きてる時から花がないだろ? せめて、あっちじゃあいい匂いに囲まれてえんだよ。なあ、王子様。頼んだぜ」
「それは……」
ラハッドが何か言いかけたとき、青年はラティーナを見た。そして急にはやし立てるような口調に変わった。
「おお、こりゃ別嬪だね! やるなぁ、ラハッド王子!」
「な、何! 失礼な!」
ラティーナが、かっとしかかったとき、青年はその怒りを恐れるようにささっと身をかわした。
「あはは、冗談、冗談」
それから、彼は不意に静かになるとうっすらと微笑んだ。
「……あんたも一緒にお願いな……。綺麗どころも一緒なら、オレは十分満足だ。なぁ、ジャスミンの花だ。頼んだぜ」
青年はそういうと、馬にまたがった。一瞬振り返ってにやりとすると、サッと手を上げた。青い羽飾りにマントがひどく哀しく見えた。
やがて青年の姿は軍勢の中に紛れて見えなくなった。
前 * 目次 * 次