それにしても、この男にはあまり近寄りたくなかった。この男は、いつも何か不吉な気配がした。死神でも取り憑いているのではないかと思うほどの、寒気が走るような殺気が常に身の回りに飛んでいた。
 そして、その殺気のとおり、ひとたび戦闘が起こると、この男は狂ったように人を斬ると聞いている。食事の時も手放さない剣は、一体何人の血を吸ったのか――。
「こちらでございます」
 少年は、なるべくそのことを考えないようにして、彼を案内する。束ねた髪を揺らしながら男は静かについてくるが、その足はすぐにとめられた。目の前に、少年以外の人間の気配がしたからである。
「ジャッキール様」
 声をかけられ、男はふと居住まいを正す。訓練された武官のような身のこなしは、彼がもともとは宮仕えをしていたのではないかという過去を想起させた。そういわれれば、彼の言動は、流れの戦士にしては、風格がありすぎるところがある。
 目の前には、この屋敷の主人が立っていた。ゆったりとした貫禄の男は、ジェイブ=ラゲイラである。
「ラゲイラ卿自ら出向いていただくとは…………。ご足労をかけ、失礼した」
「いえ。いきなりお休みのところ呼びつけた私が悪いのですから」
 ラゲイラは、柔らかにそういった。男は、首を振り、そして話を変える。
「外が騒がしいといわれておりましたが、昼間お聞きした例の件ですな? どうやら無事捕らえられたようで……」
「ええ。そうです。……ですが、そのことなのですが」
 ラゲイラは、少し目を伏せた。
「貴方に、この作戦で指揮を執っていただくわけには参らなくなりました。申し訳ありません」
 ラゲイラは、静かにそう告げる。
「私を、信用されていないのですな」
 男の眉が、長い前髪の中で一瞬引きつった。
「いえ、そうではありません。ただ、あの方はあなたに指揮を執らせるのに反対なようです。あの方は、他方からきたものを信用なさらないだけでございます。貴方の気持ちはご理解いたしますが、…………どうか、ご容赦を」
「自分は、貴方をせめているわけではありません。貴方がそういわれるのであれば、仕方のないことであります」
 一瞬、低く堅い言葉でそういったのは、反射的に答えたものだったのか。そこまでいって、彼はわれに返ったように、薄く苦笑いを浮かべると、話題を変えた。
「しかし、指揮をとらねばよいのですな? ……私が、今、外のものたちがつれてきた男と会うのはかまわぬと?」
「ええ。それは、もちろんです。私はむしろ、貴方に検分していただきたいぐらいなのですが……」
「では、……その男にあわせていただきましょう」
 彼はそう答えると、ラゲイラに礼をしてから、方向を変えて歩き出す。少年が慌てて案内するため、駆け出していった。
「お待ちを。ジャッキール様」
 ラゲイラは、彼を呼び止めた。彼が足を止め、まだ振り向かぬうちにラゲイラは続けてこういった。
「わたくしは、あなたを信用していないわけではございません。しかし……」
 ラゲイラは少し声を落とした。 
「あなたは、私のやろうとしていることに、反対なされるのではないかと思っています。……貴方は、こういうことがお嫌いでしょうから」
 ジャッキールという傭兵は、それに対して返答はしなかった。ただ、一瞬足を止めて、そしてそのまま歩き去るだけであった。



 王宮の深くにシャルル=ダ・フール=エレ・カーネスの寝所は存在した。彼は滅多にそこから出てこられない。たまに出てくる事があっても、長くは玉座に座っていられないのである。
 それなりに高価な調度品が立ち並ぶ中、シャルルは天蓋付きのベッドの中に座っていた。そこからは薄絹のカーテンがおり、シャルルの姿がうっすらと垣間見られた。
 理知的な目をした黒髪の青年。だが、その体は痩せていて、どこか頼りなげである。
 そんな彼の前にちょうど、五十代と思われる男が立っていた。
「……そのようなことなのでございます。観察が必要かと」
 シャルル=ダ・フールは、水差しの水をゆっくりと飲みながら、彼の言葉をきいていた。
「わかったよ。つまり、ラゲイラ卿があまりよくない考えを持っているというんだね?」
「と、言われておりますが」
 宰相、カッファ=アルシールは、寝所の中の君主に言った。シャルルは、今日は加減がいいらしく、少し起き上がって書物を読んでいたらしい。手の横に厚い本が一冊転がっていた。
「事実関係はよくわかりません。何しろ、証拠がまだないものですからな。それだけでなく、陛下の敵は多いですし、断定するのは早計かと。ですが、ラゲイラの影響力は果てしないものがありまして、もしかしたら、すでに城は敵だらけかもしれません」
「そうか……」
「十分にあなた様も気をつけていただきたく思い、今回は報告させていただきました」


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