おそらくはアティクの金だろう。それを狙って、シャーは店の女将に声をかけた。アティクはシャーの言う「いっぱい」が「酒をグラスに一杯だけ」という言う意味なのか、「酒をたくさん欲しい」という意味なのか図りかねて、ぞっとしていた。


 約束の夜が来た。その日も結局、飲みすぎたのか、シャーは夕方になって、ようやく待ち合わせ場所に現れた。思いっきりどやしつけてやったが、シャーというと、なにかすっきりしない顔をして、何となく元気がない。どやしつけられたせいでもなさそうだった。別に酔っ払ってもいないらしいし、何か他に理由がありそうではある。
 すでに日は沈み、暗くなっていた。人通りも少ない場所であるし、何となく不気味である。都会というのは、人が多く見えて、実は人がいないような、そういう錯覚を起こさせる。建物の裏側に回ってしまえば、家の中の人の営みなど、外からはわからないのだった。
 歩き始めていくらかになるが、仲間があらわれる気配がない。ラティーナは、レンクのところに行くまでに、みんなが現れてくれるように祈っていた。
「……もう、何よ! しゃっきりしなさいよ!」
 ラティーナは、シャーを騙しているという気まずさから、わざときつく声をあげた。
「そんなんじゃ、あっちにいっても仕方ないわよ!」
「……ごめんなさーい……」
 シャーは間延びした声で答える。
「元気ないわね、どうしたのよ?」
「レンク=シャーには会いたくないんだよ」
 シャーは、ぼそりといった。
「有名人と名前が一緒だと何となく顔合わせにくいでしょ、本人と。相手はやくざのボスだしさ〜、あいつ、性格よくないし〜」
 シャーは見苦しくぶつぶつと文句を言う。
「来たくなかったらいいのよ、あたし一人でも」
 つんとするラティーナをみて、シャーは慌てた。
「い、いや、その、やっぱり、ここは男の一人として女の子を危ない目に遭わせるわけにはだねえ、ラティーナちゃん!」
「じゃあ、来なさいよ!」
「……その辺がなんといいますか……」
 シャーは、困ったような顔をして頭をかく。ラティーナは大きくため息をついた。
「ラティーナちゃん……」
 不意にシャーに訊かれ、ラティーナは慌てて振り向く。
「な、何よ?」
 シャーは少し真剣な顔をしていた。
「シャルル=ダ・フールに何の恨みがあるんだい? 訊いてもいいだろ? オレだって、事情を知らないまま騒ぎを起こすのは嫌だもん」
 ラティーナは、少しため息をついた。確かに、言われればそうなのだ。巻き込んでおいて、事情を教えないなんて、そんな事はおかしい。それに、どうせ彼には後で計画を話す予定である。ザミルは、皆で彼を説得するといったが、ラティーナは、シャーなら多少言ってもいいような気がした。
「……そうね、シャルル=ダ・フールを暗殺したら、あたし達、生きて帰れないんだろうし。……あんたも、ひどい目にあっちゃうわね。ごめん」
「ひ、ひどい目って……あ、あのオレ、あんまり苦しいのは……」
 根性がないシャーは慌てた。彼は、どこまでも長生きしたいほうであるし、苦しい事などまっぴらごめんなのだから。そういう仕事だったら、あんまり請けたくないなあと彼は言いたかった。先程の言葉はそれを反映させてみたつもりだったのだが、ラティーナは、そういう彼の言葉を彼の言いたいようにはとってくれなかったようである。
「いいわ。あんたが、目的を果たしてくれたら、あたしがあんたを苦しまないように殺してあげる」
「いや、それも嫌なんですけど」
 シャーは、首を振る。
「……じゃあ、どうしろっていうの? その方がずっとましよ」
 ラティーナは、ため息をついた。
「どうせ、拷問が待ってるに決まってるもの」
「そ、そんなもんかなあ。オレ、そっちも嫌なんだけどなあ」
 シャーは、ぽりぽりと頭をかいた。
「で、さあ、あの人に何の恨みがあるんだ?」
「……あいつは……」
 ラティーナは重い口調で言った。シャーは、そうっと彼女の顔を覗き込むようにしている。
「あいつはね!ラハッド王子を殺したのよ!」
「ええ!」
 思わずシャーは、ひっくり返りそうなほど驚いた。ラティーナがさっと走ってきて、シャーの頬に平手打ちをくれた。
「馬鹿!大声出さないでよ!」
「ご、ご、ごめん。……ラ、ラティーナちゃん。ラハッド王子の知り合い?」
 ラハッド王子は、シャルル=ダ・フールの異母弟である。あまり、体は強くなかったが、頭がよく賢明だという評判だった。母親も第二夫人だったし、跡継ぎとしては十分可能性があった。人望もあったはずである。
 彼が暗殺されたのは、内乱が始まってから半年の事だった。その時には、かなりもめたという話を、シャーはどこかできいた。犯人はだれだかわかっていないそうだ。
「あたしは、あの人の……婚約者だったの」


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